ノスタルジア・メモリア

むらくも航

序章

第一話 死亡、そして

 ——「愛しています。きっとあなたが迎えに来てくださることを信じて」——





 おれの名はかなで 颯音はやと。特にこれといった特技も無い、ごく普通の男子高校生だ。ちなみに彼女はいない。モテたことすら一度もない。


 そんなおれだけど、たまに不思議な夢を見る事がある。知らないはずのとても綺麗な女の子に、愛していますなんて伝えられる夢だ。思春期特有のただの妄想なのだろうか。いや、それにしては、夢の内容が毎度全く同じというのも変な話だとは思う。


 それに、その夢は一度や二度ならず、これまで幾度いくどとなく見てきた。

 昔の、本当に小さい頃の記憶か何かなのだろうか。だけど思い出そうにも、生憎あいにくおれには五歳頃までの記憶が一切ないんだよな。まあ、幼い時の記憶なんてそんなもんか。


 前に一度、どうしても気になったおれは、それとなく母さんに聞いてみたことがあった。だが、そんな女の子は知らないそうだ。やっぱりただの夢なのかな。それにしてはやけに、リアリティがあるような気がするけど……。

 ただ、一つ気になる点があるとすれば、その夢の中の女の子はいつもどこかはかなげだ。まるで今から自分が消えてしまうかのように。




 そんなことを考えている内に、気が付けば家に着く。いつも通り、母さんは庭で花の世話をしていた。

 あ、そうそう、おれ自身にこれといった特技はないとは言ったが、特徴といえば一つ、うちの家族はめちゃくちゃ仲が良い。

 庭を見渡せば、それ自体はそれほど大きくないものの、母さんのこだわりもあり、整理された綺麗な花が一面に広がっている。

 今、庭の大半を占めているのはピンク色の山茶花さざんかだ。母さんは、一年中なにかしらの花が咲くよう、開花の時期が違う複数の種類の花を育てている。

 他の時期はかすみ草や青いヒヤシンスなどがあったかな。花言葉などを気にして種類を選んでいるのだろうか。昔教えてもらったような記憶があるかもしれないが、うーん、覚えてないな。




 今日もまた変わらぬ一日をだらだらと過ごす。

 特に何か事件が起きるでもなく、いつも通りだらだらとしていれば、あっという間に夜だ。宿題は……明日の朝本気出そう。眠気という最強の敵に勝つすべなどありゃしない。




◇◇◇




「んー……トイレトイレ」


 深夜、偶然トイレへ行くのに目覚め、階段を静かに下る。

 あれ、珍しいな。一階のリビングにまだ電気が点いている。母さんも父さんも割と早寝のはずなのに。


 中の様子が気になったおれは、隙間からそーっと顔をのぞかせる。


 うーん、距離が遠くて会話は聞き取れないな。

 それにしても両親の様子が妙だ。母さんは手で顔を覆い、父さんはうつむいている。何かあったのだろうか……。あ、そういえば明日っておれの誕生日じゃないか。

 一人息子ということもあるからか、毎年おれの誕生日は盛大に祝われていた。


 今年はそれほど欲しい物も無く、望む物を特に伝えてなかったけど、母さんと父さんなら何か考えてくれているのかもしれない。

 となれば、会話が聞こえてしまうのも興覚きょうざめだな。ここは素直に気付かなかった振りをしておこう。

 そうして、用を足したおれは早々に寝室へ戻った。

 

 それにしても、ちらっと見えたあの異様な雰囲気は少し気になるな。そういえば去年の誕生日も、母さんには不思議なほど泣かれたんだっけ。




―――

「はやとも今日で十五歳か。本当におめでとう、父さんは嬉しいよ」


「そうね。立派に育ってくれて、母さんは……母さんは、うっ、うぅ」


「ははは、母さんは泣きすぎだって。はやとがこんなに良い男になって喜んでいるんだろう」                                 

                                   ―——      



今思っても母さんは泣き過ぎだよ。でもまあ、何にせよ祝福の気持ちということには変わりないだろうし、ここは素直に受け止めておこう。それより今は寝るとしようか。


 深く考えないことにした。




◇◇◇




 朝、いつも通りほぼタイマーと同時に目を覚ます。

 朝の支度を終えてリビングに顔を出すと、母さんがいた。


「あ、おはよう母さん。って目大丈夫? すっごく腫れてるけど……」


 そこには、一晩中寝ていないんじゃないかと思えるほどの目の下のくまに加え、目を真っ赤にした母さんがいた。


「はやと、おはよう。誕生日おめでとう。それとね、……何て言えばいいのかしら、少し考えさせてね」


「え、う、うん……」


 ただならぬ雰囲気を感じ取ったおれは、なんとなく姿勢を正した。

 すると、父さんもリビングに顔を出す。母さんほどではないが、父さんも目の下にくまをつくっている。それになぜか全く目を合わせてくれない。

 これは……この空気感は一体なんなんだ。


 母さんが少し口を開いたかと思えば、ふいに近寄ってきた。びくっとして、とっさに身構えるが、母さんの行動は身構えた自分とは真反対のものだった。

          

 そっと抱きしめられる。何年ぶりだろうか。他からみればかわいいもんだったが、おれにも一応反抗期はあった。それに、高校生にもなって親にハグされているというのも、単純に恥ずかしいので最近もしていない。そう考えると、こうやって抱きしめられるのは小学生ぶりぐらいな気がする。……不思議と嫌な感じはしなかった。


「はやと、改めて誕生日おめでとう。あなたは無事に、立派な人間に育ちました。母さんたちの子でいてくれて、ありがとう。どこへ行こうとも、あなたはずーっと、母さんたちの子よ」


「はやと、誕生日おめでとう。お前は一人前の父さんたちの自慢の息子だ。これからも清く正しく、生きていってほしい。どんな困難にもお前ならきっと立ち向かい、乗り越えていける。信じているぞ、はやと」


 母さんとおれを包むように、父さんも抱き寄ってくる。


 温かかった。


 いや、でも大袈裟過ぎないかな? もちろん、嬉しいは嬉しいのだが、これはちょっと……って長くないか、苦しい苦しい。




 数分後ようやく落ち着いた親バカ二人が声をかけてくる。


「いつまでもこうしてはいられないわ。ごめんなさい……。いえ、でもやっぱり最後はありがとうと言わせてほしい。ありがとう、はやと。大好きよ」


 次の瞬間、背中にじんわりと生ぬるい感触を感じる。


「!? な、なにが……」


 ほんの少し遅れて、今まで経験したことの無いような痛みが背中から全身を走る。


「うぐッ!! いっ……ぐ、うそ……だろ、なん、だ、これ……せなかが、や、ける…………」


 そのまま床に倒れ込む。血が逆流して口から飛び出す。もうほとんど声も出せない。そこではっとしたおれは、うつ伏せのままなんとか前を見ようと試みる。

 母さんも同じく腹を押さえて倒れ込んでいた。


「そん、な……かあさ、ん、ま、で…………」


 本当に訳がわからなかった。

 まさか。いや、そんなはずはない。断じて信じない。


 だが、決して信じないとは思いつつも、見ないわけにはいかない。後ろを振り向かないわけにはいかない。そんなことがあってたまるかと思うが、最後の力を振り絞って後ろを振り向く。


「なん……で……」

 

 そこには血のついた刀剣のようなものを持った父さんが見下ろしていた。だけど、なんだあれは。

 その、およそこの世界では見たこともないような紋章が入った、湾曲した刀剣。

 そんな、嘘だ、ありえない、父さんが、父さんが……。

 もう、なにもわからない。何も信じることができない。



 おれの意識はそこで途絶えた――。

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