ふたりがひとり

トワイライト水無

私の日記 #1

冬夜くんが死んでしまってから、今日で3ヶ月になる。

冬夜くんは、長いことふわふわと足元の定まらなかった私を、地上に留めておいてくれた、重力みたいな人だ。

あの日から、私はまたふわふわと、足場の定まらない日々を送っている。

私はどうやらおかしくなってしまったみたいで、家にいたはずなのに海にいたり、図書館にいたり、知らない電車に乗っていたりする。

どうにもおかしいから、日記をつけてみることにした。お医者さんに説明する時も、きっとこれがある方がやりやすいだろう。


今日は病院に行った。途中で意識がどこかへ行ってしまわなくて本当によかった。

お医者さんに私のことを話して、知らないうちにどこか別の場所に来てしまうことがあると言うと、大丈夫ですよと言われた。

一体どこが大丈夫なんだろうと思ったけれど、その時は言わなかった。


何か言葉を紡ごうとしている時に、診察室の中で、またあれが起こった。次に気がついた時には、どこか知らない場所の、踏切の前だった。スマートフォンのGPSを頼りに、私は家に帰った。鞄の中には処方されたよく知らない薬が入っていた。

やっぱり、大丈夫じゃないじゃないかと思った。

なんの薬なのか、私は知らない。


人がもし、死んだ後も自分の人生を振り返ることができるとしたら、冬夜くんは人生の最後に、私みたいな人間と一緒にいて、幸せだったと思ってくれるだろうか。

彼は突然私の人生に現れて、そして突然消えてしまった。私の目の前で車に撥ねられて。

救急車を待つ間、どんどん血だらけになっていく彼と私の手を見ていたら、なんかもう、だめなんだなと思った。もう起きないだろうなと思ってしまった。

そう思ったらたまらなくなって、冬夜くんを今すぐ抱き潰してしまいたいと思った。もう二度と一緒にいられないなら、血だらけになった身体を綺麗に舐め取って、腕とか首とかの、柔らかいところに齧り付いて、冬夜くんのことを、すっかり全部食べてしまいたい。

ずっとそういう気色の悪いことを考えながら、その時はただ冬夜くんのことを見ていた。

他人の血も、死体も、何もかも見慣れなくて、あの光景は今でも夢に出てきてうなされるほどだ。


なのに私は、どうしてあの時冬夜くんを食べたいなんて、突拍子もないことを考えていたんだろう。

じっさい、覚えていないのだけれど、私は搬送される冬夜くんを見送ったあと、どういうわけか一人、路地の傍に立って真っ赤に染まった自分の手を、ぺろぺろ舐めていたようで、気づいた時には手だけは綺麗な、いつも通りの私の手だった。そばにあったショーウィンドウのガラスに映る私の顔は、口の周りだけが真っ赤に汚れていて、なのに顔が真っ青で生気がなく、吸血鬼みたいだった。

それで、口の周りについた冬夜くんの血液を、鏡の中の私は、自分の舌でまた綺麗に舐め取ってしまった。

なぜ搬送された彼に付き添わずに路肩で彼の血液を舐めているのだろう、そう私が思った頃には、彼はもうこの世にいなかったんじゃないかと思う。


本当に、少しの差だった。あと数メートル、私が彼の前ではなく、隣を歩いていたら、きっと私もだっただろうし、反対に彼と私の位置が逆だったなら、彼ではなく私だっただろう。

あるいは初めから、私しかあの横断歩道を歩いていなかったなら、彼は死ななくて済んだ。

そういう後悔を、私はこの3ヶ月の間何度も何度も繰り返している。意識のある間はずっと。


そうではない間、私が、気がついたら海にいたり電車に乗っていたり踏切の前にいたりする間、私は、一体何を考えているんだろう。

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