野球を諦めた俺が女子野球部のコーチ兼マネージャーになった話
さとね
プロローグ 地に落ちた白い球
部活に打ち込んで青春を謳歌しているなんてほざく奴らを見ていると、腹が立って仕方ない。
特に運動部。学生時代にスポーツに打ち込んだ時間など、無駄以外の何物でもない。
今までの人生のほぼ大半を野球に捧げてきた俺が言うんだから間違いない。
今になってみれば、どうしてあんなスポーツの練習を死に物狂いでやっていたのだろうと疑問に思う。どれだけやっても、結局何にもならないのに。
それなのに、学生時代に野球をやっていましたというだけで評価をしようとする社会なんて間違っている。日本の文化は異常だ。高校球児を美化しすぎている。
坊主にしているだけで誠実そうだとか、地域のゴミ拾いに参加したから人間性があるだとか、挨拶が他よりも丁寧で元気がいいとか、あんなの全部嘘っぱちだ。
周囲の圧力で半ば強引に髪を剃らされ、甲子園の二十一世紀枠とかいうもののために実力だけで甲子園に出ることのできない外面のいい中堅高たちが評判稼ぎのために嫌々ゴミを集め、強烈な縦社会を染み込ませるために軍隊のような挨拶をさせているのが高校球児だ。
嘘で塗り固められた上っ面だけの美しさだけをメディアが全校放送で発信するから、あんな誤解が広がるのだ。よくあるお涙頂戴のドキュメンタリーなんて、吐き気がするほど嫌いだ。
病気で他界した部員の分まで頑張るからと平気で嘘をつき、甲子園にも出ずに想いよ届けとメディアとSNSに発信する様は不快以外の何物でもない。本当にその部員が大事ならば、そんな媒体から発信せずに個人で彼の墓へ誓いや報告をすればいいだけだ。とどのつまり、人の死を使って周りから褒められようという、これ以上なく卑しい承認欲求の塊ってわけだ。
甲子園での投球制限に関して文句を言うやつも同じだ。怪我を隠して無理を承知で投げ続けることを美学としているなんて、馬鹿以外の何物でもない。プロ選手でさえ投げない球数を高校生が投げ続けられるわけがない。結局はそんなやつらは、怪我をしても頑張る自分に酔っている馬鹿者で、自分が漫画やアニメの主人公だと勘違いしている痛い奴らだ。
だから俺はもう二度と、部活なんてやらない。決して時間を無駄にしない。
そんな決意を持って、わざわざこの春から実家のある埼玉の県立高校に転校したってのに。
「……二年生の一学期末まで、必ず部活に所属すること、ですか?」
「おう。お前にいろいろ事情があるってのは知ってるんだけどさ。こればっかりはどうにもならないんだ。すまんな」
なんとも軽い言葉で、担任教師である金子先生は言った。
今どき、そこそこな進学校だからって二年生の半ばまで強制的に部活に入らなきゃいけない学校があるなんて思いもしなかった。もっと調べてから転校するべきだった。
「俺、なんの部活もやりたくないんですけど」
「そうは言っても、このクラスで部活に入ってないのはお前だけなんだ。別に汗水流して部活に打ち込んでくれなんていわないからさ。形だけでも入ってくれればそれでいいよ」
「幽霊部員でもいいってことですよね?」
「ああ。実際、時間つぶしのような部活は少なくないし、最初に顔を出して以降は何もしなくてもいいって部活だってある。そこは安心してくれ」
それなら、まだ納得はできる。人生の大半を捧げた野球を辞め、部活はしないと決めた以上、やるべきは勉強だ。部活で時間を浪費している暇があるなら、少しでも偏差値を上げていい大学に入るべきだ。今まで支えてくれた両親のためにも、それが一番のはずだ。
「じゃあ、適当な部活に入ろうかなって思います」
「そうだな。なら明日、軽くどんな部活があるのかを紹介しよう。中村は転校生だから、四月の間に部活を決めてくれれば問題ないから」
金子先生はジェル系のワックスでセットされたオシャレワカメのような髪の毛の隙間から頭を掻き、手元の書類をまとめて立ち上がる。
全生徒が強制的に部活に所属しなければならないということもあり、多様な部活もあるために金子先生も部活の顧問をしているらしく、そっちの部活に顔を出さなければならないらしい。
「それじゃあ、どんな部活がいいか考えておいてくれよ、天才王子」
「その呼び方、もう二度としないでくださいね」
「悪い悪い。それじゃあな!」
金子先生は小走りで教室から出ていった。
教師としては立ち振る舞いが雑に感じるが、生徒との距離の詰め方が上手でまあまあな人気があるらしい。どうしてあの見た目で女子からわーきゃー言われるのかは理解できないが。
俺が野球をやっていたときなんて、女子よりもビールを持った小太りで野球好きのおっさんばっかりわーきゃー言ってたぞ。
小さなため息を吐いて、荷物をまとめて俺も教室を出る。
と、その時。
「おっと」
ちょうど教室に戻ろうとしていた女生徒とぶつかってしまった。
身長が一八〇以上ある俺だが、それでも肩辺りに衝撃があったので一七〇半ばはある女子だ。
しかも、ぶつかった感じだと、女子にしてはそこそこ筋肉もありそうだ。
「すまないね。放課後だから誰もいないと思っていたよ」
前下がりで肩にかからない程度の黒髪を揺らしながら、その女子は落ち着いた声で言った。
本来なら、大丈夫だと爽やかに返事をするべきなのだろうが、
「あ、え、えっと」
上手く言葉が紡げない。
「……? 大丈夫かい? 見たところ、かなりがっちりとした体をしているが、打ちどころが悪かったのかな?」
「あ、いや。そういう、わけじゃ……なくて」
世界で一番嫌いなもの、野球と部活。世界で一番嫌いな言葉、青春。
そして、世界で一番苦手なもの。
「女の子と、話すのに……慣れて、なくて」
言っていて虚しくなってくる。
生まれたから今まで野球が友達と言わんばかりに練習漬けの日々を送ってきたせいで、女子とまともに会話をしないまま十六年。
俺の女子に対する免疫は、ゼロどころかマイナス。
どんなことを言おうかは頭の中で巡っても、緊張して口が動かない。
しかもこの人、よく見たらめっちゃ美人じゃんか。余計に緊張する。
「あははっ。そんな反応をされるとこちらまで照れてしまうよ。春から転校してきた中村冬也くんだろう? 同じクラスなんだから楽にしてくれ」
思わず見惚れてしまう笑顔を見せて、その女子は俺に顔を近づける。
「それにしても、どうにも見覚えのある顔だね。去年、どこかで会ったことあるかな?」
「いや、き……去年までは、大阪だった……から」
大阪の高校に通っていたから会ったことはないはずだって言えよ俺! どうしてこんなカタコトになっちまうんだよ!
しかし、俺の言葉の意図を汲み取ってくれたのか、その女子は「ふむ」と頷いて、
「そうか。なら勘違いだったみたいだ。すまないね、引き留めてしまって」
「あ、いや。これから帰るだけだから……」
「おや、そうなのかい? まだ部活には所属していないといけない時期だと思うのだけど」
「えっと、転校したばっかりだから……まだ」
「ああ、なるほど。それもそうだね。では、じっくり選んで決めるといい。この学校には素敵な部活が溢れているからね」
「そ、そうだな……」
さすがに、まともに部活をする気はないとは言えなかった。
それにしても、この会話量は今までの中でも最高じゃないか? というか、そろそろ顔が熱くなってきたから勘弁してほしい。
「それじゃあ、私はこれから部活に向かわなくてはいけないから失礼するよ」
俺の願いが通じたのか、その女子は俺の横を通り過ぎていく。
彼女は自分のロッカーに入った荷物を取り出すと、再び俺の横を抜けて、
「では、また明日だね。中村くん」
小さく手を振って、その子は去っていった。
少しときめいてしまったが、笑顔で部活に向かっていく後ろ姿を見ていくのは複雑だった。
体格や荷物からしても、明らかに運動部。あれだけ綺麗なんだから、別に部活なんかに大事な学生生活を捧げる必要なんてないのに。
だがまあ、結局は他人だ。俺は俺の時間を無駄にしないことだけを気にすればいい。
「……帰るか」
女子と会話をしたという快挙を胸に、俺は廊下を歩き、階段を下り、下駄箱を開ける。
普通の生活をすることに関して、女子と話すことは重要な要素だ。
男だけの空間は部活の汗臭さを思い出して気分が悪くなる。そのためには、まずこのまともに女子と話せない免疫のなさを克服しなければならない。
もう部活はやめたのだ。時間ならいくらでもある。数日ほどクラスで過ごした限り、いじめなどをしそうな厄介な人間はいなかった。これから、のんびり克服していくとしよう。
かかとの潰れた運動靴に足を強引にねじ込んで、とんとんとつま先でコンクリートをつつきながら外へ出る。
俺の通う山伏高校の改善してほしいところランキング第一位を思い出した。
昇降口から外に出ると、すぐ目の前に校庭が広がっているのだ。放課後すぐに外に出ると、絶賛活動中の運動部たちが嫌でも視界に入ってくる。
「最悪だ」
見ているだけでも寒気がしてくる。どうせプロにもならないのに必死に努力して、二、三回勝った程度で自分たちは頑張ったと評価を求める。
人生を懸けていないのに、時間だけは異常に費やす。実に無駄だ。
これ以上見ていると本当に体調が悪くなりそうだ。俺はすぐに体を捻って校門へと向かう。
しかし、俺はすぐに足を止めてしまった。
聞こえたのだ。世界で一番嫌いな音が。
「……金属バット?」
弾けるようで、それでいてやけに甲高く響く不快な金属音。
飽きるほど聞いたこの音を聞き間違えるはずがない。
でも、ありえないはずだ。俺はこの山伏高校に入学する際、ちゃんと確認したのだ。
この学校に野球部はない。だからこそこの高校に転校したのだから。
しかし、それが事実であると告げるように足元にコロコロと小さなボールが転がってきた。
わずかにほつれた赤い縫い目、地面に擦れてささくれ、砂と泥と汗が染み込んで表面を覆う皮が薄茶に染まったそれは、俺が世界で一番嫌いなボールだった。
そのはずなのに、俺は思わずそれを拾ってしまった。
大嫌いなはずなのに、人差し指と中指と親指の三本を縫い目にひっかけて掴んでいた。
気が遠くなるほど投げてきた、ストレートの握り方。今でも、体がそれを覚えていた。
反射的にボールを拾った瞬間、全身に突き刺すような寒気が走る。
ああ、やっぱり駄目だ。俺はもう、このボールだけは持つことができない。
と、少し遠くからこちらへ向かう声が聞こえた。
見ると、そこには真っ白な練習着に身を包む女の子が、グローブをはめた手を振ってこちらへと走ってきていた。
なるほど。女子野球部は考えたことがなかった。
確かにそれなら、確認しても気づかない可能性が高い。
「お~い! それ、投げてくださ~い!」
そんな声が俺の元まで届く。確かに、俺が投げるのが一番手っ取り早い。
俺が野球部だったときも、関係のない人に投げ返してもらったことはある。
でも、無理だった。これ以上、このボールを触っていられない。
それに相手は女子だし。俺の嫌いで苦手なもののフルコースじゃないか。
野球をやっているやつとは関わりなくないし、むしろ嫌われて距離を置かれた方が楽かもしれない。
だから俺は、ボールを持っていた手の力を抜く。一切の力を受けずに空中に投げ出されたボールは、重力に引っ張られてまっすぐ下へと落ち、コロコロと足元を転がった。
俺の行動が予想外だったのだろう。手を振っていた女子は目を丸くしているようだった。
でも、これでいい。
俺はバッグを背負いなおして、再び歩き始める。
ほんの少しの良心と、何かもやもやしたものがきゅっと胸の奥で締め付けられた。
どうにかこの理解不能の感情を吐き出すために、深呼吸をする。
「部活も野球も、大っ嫌いだ」
言うと、少しだけ胸が楽になった。
歩く速度が速くなっていく中、俺はなんとなくさっきまでいた場所を振り返る。
俺が落とした白球は、行き場もなく地面をゆっくりと転がっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます