こんにちは雨合羽さん。
鈴木介太郎
第1話 少年探偵団 : 事件
放課後の学校。
僕は階段を駆け上がりながら、五年一組の教室に向かう。校舎はしんと静まり返っていて、人の気配は感じられない。自分の足音だけが、校舎にリズミカルな音を響かせていた。
迂闊だった。
まさかあれを間違って学校に持って行ってしまうとは。それだけならまだしも、そのまま教室に忘れてしまうとは。うっかりでは済まされないヘマだった。これを一生の不覚と言わずして何というだろうか。
自宅から走り通した僕の心臓は、狂ったように早鐘を打っている。今すぐ立ち止まりたい衝動にかられるが、あれを見られることに比べたらなんてことはない。もし本当に見られたら、僕は破滅してしまう。
時刻は十七時を回っていた。早くしないと教室の施錠をされてしまうかもしれない。
四階に着く。ふらつく足を鼓舞して、一組の教室にたどり着いた。扉は全開になっていた。
僕の机は窓際から二列目の一番後ろの席だ。忘れ物はその中にある。早く回収してこの場から去ろう。そう思ったのも束の間、僕の席の前に、一人の男の子が立っていた。
頭の先に、突き抜けるような緊張がはしった。頭皮にピリピリとした電流が流れ、指先の傷がじんじんと痛んだ。僕の机の前で何をしている。まさかブツを見つけたわけじゃないよね。
不安に思いながら男の子をよく見ると、あれは隣のクラスの名越裕太君だと気付いた。後ろ姿だけど間違いない。名越君は快活で面白く、僕とは対称的な人物と言ってよかった。休み時間には、よく友達と校庭でサッカーをしているのを見かけた。
二組の子が一組の教室で何をしているのだろう。時間的にも学校にいることそのものが不自然だった。
名越君は僕の存在にまだ気づいていないようだった。さすがに存在を隠しながら行動することは出来ないだろう。それでも多少強引ではあるが、何食わぬ顔で回収すれば行ける気はした。
僕は決意して歩き出した。
気配を察したのか、名越君がぱっと振り返る。目が合うと、その顔に残念な色が浮かんだ。
「なんだ、メガネ君か」
メガネ君とは僕のあだ名である。小学一年の頃、学年で唯一メガネをかけていたためそう呼ばれるようになった。今ではメガネも珍しくはないが、あだ名というのは一度定着すると変わらない。
名越君が足元を指差した。僕はつられたようにその先に目を向ける。
そこには水溜まりとガラスの破片が散らばり、近くの棚に一脚の椅子が置かれていた。このガラスの模様には見覚えがあった。
そうだ、これは金魚鉢だ。
五年一組で飼育されていた金魚の金ちゃん。その住まいだ。
何てことだろう。金魚鉢が割れてしまっている。一大事だ。
僕は金ちゃんを目で探した。オレンジ色の鱗を目の端に捉える。居た。体長二センチしかない身体は、ぺちゃんこになって内臓をぶちまけていた。絶命していることは一目見て分かった。
「俺はやってないから」
名越君がぽつりと呟いた。
「別に疑ってないよ」本心だった。彼がこんな卑劣なことをするとは思えなかった。「でも、それじゃあこれ誰がやったんだろう」
「分からん。ついさっき俺がここに来た時にはすでにこうなってたから」
「名越君は、そもそも何でここに?」
「偶然だよ。忘れ物取りに来たらたまたまこの現場を見つけたってわけ」
「そうだったんだね」数瞬の沈黙。「……とりあえず、先生に報告してくるね。片付けないといけないだろうし」
いつまでもこのままなのは金ちゃんが可哀そうだった。だが僕の提案に名越君は首を振った。
「ダメダメ。今先生呼んだら追い出されるかもしれないじゃん。それにここを片したら犯人も分からなくなる」
「監視カメラが設置されてるわけでもなし、犯人なんてわかるのかな」
「いけるいける」名越君は当然だろうって顔をした。「それに、最強の助っ人用意したからちょっと待ってろって」
「ほんと?」
「うん。しかもそいつ、少年探偵団のリーダー」
僕は少年探偵団という言葉にイマイチ理解が追い付かなかった。そんな言葉は江戸川乱歩の小説の中でしか聞いたことがない。
「まあ、俺もその少年探偵団の一員なんだけどね」
名越君は照れたような笑みを浮かべた。
ーーーー
少年探偵団の来訪を、僕たちは無言で待っていた。
それにしても、厄介な事件に巻き込まれてしまったものだ。
本当なら例のブツを回収して安全な場所まで移しておきたかったが、今は無理なので機会をうかがうしかない。
僕とブツとの距離は二メートルと離れていない。これが逆にもどかしかった。
そわそわする気持ちを落ち着けようと、僕は周囲を観察した。ふと、教室の後ろの壁に言い知れぬ違和感を覚えた。
そこにはクラス全員が書いた習字の用紙が貼られていた。「勇気」だとか「将来」だとかいろんな漢字が書かれている。僕が書いた「回し蹴り」も張り出されていた。我ながらきれいに書けている。
注意深く壁の全体を見ていると、次第に違和感の正体が分かった。僕は喉に引っかかった小骨が抜けたような気持ちになった。
「お待たせ」
そのとき、教室の入り口から声が聞こえた。目を向けると、一人の男の子が立っていた。見た瞬間だれか分かった。
加藤悟君だ。二か月前の五月に丸山小学校に転校してきた子だ。頭が良くて顔も良くて、五年生の女子からは王子様のような人気を誇っている。だからといって気取ったところもなく、男子からの人気も厚かった。転校してきて初めてのテストで全教科百点を取ったのは有名な話だ。
彼が名越君の仲間の少年探偵団らしい。
「悟、待ってたぜ」名越君が立ち上がった。「メガネ君、紹介するよ。こいつが少年探偵団のリーダー、加藤悟」
「どうも」僕は頭を下げた。
「こんにちは。君、メガネ君ていうの?」
「あだ名です」
「良いあだ名だね」
そう言われたのは初めてのことだった。だって安直すぎないか、メガネをかけているからメガネ君って。
自己紹介を終えて、加藤君はさっそく事件現場に向かった。
「これは、酷いね」加藤君は潰れた金魚を見下ろして言った。
「誰がやったか知らないけど許せないよな。絶対犯人見つけようぜ」
名越君が力強く言った。
加藤君は一度教室をぐるりと見まわしてから金魚の死骸や水溜り、金魚鉢が砕けたガラス片を見分する。現場は僕の机に近いので内心ひやひやした。
ポケットからおもむろにハンカチを取り出し、十センチほどの大きなガラスの欠片をつまみ上げる。それを矯めつ眇めつ観察する。
まるで本物の探偵小説に出てきそうな雰囲気と手際だった。ぜひ、雰囲気だけで終わってほしくないところである。
「メガネ君は、その指はどうして怪我したのかな」
突然声をかけられて驚いた。
「指? ああ、これね」僕は自分の右手の人差し指を見た。そこにはどす黒く変色した絆創膏が貼られている。「学校に来る時に近道のフェンスをよじ登ったら針金で切ったんだよ」
「このガラスの欠片で切ったわけじゃないと」
加藤君はハンカチに包んでいた先ほどの大きなガラスの欠片を見せてきた。欠片には鋭く尖った先端があって、血が付着していた。量的に金魚の血ではなさそうだった。
「それ、僕じゃない。本当だよ」
もしかして僕が疑われてる? と思ったが、加藤君は特にそれ以上追及しては来なかった。最後に、水溜りの側に置かれた一脚の椅子に注目した。
「この椅子は誰のかな?」
実は椅子のことはあまり言いたくなかった。例のブツに少しでも注目が集まるのは嫌だったからだ。でも聞かれたからには言うしかなかった。
「実はそれ、僕の椅子なんだ」
加藤君は一瞬意外そうな顔をしたが、すぐに真剣な顔つきに戻った。
「じゃあ、もう一つ質問なんだけど」加藤君は立ち上がると僕に向き直った。「もしかしてこの後ろの壁にいつもと違うところはないかな」
「違うところか」
「うん、何でもいいんだ」
僕ははっとしてさっきの違和感のことを思い出す。
「そういえば、習字の上に、万引き防止ポスターが貼られているでしょ」僕はポスターを指差す。そこには警察官が腕をクロスして、バツ印を作ったポスターが貼られていた。「たぶん、あのポスターは今日の帰りの会まで貼られてなかったと思う」
加藤君は立ち上がって後ろの壁を見上げた。名越君もそれに従う。二人はしげしげとポスターを観察した。何か気になることでもあるのだろうか。固唾を飲んで見守っていると、加藤君がまさかの宣言をした。
「うん、真相が分かった」
衝撃の発言に僕は驚愕する。たったあれだけで真相が分かっただって?
「解決編ってことか」
名越君が興奮して言った。
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