どの世界でも人は人魚に魅入られる

ツワ木とろ

短編


 この世界の空は水面。

人々は海底で暮らしている。


 家の前で様子を伺っている男と子供、一人一人を包む泡が寄り添う事で連なっている。

「オギャー!オギャー!」

 家の中から赤子の鳴き声が聞こえ、

見上げる子供の頭を安堵の笑みを浮かべながら撫でる男。

 しばらくすると家の扉が開き、老婆が手招きする。

 中に入ると数人の女性とベッドに座り、赤子を抱く女性が1人。

「元気な男の子ですよ。」

 招き入れた老婆がそう言うと、男は子供を残してベッドへと進む。

 二人の連なっていた泡が二つに割れる。

「良かった。ウム、無事で良かった。。」

「アルアディったら、心配性ね。村一番の漁師なのに。」

「魚追うのとは訳が違うよ。」

 男がベッドに寄り添うとウムと呼ばれた女性を包む泡と男の泡が一つになる。

「アルアディ、この子に泡藻を着けてあげて下さいな。」

 産まれたばかりの子供には藻が生えていないので大人が自分の藻を移してあげなければならない。

 その役目は父親が担うのが通例になっている。

 アルアディと呼ばれは男は足の裏の藻をむしり、赤子の足の裏に張り付ける。

これで赤子の成長と共に藻も広がり、一人で歩き回れる様になった頃には泡に包まれている。

「ウム、この子の名前なんだけど、」

アルアディが赤子の頬に指を当てる。

「考えてくれたの?」

「ああ。アルファンニなんてどうだろう。。」

「ステキな名前ね。」

ウムは赤子を見つめた後、遠巻きに見ている子供に微笑みかける。

「ディクルもこっちにいらっしゃい」

 少し恐る恐る、ゆっくり子供が近付くとウムは赤子の顔を見せ、

「あなたの弟のアルファンニよ。仲良くしてあげてね。」

と微笑んだ。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「兄さん待ってよ!」

 アルファンニは村中を飛ぶように弾んで進むディクルを追うのに必死だ。

 アルファンニは9歳になる。

 今日アルアディが漁から帰って来たら、初めて技術を学ぶ事になっていて、

三つ年上で既に手解きを受けているディクルが先だって弟を鍛えている。

 村の端でディクルに追い付いた時には肩で息をしていた。

「体力ないなぁ。」

「兄さんは父さんと漁に出たりしてるんだから一緒にしないでよ。」

 親同伴で尚且つ近場、子供の遊び程度の漁ではあるがその才能は村でも評判になっている。

「何言ってんだよ。お前も今後行くようになるんだぞ。」

 兄と比べたら劣るのは当たり前だか、アルファンニは同年の子供と比べても少し身体が細い。

「そんなんじゃ親父みたいな漁師になれないぞ。」

「それは兄さんがなればいいじゃないか。」

「お前なぁ、」

 数人の男達が村の外に見える。

「あ、帰って来た!」

 男達はそれぞれ数尾の魚を担いでいる。

この中で一際沢山の獲物を有しているのがアルアディだった。

「父さん!」

アルファンニが飛び寄る。続いてディクルも。

「二人とも、迎えに来てくれたのか?」

「ううん。兄さんと追いかけっこしてたんだ。」

「そうか。。」

アルアディは少し残念そう。

「親父が帰って来る前にアルファンニを鍛えていたんだよ。」

「それはいいね。」

「アルファンニは体力も力もなくてさ。」

「兄さんより子供なんだから仕方ないだろ!」

アルファンニがふて腐れる。

「俺が9歳の時はもっと強かったぞ?」

「まぁまぁ、成長は人それぞれだからな。これから漁の練習始めたらどんどん強くなるかも知れないぞ?」

「うん。僕、早く練習したい!」

「そうだな。この荷物、集会所に置いてくるから家で待ってな。」

アルアディはアルファンニの頭を撫で、ディクルの肩に手を置いてから村の中心へと跳び跳ねて行った。


「漁で一番大事なのは、生きて帰ってくる事。それが出来なきゃ何にもならない。技術や力、それに結果なんか二の次だ。」

練習を初める前にアルアディが語る。

 技術を学びたいアルファンニには面白くない話だ。

「まぁ、精神論は実践の時にまた話すとして、技を磨く前に必要なのが、息を止めたままどれだけ動けるかだ。」

 ディクルが手本を見せる。

自前の銛を投げ放つと彼を包んでいた泡が割れた。

 10メートル程離れた地面に突き刺さった銛の石突きに括られた縄を手繰りながら泳いで行く。

 その間に泡が足元から広がり銛を抜くまでには元の大きさまでに回復していた。

 泡の戻ったディクルは弾みながら戻ってくる。

「刃物はゆっくり動かせば泡を割る事はないんだけど、魚を狙って今みたいに投げるとどうしても割れてしまうんだ。しかも狙った獲物が大きければ、銛が刺さったまま引きずられたりもする。だからまず息を長く止める練習をしなくちゃいけないんだ。 まずは泡の中でやってごらん?」

 アルアディに促され、アルファンニは大きく息を吸ってから息を止める。

 30秒位たっただろうか、限界を迎えて息を吐き出す。

「いいぞ。今度は息を吸った後にゆっくり細く息を吐き続けてごらん?」

 息を整えてからその様にすると先ほどより少し長く持ちこたえる事が出来た。

「よし、そしたら息を止めた後に泡を割ってみるな。」

 泡のない状態を体験した事のないアルファンニは不安を覚える。

 期待の眼差しを向ける父にそれを訴える事も出来ず、銛で泡を突かれた。

「ゴボゴボゴボゴホ!」

初めて海水が全身を覆い、本当に息の出来ない状況にパニックなったアルファンニは10秒も持たずに溺れかけてしまった。

 とっさにアルアディが抱きしめ、自分の泡の中に居れたので難は逃れる。

「ゲホッゲホッゲホッ」

咳き込むながら恐怖で父の腕に強くしがみつく。

「駄目じゃん。怖がり過ぎだよ。向いて無いんじゃないかな」

とディクル。

「初めてなんだからそんな事言うもんじゃない。それに自分が直ぐに出来たからって相手を思いやれないのは良くないぞ。」

 ディクルは天才気質で覚えるのに苦労した事がなかった。

「一人で漁に行く事なんてないんだから。」

「親父はたまに一人で行くじゃないか。」

「それは熟練者だと認められてるからだ。それには漁師歴だって関係する。どんなに腕がよくたって直ぐには成れないんだぞ。」

 ディクルが地面を蹴る。

 反抗的な態度を取りたがる年頃になったんだなとアルアディは思った。

「僕、向いてない?」

アルファンニは暗い顔で見上げる。

「そんな事ないさ。初めから上手く出来る奴なんて殆ど居ないんだから、これからだよ。それに、」

アルアディがしゃがみアルファンニと視線を同じにする。

「お前は賢いから俺やディクルには出来ない仕事が出来るかも知れないぞ?」

「ほんと?」

「ああ。」

アルファンニの頭を力強く撫でる。


「ルルルルルー」

突然綺麗な、ハーブの音色のような声が響く。

 その所為で村が騒がしくなる。

「人魚じゃ。人魚が側に現れたんじゃ。」

老人達が口々に言う。

「二人は家に戻っていなさい!」

アルアディは声がする方へと跳ねていった。

「人魚ってあの人魚?」

アルファンニが不安そうに言う。

 『悪い子は人魚に喰われる』子供の躾で良く使われるセリフ。

 ディクル位の年頃になると大人の戯言で存在しないと思っているのが普通。

 それを大人が本気で口にしている事に驚く。

「お前は家に帰れ!」

「ちょっと兄さん!」

ディクルがアルアディを追って飛び出し、遅れてアルファンニも着いて行く。


 アルファンニが着いた時には人魚は既に捕らえられていた。

 子供が想像する怪獣のような姿とは明らかに違う。

 膝からしたが一つの尾ひれになっている以外遠目には女性の裸体にしか見えない。

 見るからにスベスベそうな肌。

幼さの残る淑女な面持ちに猿ぐつわをされ、

メリハリのある健康的な体には昆布を縄の様にして縛られている。

 手の指の間に水掻きがあり、耳がエラになっているのは近付いてから分かった。

「アルファンニ、お前まで来てしまったのか。。」

アルアディは呆れ顔をしている。

 ディクルを先に叱り終えてそれでも言うこと聞かなかったのもあり、説教は後ほど家でする事にした様だった。

「早く始末しないと大惨事になるぞ。」

集まっている中の誰かが言う。

 誰でも分かる程周囲に殺意が漂っている。

「ねぇ、あの人殺されちゃうの?」

「ああ。人魚は生かしておいたら駄目なんだ。」

「あの人が人魚?人にしか見えなよ?」

 アルアディはアルファンニに言われて一つ気になった。

「じいさん達、人魚の血が何色か知ってるか?」

「・・・分からんが、赤いのではないか?」

アルアディの質問に村長が答える。

「ならここで始末するのは辞めないか?」

「生かして返せと言うのか?!」

 アルアディの提案は老人達の目を吊り上げるさせた。

「そう言う訳じゃないんだ。ただ、みんなが殺す所を見る必要はないんじゃないかと思うんだ。」

 その場には若い村人も多数居る。

その者達は人魚は始末しなくてはならないと言われて育って来てるが、老人達の様に憎悪は持ち合わせていない。

「見た目人に似てて、血も赤いんじゃ見るに耐えない奴もいるだろう、」

 息子達のトラウマに成りかねないとアルアディは考えた。

「数人で遠くまで運んで、そこで始末したらどうだろうか。」

 息子達にもう一度家に帰る様に言った所で何処に隠れて見ているに決まってる。

ディクルは特にそうだろう。

ディクルがそうならアルファンニも一人で帰りはしないと思われる。

「そうじゃなぁ、、」

 アルアディの提案に頷く者は多い。

「ならば儂と他三人程でそれを運ぼうか。」

村長は周りの反応を見て提案を受け入れる。

「俺は言い出しっぺだから参加するぜ。」

とアルアディ。

 その他に漁師仲間二人が立候補した。

「いいか、今度は大人しく帰るんだぞ。次言うこと聞かなかったら夕飯抜きにするからな。」

アルアディはそう言うと息子達の側を離れ人魚を担ぎ、村長と仲間と共に去っていった。


 それ以来四人が帰って来る事はなかった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 アルアディが行方不明になってから10年がたつ。

「人魚に魅入られたんだ。これ以上被害者を増やす訳にはいかない。」

と言って捜索は一度も行われなかった。

 村の対応に納得出来ないディクルは一人で捜索と漁を行う様になっていた。

「そろそろ1人で漁に出るの辞めなさいな。」

朝食の席で、母のウムが言う。

 漁での収穫は集会所に納めて村全体に分配するのが慣わしなのだが、ディクルは村への不信感から拒絶している。

 家に直接持って帰ってくる獲物をウムがこっそり集会所に持って行く事で体裁が保たれている。

「あなたに迄何かあったらどうするの。」

「それじゃぁ親父を探せないじゃないか。」

 もう結婚して子供が授かっていてもおかしくない年齢の息子が友人すら作らないのでは母親としては夫の消息より心配だ。

 ディクルの実力は村も評価している。

 嫁ぎたがる娘も多いだろう。

彼の態度が落ち着きさえすればだが。

「母さんまで親父は帰って来ないって思ってるのか?人魚なんかに魅入られたって思うのかよ!」

「お父さんはそんな弱い人じゃないわ。」

「じゃぁ何で帰って来ないんだよ。そう思うなら何で誰も探さなかったんだよ!」

 兄の声が徐々に怒声に変わるのをアルファンニが止める。

「兄さん辞めなよ。母さんに当たったってしょうがないじゃないか。母さんだって辛いのに。」

 ウムな再婚の話が無かった訳ではない。

アルファンニはそれを知っていて、何故断ったのかも分かっている。

「お前だってそうだ。漁師になりもしないで」

 アルファンニは薬師の弟子になっていた。

 父が居なくなって漁の技術を学べなかったのも理由の一つではあるが、何より薦められたのが大きい。

「僕の仕事は父さんも認めてたよ。」

 村に疎外されずに済んでいるのはアルファンニの頑張りもある。

「は?10年も前に親父が何を認めるんだよ。」

「僕には父さんも兄さんも出来ない仕事に付けるかもって」

「けっ。そんなの漁師の才能がないお前への慰めじゃないか。」

ディクルは立ち上がりドアに向かう。

「どこ行くの?」

「漁に出てくる。」

「さっき一人で行くなって言われたばかりじゃないか」

「村の奴なんか誰も信用出来ない、お前は漁師じゃない、じゃぁ誰と行けって言うんだよ!」

「じゃぁ何で僕に漁を教えてくれなかったの?父さんの代わりに。。」

 ディクルは黙って出ていってしまった。



 この日、アルファンニは少し遠い岩場までやって来た。

 ここの海草が傷薬の原料になる。

危険が伴う場所な上に他でも採取可能な素材だが、他よりも多く生息しているのと、

何より父親が最後に向かったであろう場所の一つだった。

 手掛かりがあるかもしれない。

「アルファンニ?お前こんな所で何してるんだ」

ディクルだった。

彼も今日はここで漁をしながら手掛かりを探していたのだろうか。

「ここの海草を取りに来たんだ。」

「それだけか?」

「それだけじゃないのなんて兄さんなら分かるだろ?」

今朝喧嘩別れしたままだったのでまだ言葉が荒い。

「僕は地べたに這いつくばってる時間が長いから。。」

 宙に浮かんで漁に時間を取られるディクルと違って地面、海底で採取するアルファンニの方が捜索出来る。そう言いたいのだ。

 それはディクルに伝わった。

「お前もお前なりに探してたんだな。」

「当たり前だろ、僕達の父さん何だから。」

「。。今朝は酷い事言って済まなかった。」

「ううん。兄さんが頑張ってるのは知ってるから。」

「でもこんな遠て危険な場所、一人で来るもんじゃないぞ。」

「それ、兄さんが言う?」

アルファンニは笑ってしまう。

「そうだな。俺が言えた事じゃないな。」

ディクルも笑う。

「じゃぁさ、漁は手伝えないけど今度から一緒に来ようよ。」

「そうだな、、ホントはお前に危険な事させたくないんだけど、一人で来てしまうなら着いて行こう。」

「もしかして、僕に漁を教えてくれなかったのってそれが理由?」

「、まぁな。二人で出掛けて二人共帰って来なかったら、母さんが悲しむだろ?」

「なんだよそれ。兄さん一人だって帰って来なかったら悲しむよ。」

 兄が家族の事を考えている事を知って嬉しい。


「ルルルー」

そこにあの声が聞こえた。

「!」

二人が見上げたそこに人魚が居た。

「あの時の人魚?」

「分からない。お前は下がってろ。」

「ルルルー」

 記憶が曖昧だか、あの時の女体に思える。

「一人じゃ危険だよ!」

「うるさい!あれは俺の女だ」

「え?」

 変な事を口にしてディクルは猛スピードで飛び上がる。

「キュン!」

人魚が声を出して逃げて行く。

 アルファンニではもう二人には追い付けない。

「兄さん、待って!」

それでも二人を見失った方へ追いかける。


 完全に見失ってからどれくらいたっただろうか。

直進して行ったとは限らないし、闇雲に廻っても見付かるとは考えにくい。

「どうしよう。。!」

立ち止まってゆっくり当たりを見渡すと変に魚が群がっている場所があった。

 魚を追いやると珊瑚の隙間に人魚がいた。

「キュン」

人魚の地声は歌声より響かず、可愛らしい。

 ディクルの姿は見えない。

「ディクル兄さんを知らないかい?」

「キュンキュン」

話せなくても理解しているのか、人魚は自分のお腹をさすりながら遠くを指差す。

「君、怪我してるじゃないか」

 彼女の脇腹に切り傷があり、血が漂っている。

 この匂いに魚が寄って来ていたのだろう。

「ちょっと待ってて、今手当てするから。」

どうも彼女に憎悪が湧かないし、魅入られる感じもしない。

「(本当はこんなもんなんじゃないかな。皆、思い込んでいるだけで。)」


 手当てを終えると人魚がすり寄って来る。

懐かれた様だ。

 ほぼ女裸体な姿ですり寄られては流石にどぎまぎしてしまう。

「兄さんが戻って来るかもしれないから元の岩場に戻ろう。」

そう思い立ち、去ろうとすると人魚に掴まれる。

「一緒に来たいのかい?」

「キュン!」

人魚は頷いて、ドキッとする程愛らしい笑顔を見せた。


 脇腹の傷で上手く泳げない人魚の手を引いて岩場まで戻る。

 ディクルは居ない様だ。

「そろそろ戻らなくちゃ。」

 ディクルはまだ探し廻っているのだろうか。

それとも諦めてその場で漁をしているのか、いずれにしても夜には家で落ち合えるだろう。

「君は村に連れて行けないから、ここにいなね。明日また来るけど、動ける様になったら気にせず帰りなよ。」

「キュン・・・」

人魚の不安そうな上目遣いに後ろ髪が引かれる思いがする。

「(明日、魚でも持っていってあげよう)」


 夜になってもディクルは帰って来ない。

「(もしかしてまだ探しているのかな。。)」

 とても心配している母に危険では無かったとしても、人魚に出会った事を報告する事は憚れた。



 その後は日々の仕事をこなし、採取に出掛ける時は早めに切り上げて岩場に向かう。

 人魚の傷は治っているのにその場を去ろうとはせず、アルファンニが来ると大喜びで寄ってくる。

「キュンキュン」

 岩場に座ってディクルの帰りを待つ彼の上に乗り、背中を擦り付けて抱っこをせがむ。

 年頃の男子には刺激が強かったが次なれると愛おしく思えてくる。

 次第に人魚に会いに来るのが目的になっている事にアルファンニは気付いていない。

「(体の構造が気になる)」

 村の薬師は外科や産婦人科も兼ねた医者の様な存在で、人体構造の知識が深い。

その為か人魚と人の違いに知識欲が湧く。

 人魚の腕を滑る様に触り、手首を掴んで持ち上げる。

指の間、第二関節まで水掻きがある。

「(エラなのに僕の泡の中でも息出来るんだな。口でも呼吸出来るのかな)」

人なら耳がある所にある人魚のエラに触れる。

「キュン!」

「ごめん、痛かった?」

 人魚が振り返り首を振る。心根しか目に熱がこもっている様に見える。

 膝から下の尾びれの皮膚の感触も他と変わらない。

 膝から上は内ももが触れ合っているが癒着してはいない。

ももの間に手を入れてスライドして確認する。

「キュン、キュン」

人魚が股に挟まれたアルファンニの手を押さえまた振り返る。

 熱っぽい表情をしている。 

「風邪かい?」

アルファンニはもう片方の手を額に当てる。

確かに熱っぽい。

「キュン」

人魚は額の手を取り乳房へと誘導する。

「ど、どうしたの?」

「キュン、」

人魚が焦れったそうに腰と腰を擦り合わせる。

 掌に柔らかい膨らみと鼓動を感じる。

「(心臓の場所も同じ何だな。。)」

と冷静に分析しながらも体全体が心臓にでも成ったかの様に脈打つ。

 内からの衝撃に耐えられなくなったアルファンニは人魚を押し退けて立ち上がった。

「キュン・・・」

人魚は指を咥えて悲しげに見つめる。

「ご、ごめん。今日はもう帰るね。また」

 逃げるようにその場を離れてもなかなか動悸は収まらなかった。



 何日かは村を出ずで過ごす。

 その間に何度も人魚の事を思い出しては鼓動が早くなる事に焦り、落ち着いたら安堵する。

そんな事を繰り返していた。

「あなた本当に大丈夫?ここの所ずっとのぼせた顔してるじゃない。」

久しぶりに採取に行く息子をウムが心配している。

 アルファンニにウムの心情は計り知れないだろう。

「大丈夫だよ。何ともないし、遠くまでは行かないから。」

 母に秘密にしているのは気が引けたが、何も悪い事はしていないし迷惑も掛けないようにしている。

「(もういなくなってるだろうからその確認だけ)」

アルファンニはそう思いながら岩場に向かった。


「いない・・・」

 岩場のいつもの場所、いつも座って居た場所に人魚は居ない。

 そうだろうと思って来たものの、実際にそうだと胸が締め付けられる。

 未練たらしいと思いつつも、それでも現れなかったら諦めよう、ここに来るのも終わりにしよう。

「おーい」

そう思って呼び掛けて見ると、

「キュン!」

岩場の影から満面の笑みで人魚が現れ、アルファンニに抱きついた。

「もう居ないと思ってたのに。。」

その方が良いと分かっているが、まだ居た事に内心喜び、彼女を強く抱き締める。

 そして、初めてキスをした。

人魚は行為の意味が分からないのかキョトン顔。

ただ、気恥ずかしそうに笑うアルファンニの顔を見て嬉しそうに笑う。

「アルファンニ!?」

 突然背後から男の声がした。

振り返ると村の漁師が四人。

「アルファンニ、それ、人魚じゃないのか?」

漁師達は驚きのあまりか目を見開いている。

「違う、この子は違うんだ!」

アルファンニが人魚を庇って背後に隠す。

「何が違うんだ?見るからにあの時の人魚じゃないか。。」

「最近、様子がおかしいと思って付けて見れば、、まさか魅入られていたなんて。。」

「違う、僕は魅入られてなんていない。」

 人魚が庇うアルファンニの腕に腕を回す。

「それの何処が魅入られていないんだ?お前の父親だって平然とした振りして魅入られてたじゃないか!」

一番年配で班長であろう漁師が怒鳴る。

「父さんも魅入られていなかった!」

「じゃぁ何で帰って来ない!?」

他の漁師が哀れみの表情を浮かべるなか、班長だけは完全に憎悪に満ちている。

「人魚を殺せ。」

「ルルルルルー」

全員が銛を構えると人魚が突然歌いだした。

「アルファンニどけ、お前をやる気はないから。」

 歌などお構いなしにアルファンニの背後を取ろうと取り囲む。

  ドスン

 一番若い漁師の脇腹に銛が刺さる。

「え?」

 その銛の持ち主は班長だった。

「お前達には遣らせない。俺がやる。」

 訳も分からないまま、もう一人も刺される。

「あんた、何やってんだよ!」

 最後の一人が班長に向かって銛を投げたが、頬を掠めただけだった。

そして彼も刺された。

「アルファンニ・・逃げろ・・」

「うるさい。あれは俺の女だ。」

 兄の最後のセリフと同じ。

あれが魅入られると言う事だと理解したアルファンニは振り返り人魚の肩を掴む。

「君は逃げろ!」

  ドスン。

 アルファンニが腹を見ると銛が貫通していた。

「キュン!」

「いいから逃げろ・・・」

膝を付き、力なく倒れ込む。

「これで邪魔者は居ない」

班長はもう銛を取らずにズボンの紐をほどく。

 兄もこんな風になってしまったんだろうか、そして父も自分と同じ様に誰かに遣られてしまったんだろうか、

体を包む泡は弾けて呼吸も出来ない。

 目も霞んでよく見えないが人魚が班長に向かって行くと、彼の首当たりの海水が真っ赤になって行く。

 気が付けば沢山の魚が辺りを覆っている。

 アルファンニも奴らの餌になってしまうのだろう。

 薄れ行く意識の中、不意に肺に空気が入る。

「キュンキュン」

 人魚が必死に息を口移ししてくれていた。

「違うキスがよかったな・・・」

 柔らかく滑る様な人魚の肌の感触に包まれなて、アルファンニは優しい表情で目を閉じた。

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どの世界でも人は人魚に魅入られる ツワ木とろ @tuwakitoro

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