【短編】喫茶店と女子高生と恋わずらい

橘つかさ

第1話

「はあ……」


 お客の姿が全くない喫茶店のフロアに、私――葵まゆらのため息が響く。

 予想以上に私のため息が響いたけれど、私は気にせずカウンター席に上半身を伏せて、追いため息をする。

 お客が多くてお店が忙しいと暇になって欲しいと願ってしまうけど、暇だとマイナス思考が私の中でグルグルと回って、ため息に変わってしまう。


「ちょっと、まゆらちゃん、十七歳のうら若き乙女がため息つくもんじゃないわよ。幸せが逃げちゃうわ」

「……大丈夫です。私、幸薄いんで」

「もー、若いんだから捻くれた反論しないの」


 私の言葉に、頬に手を当てながら、やれやれと肩を窄めるのは私の雇い主――喫茶店『ヤドリギ』の店長マスターだ。

 推定身長は百九十センチ以上で、肩幅も広く、筋骨隆々とした体格をしている。

 日本人離れした彫りの深い顔立ちに、高い鼻と鋭い目で、どこぞのヒットマンと言われれば誰でも納得しそうな外見をしている。

 バイトがなかなか見つからなかったとはいえ、よくこんな見た目の店長に雇われようと思ったものだ。数ヵ月前の私に何が決め手だったのか小一時間ほど訊ねたくなってしまう。

 あ、こんな強面な店長だけど、中身はオネェ系の優しい人なので、喫茶店ここのバイトはいたってホワイトです。

 バイトを始めたすぐの頃は、店長の外見と中身の差が激しすぎて、思考が飛びそうになることが多々あったのだけど、人間って、慣れるものよね。


「事実なんで、仕方ないです」

「ほらほら、ほっぺたを膨らませるんじゃないわよ。綺麗な顔が台無しよ」

「私なんて、綺麗じゃないですから」

「お母さん譲りの綺麗な顔しているじゃない。お目々は大きくてパッチリしてるし、鼻筋は真っ直ぐ。さらに色白でモチモチの卵肌と綺麗で癖のない黒髪。アタシなんて、お肌がデリケートで手入れが大変だし、何より癖っ毛だから、まゆらちゃんのストレートな髪が羨ましいわ」

「母は母。私は私なので。母がどんな顔でも、私には関係ないですから」


 私はカウンターに伏したまま、プイッと店長から顔を背ける。

 店長が私の母を知っているのは、母が何度か店に様子見をしに来たからだ。

 娘の私が言うのは身内びいきと思われそうだけど、母が街を歩けば芸能人かモデルと間違われる。

 学校でSNSに母の写真がアップされている報告を聞く度に、写真の削除を依頼したことだろうか。

 いつまでも若々しくて、綺麗な母。

 私にとって自慢であり、憧れのだった。

 今は「母親に似てきた」、「母親に似て美人」とか、母があって私がいるみたいな評価がたまらなく疎ましく感じる。

 私は私。

 母は母。

 母の評価の延長線上に、私を並べるのはやめて欲しい。

 

「……そんなことより、店長」

「もう、まゆらちゃん。アタシのことはママって呼ぶように言ってるじゃないの」

「ママって呼ぶのは、あきらかに喫茶店じゃないと思いますけど」

「大丈夫よ。この店はアルコールも取り扱ってるから」


 ちらり、と店長の様子を確認すると、準備満々とった笑顔。

 いつでも呼んでいいわよ、って雰囲気が店長の全身から放たれていた。

 でも、店長を見慣れていない人だったら、因縁をつけられたと思って逃げ出しているはず。

 私は店長の笑顔を無視して、言葉を続ける。


「私がシフトに入ってから、二時間は経過していますけど、まだお客が二人しかいないのは、問題じゃないですか?」

「そうねぇー。少し寂しい客入りだわ。新しいファミレスが近くに出来たみたいだし、お昼もガラガラなことがあるのよねぇ」

「……お店、経営とか大丈夫なんですか?」

「ふふふっ、心配してくれるの、まゆらちゃん。優しいわね」

「やっとの思いで見つけたバイトなので、経営不振で解雇とかなりたくないだけです」

「もう、素直じゃないんだから。お店の経営は、ぜんぜん大丈夫よ。まゆらちゃんには言ってなかったかもね。このお店はアタシの道楽でやっているようなものなのよ。だから、赤字経営でも全く困らないのよ」

「うわっ、汗水流して、赤字にならないように必死に経営している人が聞いたら、恨まれそうな言葉」

「世の中、色々な仕組みがあるのよ。綺麗に汚い、正直やズルも含めてね。清濁併せ呑むが大事なのよ」


 バチーン! と音が聞こえてきそうな店長のウインク。

 私は一瞬、意識がもっていかれそうになるが、なんとか耐え抜く。


「……嫌な世の中ですね」

「ふふふっ。本当にそうね。でもね、美味しいお料理だけしか食べたことなければ、何が美味しいお料理なのか、分からなくなるでしょう。不幸がなければ、何が幸せなのかわからないわ。何か判断するときは、比較する基準があって初めて出来るものよ。だから、綺麗も汚いも大事なことなのよ」

「それは欺瞞です。ただの屁理屈です」

「あらまあ。まゆらちゃんは、手厳しいわね」


 店長は頬に手をあてながら、苦笑する。

 対になる存在や事象があることで、判断基準が生まれることは理解は出来るけれど、それを免罪符にしていい理由はないと私は思う。


「ま、その話は置いておいて、まゆらちゃんが元気がないのは何故かしら? ため息の原因は何かしら? アタシは何となく予想がついているのだけどね」

「……暇だからため息をついているだけです」


 私は店長の視線から逃げるように、カウンターから上半身を引き剥がす。

 そのまま店の奥に体を向けて、店長に背中を向ける。


「まゆらちゃん、バレバレよ」

「な、なんのことですか?」


 店長の優しい声音。

 私は体勢を変えずに、店の奥を睨む。

 落ち着け、落ち着け、私。

 いつの間にか、肩から滑り落ちてきた自分の髪を、指にくるくる巻いたりして玩んでいた。


が来店しないから、落ち込んでいるんでしょう?」

「お、落ち込んだりしてないです」

「ふふふっ、本当にそうかしら?」

「ホントにホントに、な――」


――カラン、カラン


 私が店長の方に振り返ると同時に、店内に響くドアベルの澄んだ鐘の音。

 店長に言いかけた言葉を、私は慌てて飲み込むと、営業用の笑顔に切り替え――ることが出来なかった。

 ドアを通ってきた人物を視認し、私は笑顔どころか体も強張ってしまう。

 バクバクと心臓が破裂しそうなくらい鼓動し、私は金魚のようにパクパクと口を動かして酸素を求めてしまう。

 いつもなら直ぐに「いらっしゃいませー」と難なく出てくる言葉が出てこない。

 店長が私の方を、ちらりと確認してわずかに肩を窄めてから、現れた人物に声をかける。


「いらっしゃい、ケーくん。今日はお店うちに来ないと思っていたわよ。いつもはもっと早くお店に来るのに、珍しいわね」

「そーっすね。ま、なんとなくっす。あとマスター、ケーくんって呼ぶのは、どーにかして欲しいんっすけど」

「ふふふっ、それは難しい相談ねぇ。ケーくんは、名前が健太郎だから、仕方ないじゃない。常連さんは愛称で呼ぶのがアタシのモットーなのよ。文句があるなら、ケーちゃん、って呼ぶわよ」

「それは、勘弁っす……」


 店長の言葉に苦笑しながら、お店に現れた人物――小野健太郎さんは、慣れた足取りでフロアの奥にあるテーブル席――いつもの席に座る。

 健太郎さんは、店長より身長が低いが、百八十センチ近くあると思う。

 痩せているわけでもゴツいわけでもないけど、薄いストライクの入ったグレーのスーツを着こなして、颯爽と歩く姿に、私は見惚れてしまう。

 健太郎さんは、イケメンと言うわけではないけれど、男らしさと優しさが合わさったような安心感のある顔立ちをしている。

 年齢は二十七歳で、私よりも十歳上と聞いているけれど、童顔なので大学生と言われても全然違和感がない。

 ぼんやりと健太郎さんを眺めていたことに気づき、私は慌ててカウンター席から立ち上がる。

 どうしょう、健太郎さんがお店に入ってくるなんて予想してなかったから、挨拶すら出来ていない。

 健太郎さんに、愛想がないって思われていたらどうしょう。


「まゆらちゃん、ボーッとしてないで、ケーくんにお水とメニューを出してきなさいよ」

「は、はひっ!」


 店長の声にビックリして、思わず変な声が出てしまう。

 健太郎さんには聞かれたかと思うと、恥ずかしくて死にたい気分になる。

 店長が「失礼ね」とボヤいているけれど、私はそれどころではない。

 無意識にきつく握りしめていた両手をほぐすように、ゆっくりゆっくりと開く。

 何度かグーパーを繰り返し、手が滑らかに動くことを確認してから、私は店長が用意してくれた銀色のトレイ――お冷とメニュー、伝票の乗った――を受け取る。


「まったく、見つめるだけで思考がフリーズするなんて重症よ、まゆらちゃん」

「み、み、みつめてないです! 急にお客さんが来たから、思考が追いつかなかっただけです!」

「本当に? さっきまでの幸薄そうなオーラが見当たらないのは何故かしらね」

「お、お客さんが来たから、しゃんとなっただけです! 他意はないです!」


 私の反論に「はいはい」という表情で、店長は右手で払うような仕草をしてくる。

 脳内に「さっさと行きなさい」という店長の声か聞こえてくる。

 反論したい気持ちをグッとこらえながら、私は深呼吸する。

 どうかヘマをしませんように。

 心の中で祈ってから、私は健太郎さんの座るテーブル席に歩み寄る。

 背中に感じる店長の視線がとても鬱陶しい。


「い、いらっしゃいませ、健太郎さん。お久しぶりですね」

「こんにちは、葵さん。久しぶりって、そうだっけ?」

「は、はい! この前お会いしたのは、半月くらい前だから、十七日ぶりくらいです!」

「あれ、そんなになるんだ。ここ半月で二、三回くらいは、喫茶店ここに来たはずだけど、意外と遭遇しないものなんだね。葵さんは、結構シフトに入っていたの?」

「実は、学校の試験期間だったので、ほとんどシフトには入ってなかったんですよ……。私、頭良くないから、赤点取らないように必死で勉強してました」


 赤点をとってバイトを辞めさせられたら健太郎さんに会えなくなるから、とは口には出せなかった。

 もし、口にして健太郎さんにサラリ流されたら、私はたぶん立ち直れない。

 私の言葉に、健太郎さんは柔らかく笑う。

 同時にドキッと私の胸が弾む。


「俺も学生の頃は、毎回赤点にならないように必死だったなー。毎日部活の練習ばかりで、勉強は二の次だったからさ」

「そうなんですか? 健太郎さん、頭良さそうなのに」

「はははっ、俺なんて頭どころか顔も性格も悪いよ。悪くないのは鼻と耳くらいだよ」

「そ、そんなことないです! 健太郎さんの顔は悪くないです。店長みたいに強面でもないし」

「ありがとう、お世辞でも嬉しいよ」


 お世辞じゃない、という言葉は、私の喉で引っ掛かって出てこなかった。

 私は情けなさに内心、泣きたい気持ちになってしまう。


「でも、店長と比較されるのはツラいな。だって、店長は普通の格好していれば、絶対イケメンだよ。繁華街を歩けば、何人もの女の子から逆ナンされると思うよ」

「えー、そうですか」


 私は頭の中で普通の格好をしている店長を想像してみる。

 うん、全然想像できない。

 いつもの胸元を明けたのブラウスに、ピチピチのスラックス。フリルがたくさん付いたエプロン。

 私の脳裏に焼き付いている店長の姿が強烈過ぎて、それ以外の姿を想像することが出来なかった。

 そもそも、健太郎さんを目の前にして、他のことを考える余裕なんて私には一切ない。

 むしろ別のことを考えると、健太郎さんの目の前でヘマをしてしまいそうで怖い。


「はははっ、店長が他の格好をしているのは、想像しにくかったかな。それより、葵さんのテストの結果は、どうだったの?」

「結果は……まだなんです。赤点は全て回避したつもりなんですけど……」

「あら、そうなんだ。良い点数が取れていればいいね。いつも赤点ギリギリばかりだった俺が言うのもなんだけど、勉強はしておいて損はないと思うよ」

「そうですか? 学校で習うことなんて社会で役に立たないってよく聞きますよ」

「んー、将来の選択肢が狭まらずに済むから、かな。学力がないと進めない道とかあるからね。ま、アーティストとか芸術系に進めば勉強は関係ないかもね。でも、才能がなけりゃ続けられない厳しい世界だけどね」

「健太郎さんもアーティストになろうと思ったことがあったんですか?」

「無かった、というと嘘になるかな。ま、俺には色々足りて無かったね。才能とか情熱とかね」


 ふと、健太郎さんの笑顔に寂しさが混じる。

 私、なんか変な話しちゃったのかな。

 少し不安な気持ちに私がなっていると、健太郎さんはいつもの笑顔に戻っていた。


「あ、長々と話し込んで、ごめんね。注文はいつものコーヒーセットで」

「はい。わかりました」


 私は伝票に席の番号と注文を書き込む。そして、カウンターに戻ると店長に伝票を手渡す。

 ふぅ、と私は思わずため息をつく。

 もう少し話し込んでいても、店長は文句言わないのに。


「まゆらちゃん、お客さんが来なかったら、メニューを運んだあとに、ケーくんとお喋りしていいわよ」

「――ッ! 店長!」


 私は目を見開いて、店長の方を見る。

 店長は柔和な笑みを浮かべながら、手早く健太郎さんの注文したコーヒーと自家製チーズケーキの準備をしていた。

 さすが店長。店員の気持ちを汲んでくれる出来る人。

 店長の粋な計らいに私のテンションは最高潮になる。

 が、こういう時に限ってお客さんが急に増えるのは何故だろう。

 結局、客足が落ち着いた頃、店内に健太郎さんの姿はなかった。

 私って、幸薄いなぁ。

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