第55話 王に愛されし姫の目覚め
「パールの指輪……」
「クレイル、ティアラにはめるから返してくれ」
「…………」
ティアラローズとアクアスティードの寝室。
レヴィから海の妖精王の指輪を受け取り急いで戻って来たのだが――クレイルが指輪をじっと見つめてくるため、ひどくやり辛い。
眠っているティアラローズに変わりがないことを確認して、「ただいま」と声をかける。
レヴィの持ってきた指輪が本物かどうか、クレイルに確かめてもらった。
もちろん、触れた瞬間に強大な魔力を感じ取ることは出来る。だが、それだけで本物と決めつけるわけにはいかない。あの人間離れした執事が、何か仕込みをしている可能性だってある。
「……せっかくパールの指輪がこの手にあるのに、渡さないといけないなんて」
しぶしぶと、しかしちゃんとアクアスティードに指輪を渡すクレイル。
「いいだろう、お前は本物のパール様の宮にいつもいるんだから」
「言うねえ、アクアスティード」
「余裕がないからな」
一刻も早くティアラローズに指輪をはめて、眠りから目覚めさせたいのだ。クレイルとの雑談をしている時間がもったいなく、早くしなければと気持ちが急ぐ。
――本当に、アクアスティードはティアラローズが好きだね。
クレイルは、余裕のないアクアスティードの姿を見てくすりと笑う。
指輪を受け取り、すぐにティアラローズの手を取るアクアスティード。 その姿は健気で、自分が祝福を与える対象として愛おしく思う。
アクアスティードの指に、クレイルの指輪。
ティアラローズの指に、パールの指輪。
相思相愛の二人が揃いで持つのは、たとえパールの指輪だったとしても――どこか心地よいものをクレイルに与える。
指輪に、互いを重ねてしまう。
自分たちも指輪を持つ二人のように、相思相愛になれたらいいのに。
寂しそうに微笑んで、クレイルは二人の様子を見つめた。
「ティアラ……早く起きて、いつもの笑顔を見せて」
「……んぅ」
綺麗な真珠の付いた指輪を、アクアスティードはそっとティアラローズの左手小指にはめる。どうか目覚めてと、祈るようにティアラローズを見つめる。
温かなティアラローズの指先に口づけ、目が開くのをただ待つのみ。少しだけ震える睫毛を見て、息を呑む。
「ティアラ、ティアラローズ……っ」
ぎゅっと手を握りしめ、何度も名を呼ぶ。
早く返事をして。
いつものように、アクアと名前を呼んで。
そうしたら、ティアラと呼び返すから。
「……ん」
「ティアラッ!!」
「…………」
綺麗な青色の瞳が、アクアスティードの目に映る。
ああよかったと安堵したのも束の間で、ティアラローズはすぐにその瞳を閉じてしまった。少し身じろぎをするも、規則正しい寝息を立てて起きる気配がない。
「ティアラ……?」
アクアスティードはティアラローズの頬に触れて、呼びかけるが――瞳はかたく閉じられている。
「指輪をはめたのに、なんで……」
「馴染んでないから」
「え? ああ、指輪が馴染むのに一日必要だったか」
アクアスティードの問いかけに、クレイルがさらりと答える。
すぐにでもティアラローズに目覚めてほしいのに、一日も待たなければいけないなんて……と、唇を噛みしめる。
「私がもっと強かったら、よかった」
「アクアスティードは十分強いよ。ティアラローズが起きるまで、眠って待てばいい。自覚はないだろうけど、アクアスティードの体も十分疲れているし、休んだ方がいい」
その方が、指輪も体に早くなじむ。そう言われてしまっては、アクアスティードも頷くしかない。
「……わかった」
クレイルがぽんとアクアスティードの背中をたたいて、休むようにと促す。
すぐに頷き、ティアラローズの手を取ってアクアスティードは眠りについた 。
◇ ◇ ◇
海の波がゆらめくような、穏やかな眠りから――ティアラローズが、目を覚ます。
寝すぎてしまったためか、体が固まっていてうまく動けなかった。
何度か目を瞬かせると、ベッドの天蓋部分が見えてくる。綺麗な装飾がなされていて、自分のベッドはこんなにも豪華だっただろうかと……そんな疑問がうかぶ。
――とりあえず、起きないと。
喉が渇いてしかたがないので、 水がほしい。
そう思い体を起こそうとすると、甘く優しく、そしてひどく心配する声が――ティアラローズの耳に届いた。
「ああ、よかった……ティアラ。どこか体が痛いとか、苦しいとかはない?」
「……? ええと、はい。少し、のどが渇いてるくらいで……」
「すぐに水を用意する」
そのまま寝ていてと、告げられる。
ぱちぱちと瞬きをして、ティアラローズは水差しを用意している男の姿を見る。誰かと、そう問われたなら誰だかはわかる。
アクアスティード・マリンフォレストだ。
続編ゲームのメイン攻略対象で、自分の大好きなキャラクター。学園に留学にきていたから互いのことを知っているかもしれないが、なんの接点もなかったはずの人物。
――どうして、ここにアクアスティード殿下が?
しかも、自分の世話をしてくれているように見える。
「……ここは、どこ?」
視線で部屋の中を見回すと、自分の部屋よりも立派だということがわかる。そして多く使われた珊瑚の装飾があることから、マリンフォレストに関係する人物の部屋ではと思う。
つまりアクアスティードの自室だろうか?
――いや、それはないでしょう。
「ティアラ、水だよ。飲める?」
「え、あ……はい」
「ゆっくりでいいから」
「……あ、ありがとうございます」
起き上がろうとするティアラローズの背中に手を添えて、アクアスティードはグラスに入った水を差しだす。震えて落とすといけないと思い、手を添えると、ティアラローズがぎこちなく微笑む。
――ティアラ?
受け取った水を飲んではいるが、ティアラローズの様子がおかしいことに気付く。ずっと寝ていたから体が痛いのかと思ったけれど、何か違う。
――私が守れなかったから、失望した?
「ティアラ……」
嫌われてしまったのだろうかと不安になり、ティアラローズの名を呼ぶ。みっともなく声が掠れていて、ひどく不安定な自分に笑ってしまう。
呼んだ声に反応して、ティアラローズの体がびくりと揺れる。
ああ、いつものティアラローズじゃない。
「私が守りきれなかったから、ティアラを危険な目に合わせてしまった。……それは本当に申し訳ないと思うし、悔しくて仕方がない」
「……あ」
「ごめん、ティアラ。――守れなかった私に、ティアラを好きでいる資格はない……?」
きょとんとしたように、大きく目を見開くティアラローズ。
どうしようもなく好きで、愛おしいという感情があふれ出て、かき抱くようにティアラローズを己の腕の中へ閉じ込める。
グラスが放り出されてシーツが濡れることにも厭わず、その首筋に顔を埋めた。
お願いだから、抱きしめ返して。
そう願ったのは、間違いなくアクアスティードの欲だ。
「あの、えっと、わ、わたくし……っ」
震えるティアラローズの声が、アクアスティードの耳に届く。
しかし続けられた言葉は、アクアスティードがまったく予想していないもので。
「どうしてアクアスティード殿下が、ここにいらっしゃるのでしょう?」
「……え?」
「もちろん、アクアスティード殿下のことは存じています。ですが、わたくしたちに接点はなかったと思うのですが……」
困ったように眉を下げるティアラローズを見て、そんな馬鹿なと……アクアスティードは目を見開く。だって、これではまるで――。
「ティアラ、私のことは……知っているの?」
「もちろんです。学園のクラスも同じでしたし……」
アクアスティード殿下を知らない人なんていませんわと、ティアラローズが微笑む。それと同時に、恥ずかしいから離してほしいと告げられる。
「あ、ああ……」
「わたくし、少し記憶があやふやで。どうしてここにいるのでしょう?」
「…………」
――記憶が、なくなっている?
それでも、自分のことは覚えてくれていることに安堵する。
「ここは、マリンフォレストだよ、ティアラ」
「え? ああ、そうでした。わたくし、マリンフォレストへ来て――でも、どうしてマリンフォレストへ来たのだったかしら……?」
こてんと首を傾げるティアラローズ。
ここ一年ほどの記憶がなくなっているのかと思ったけれど、どうやらそうではないらしい。
アクアスティードは戸惑うティアラローズを落ち着かせようとして、背中を撫でる。――が、びくっと体を揺らされてすぐに手をどける。
自分と婚約し、結婚したという記憶がすっぽり抜けてしまっているのだ。
ティアラローズは顔を赤くしながら、「申し訳ございません」と謝罪の言葉を口にする。彼女が何かを謝らなければいけないなんて、あるはずないのに。
そして不安そうにしながら、ティアラは侍女のフィリーネはいないかと言う 。
「ああ、そうだね。すぐに呼んでくるから、もう少し寝ていて」
「ありがとうございます、アクアスティード殿下」
――わたくし、どうしてしまったんだろう。
アクアスティードが出ていくのを見ながら、ティアラローズは再びベッドへもぐりこむ。夜着のままだし、フィリーネがきてから着替えて軽いストレッチで体をほぐそうと考える。
すぐにフィリーネが寝室のドアを開けて、駆けよってきた。
「ティアラローズ様!!」
「フィリーネ」
「よかった、ご無事で……! どこかご不便なところはございませんか?」
涙を流しながら心配するフィリーネを見て、自分は思っているよりも深刻な状態に陥ってたことを察する。熱を測り、丹念にティアラローズの体をマッサージしてもらう。
「フィリーネ、わたくし……」
「大丈夫ですよ、ティアラローズ様。今はとりあえず、ゆっくり休んでくださいませ」
「…………でも、アクアスティード殿下がいらっしゃったのよ? 休んでいるなんて、出来るわけ……」
王太子であるアクアスティードを放っておいて、寝ているのは不敬ではないか……と、ティアラローズはフィリーネに告げる。
「不敬ではありません。アクアスティード殿下はティアラローズ様のことをとても心配されていますし、まず体調を整えるように……と、お言葉をいただいております」
「アクアスティード殿下が……? どうして、わたくしをそんなに気にかけてくださるのかしら」
何か迷惑をかけてしまったのだろうか。
気になって仕方ないけれど、アクアスティードが寝ているように言ったのであれば今はそうするのがいいのだろう。
――後日、きちんとお礼をしないと。
今日一日はこのまま寝ていてくださいと、フィリーネが笑顔で告げる。
眠くないと言える雰囲気ではないので、ティアラローズは渋々ながらも了承の返事をする。せめて本か何かを読みたいと告げると、出来る侍女は快諾してくれた。
「紅茶も入れますね。それから、お菓子は……もう少し落ちついてからにしましょう。今、体に優しい料理を準備してもらっていますから」
「ありがとう」
「それから、何かあればまっさきにわたくしに相談してくださいませ」
「ええ」
ほかのメイドたちに聞かず、必ず自分を呼んでくださいとフィリーネが強く言う。
まずは現状、そしてこれからのこと。また改めて、明日以降に話をしようということで落ち着いた。
「食事の前にお医者様がいらっしゃいます。その後で、本をお持ちしますね」
「わかったわ」
それまでしばらくお休みくださいと告げ、フィリーネは寝室を後にした。
◇ ◇ ◇
フィリーネが寝室から出るとすぐに、アクアスティードはティアラローズの様子がどうだったかと詰めよった。
「体調などは……問題ないようでした。ですが、やはりアクアスティード殿下と過ごしていた間の記憶はないようでした」
「……そうか」
ぎゅっと拳を握り、フィリーネはアクアスティードを見つめる。
彼のことを覚えていない自分の主人は、この後どうなってしまうのだろうか。
あれだけ溺愛しているのだから、悪いようにされはしないだろう。
でも。
記憶のないティアラローズのことを、自分が愛したティアラローズだとアクアスティードが認識しなかったら?
ラピスラズリに帰って養生を……と、言われてしまったらどうしようか。幸せそうに笑っていたティアラローズには、たとえ記憶がなくてもここにいてほしい。
「アクアスティード殿下、ティアラローズ様のことは……っ」
不安になりながらも、フィリーネはアクアスティードに問いかけた。
自分の不安が伝わったのだろう、優しく微笑みながらアクアスティードは「大丈夫」だと口にする。
「何度だって、ティアラを愛するし、何度だって愛してもらう自信がある」
だから気にすることはないと、アクアスティードは寝室の扉に目を向けた。
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