第42話 ティアラローズの花

 きらきら輝く虹を見ながら、ほっと一息つく。

 パールが津波を起こしてしまったときはどうなるかと思ったティアラローズだが、無事に食い止めることが出来て少しだけ自分に自信を持つことが出来た。


「ふぅ……」

「大丈夫? 普段、魔法をあまり使わないから疲れたでしょう」


 支えるように、アクアスティードがティアラローズの腰に腕を回す。「よく頑張ったね」と微笑みながら、ハニーピンクの髪を優しく撫でる。

 小さく頷いて、ティアラローズも甘えるようにアクアスティードへと寄り掛かった。水しぶきを浴びて、互いの服がびしょ濡れだということに気付く。

 着替えないとなぁとぼんやり思い――しかしふと、気付く。


「アクア様」

「ん?」


 勢いよくアクアスティードを見るティアラローズに、若干驚きつつも優しい笑みは崩さない。


「うぅ……」

「ティアラ?」

「いえ、なんでもないんです……」


 ――アクア様、水も滴るいい男だ!

 ダークブルーの髪から伝い落ちる雫が、色っぽい。

 そっと手を伸ばすと、アクアスティードが嬉しそうに頬を緩める。前髪の雫を払うように触れて、その冷たさにほんの少し指が震えた。


「ティアラの手、あったかいね」

「! いえ、その……すみません。濡れてる手で触れてしまって」

「もっと触って欲しいくらいだけど?」

「きゃっ」


 ぐいっとアクアスティードに手を引かれ、抱きしめられる。

 濡れていて冷たいはずなのに、どうしても熱いと感じてしまう。心臓がどきどきとうるさいほどに音を立てているからだと思いつつも、その安心感にティアラローズは身をゆだねる。


 甘い二人きりの世界がそこで繰り広げられているのだが――緑色の妖精王が素直に黙っているわけもなく。


「おい、お前ら俺たちがいるのを忘れてんだろ」

「まぁまぁ、アクアスティードも頑張ったのだしいいじゃない。っと、風邪を引いたらいけないから服を乾かしてあげるわね」


 キースをなだめるようにクレイルが声をかけ、そのまま風をあやつりティアラローズとアクアスティードの服を乾かした。

 心地よい温風で、さすがは妖精王だとティアラローズは感心した。アクアスティードも風をあやつることは出来るが、ここまで完璧に温度調整をすることは出来ない。


「助かる」

「ありがとうございます、クレイル様」


 まるでお日様のもとに干したようだと、自分のふわふわと温かいドレスを見て思う。


「ティアラ、お前の花――らしい、な」

「え?」


 荒れた砂浜に咲く花を見ながら、キースは笑う。

 ティアラローズの魔力で咲いた花は、綺麗な大輪のピンク色だ。けれど、別段おかしなところは見受けられない。ティアラローズは首をかしげつつ、アクアスティードと一緒に花まで歩く。


 最初に花の違和感に気付いたのは、アクアスティードだ。

 実は大輪の下に小さな袋のようなふくらみがあり、そこに何かが入っているようだった。


「……? なんですか、それ」

「中に何か入っているみたいだけど、なんだろう。粉っぽいけど。ティアラの花だから、ティアラが開けてごらん」

「はい……」


 アクアスティードに促されて、ティアラローズが花を摘む。

 ふわりと甘い香りが鼻をくすぐり、頬がゆるむ。


 ――でも、この袋は何だろう。

 苺くらいの大きさで、振るとサラサラと何かが入っている音がする。そっと袋を破くと、姿を見せたのは白い粉だった。


 ――これって、もしかして……。

 じいっと白い粉を見るティアラローズの横で、アクアスティードは首をかしげる。どうやらそれが何なのかまったく予想がつかなかったらしい。

 答えを知っているらしいキースは、その様子をにやにやしながら横で眺めていた。


「ねぇ、キース。あれって何なの?」

「ティアラの好きなものだよ」

「えぇ? ティアラって、粉が好きなの?」


 クレイルはキースに尋ねて、帰ってきた答えに驚く。まさかティアラローズが怪しい粉を好きだなんて思ってもいなかったからだ。

 けれど、ティアラローズはキースの言葉でこれが何かを確信した。


 ちょいっと指先につけて、ぺろりとなめる。


「ティアラ!?」

「んん、大丈夫ですよ。ほら」


 突然の行動に驚いてアクアスティードは声をあげるが、ティアラローズはにこにこと笑うばかり。まったく害はないのだと、自分の指に白い粉――最上質の砂糖を差し出した。


「さすがはティアラと言うか、なんというか……」

「?」


 ふうと息をつかれて、ティアラローズは頭に疑問符を浮かべる。

 アクアスティードは理由を説明することなく、おもむろにティアラローズの手を取りその指先を口に含む。味わって舐める赤い舌を見て、ティアラローズは息を呑んだ。


 ――わわ、わ、わわたくしなんてことを!!

 無意識に、アクアスティードへ自分の指を差し出してしまった。それを口に含まれるなんて、まったくもって予想をしていなかったのに。


「あ、あくあ様……」


 ぬるりとした感触が、指先から伝わってきてびくりと震える。


「ん、ティアラの指は甘いね」

「うぅ――っ」


 一瞬で顔が真っ赤になって、耳まで熱を持つ。けれどどうしたらいいのかわからなくて、アクアスティードにされるがままだ。――が、そこへ割り込んでくるのは強者のキースだ。


「いい加減にしやがれ羨ましいことしやがって」

「ティアラは私の妻だ」


 べりっとキースにより引きはがされるが、アクアスティードも負けずにティアラローズを抱きしめ返す。


「まったく、二人とも仲良くしなさいよねー」


 それをやれやれとクレイルがなだめつつ、最上質の砂糖を手に取る。なるほどねと頷きながら、ぺろりと舐めて「甘いわね」と笑う。

 この砂糖があれば、ティアラローズが作るお菓子の質が上がるだろう。そのため、キースはこれをティアラローズの好きなものだと言ったのだ。


 クレイルの言葉を聞き入れないキースはアクアスティードとバチバチ火花を飛ばしつつ、海へ向かって歩き始めたクレイルに「行くのか」と言葉を投げる。


「ええ」


 簡潔にクレイルが返事をして、誰もが口を噤む。


 ――パール様のところに、行かれるんだ。

 どうしてこんなにもこじれてしまったんだろうと思いつつ、さすがにパールはやりすぎたとティアラローズも思っている。


 ――もしかして、クレイル様は愛想をつかしてしまったり……とか?

 真剣な顔で海を見るその姿に、嫌な汗が流れる。いつも、パールが好きなのにと笑うクレイルの顔ではなかったから。


「キース、パール様は……」


 ――どうなるの。

 とは、さすがに言葉に出来なかった。

 いつもチャラチャラしているキースから、真剣みの帯びた声色で返事が返ってくる。


「……別に、どうにもなりはしない。俺たちは妖精王だから、人間に計られるようなことは何もない」

「なら、クレイル様は……」


 どうして、パールの下へ向かおうとしているのか。嫌な汗が、背中を伝う。

 不安に歪んだティアラローズの顔を見て、キースは気にするなと軽く言い海へと向かったクレイルを送り出す。


「今回のことで、一番怒ってるのはクレイルだろうな」

「!」

「俺は別に、クレイルほど人間が好きなわけじゃない。実際、森はあまり人間に祝福を贈らないだろ?」


 キースの言葉を聞き、確かにと頷く。

 今、森に祝福を与えられているのはティアラローズだけだ。それはこの国でとても特別で、他国から嫁いだティアラローズの地位を助ける役割もしている。


「もともと、クレイルは人間が好きだからな。アクアスティードにも協力的だっただろう?」

「そうだな。この国の情報すべてをクレイルが把握していると言っても過言ではないな」


 空から掴む情報は、幾千にも渡る。

 けれど、クレイルが一番気になった綺麗な花は――海の中。

 もちろん、妖精王の情報をやすやす得ることが出来るわけではないのだが、地上にいるキースと海の奥底にいるパールとではやはり差がある。


「クレイル様、大丈夫かな……」

「さぁな。まぁ、クレイルのことだからうまくやるとは思うが――……」

「あいつ、女装趣味の変態だけど、切れると怖ぇからなぁー」


 ぶふっと笑いながら、キースがクレイルとパールが対面したときのことを想像して笑う。


「キースってば! 笑いごとじゃないでしょう……」

「笑いごとだよ、こんなん。まぁ、パールのことはクレイルに任せればいいだろ」


 大丈夫だと軽く言うキースに不安になりつつも、ティアラローズたちはパールの下へ行くことも出来ない。大人しく荒れた砂浜を片付け、しぶきとなった海水の雨は問題ない旨を街へ伝えなければならない。


 騎士を派遣するために城へ戻る話を始めると、アイシラの乗った馬車が止まる。

 中から出てきたのは、アイシラ。それからフィリーネとエリオットだ。


 ――ぐったりしてる?

 降りてきた三人はぐったりとしていて、ティアラローズはほかにも何か問題があったのかもしれないと気を引き締める。


「……!」

「……エリオット?」

「ひでぇ顔面だな、おい」


 思わず息を呑むティアラローズに、訝しむアクアスティード。キースにいたってはストレートに感想を述べた。

 視線の先にいるのは、泣き続けているエリオットだ。


「そうか、確か惚れ薬を飲んだんだったか……。エリオットは毒物に対する耐性が高いから、問題ないものだとばかり思っていたが――」


 どうやら、多少は効いていたようだ。

 しかしここに解毒薬はないし、妖精王の薬なのだから解毒剤そのものがあるかもわからない。さてどうしようかとアクアスティードが考えたところで、アイシラが声をあげる。


「ええと、わたくし……」

「いや、アイシラ嬢が気にすることではない。すまなかった、おいてきてしまって。エリオットに何かされたりは……」

「いいえ、何も」


 アイシラの言葉にほっとして、アクアスティードはエリオットを見る。


「わ、わたくし、パール様にお願いして解毒薬をいただいてまいります!!」


 今、パールが住む宮に行くことが出来るのは海の妖精に祝福をされたアイシラだけだ。惚れ薬の話題が上がっていたたまれない気持ちになったということもあるけれど――これ以上、エリオットを薬で気持ちが捻じ曲げられている状態にさせたくはないと思ったのだ。


「アイシラ様!? 今、クレイル様が行ってらっしゃるので――」


 ティアラローズが急いで止めようとするが、アイシラの耳には届いていなかったようで、ぱしゃんと海に飛び込む音が聞こえる。

 そしてそれに続くようにエリオットがアイシラを追いかけて海へと飛び込んだ。


「えぇぇっ!?」

「…………」


 呆れた顔でため息をつくアクアスティードと、笑いをこらえるキース。

 どうしてこんなにも冷静にしているのだとティアラローズは思うが、とりあえず全員が無事パールの下から帰ってきますようにと祈った。

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