第13話 それぞれの婚約者

 ヒロインであるアカリが聖なる祈りに目覚めたという話は、一切聞かないまま10日が過ぎた。

 その間、ティアラローズは一度も城へは行かずに屋敷で過ごす。アクアスティードが1日置きに尋ねてきてくれるが、聖なる祈りに関する話は何もない。


 ――アクア様も、知らないのかな? それとも、知っていて私に隠している?


 王族が黙秘している情報を、個人的に知っているからと誰かに聞くわけにはいかない。

 おそらく父親であるクラメンティール侯爵は把握しているだろうが、ティアラローズ自身が知っている理由を説明できないため話すことが出来ない。


「ティアラローズ様、花嫁修業の支度が終わりました」

「ありがとう、フィリーネ。これでいつでも、マリンフォレストへ向かえるのね」


 ティアラローズは父親と話し、マリンフォレストへはフィリーネを連れて行くということで落ち着いている。1年間の花嫁修業を終え一度帰還する際、今後のことをもう一度話すのだ。

 フィリーネ曰く、そんなことをしても継続するから大丈夫ですと胸を張って言える。けれどまだ若い。何かあった時のために、一度期間を区切るのだ。


 花嫁修業の準備は終わったのだが、出発する目処はまだ立たない。

 ティアラローズは、アカリの件に決着がつくまでは移動が難しいのではないかと思っている。

 本来ならば、大国であるマリンフォレストのアクアスティードが居るとあまり良くないのでは……とも思う。

 しかし逆に、アカリを手に入れてからアクアスティードに報告をするというのがスマートだ。

 そうすれば、横からアカリを奪われることもない。聖なる祈りを使える者は、保護することが世界で暗黙の了解とされている。


「でも、いったいいつ頃出立するんでしょう。アクアスティード殿下も、そろそろ帰国なさらなければならない時期でしょう?」

「そうですね。もともと、アクア様がここへ留学するのは1年間の予定でしたから」


 ――お願いだから、早く色々と解決して!


 ティアラローズも、こればかりは早く解決するようにと祈るしかない。不安になりつつも、アクアスティードからの連絡を待つしかないことがもどかしかった。




 ◇ ◇ ◇


 それから数日が経ち、アクアスティードから改めて会いにいくという連絡がきた。

 やっと詳細が決まったのだろうかと思い、ティアラローズはほっと胸を撫で下ろす。父親からも悪い知らせは何もないので、アクアスティードの訪問を心待ちにした。


「フィリーネ、ケーキは焼けたかしら」

「はい。美味しそうに出来上がっています」

「なら、わたくしの部屋に用意しておいてもらえる?」


 いつもは庭園のテラスでお茶をしていたのだが、あいにくと今日は曇り。応接室でと思ったのだが、もうすぐ旅立つことを感じるとなんとなく自室が恋しくなってしまったのだ。

 友人を招いては部屋で女子会をしていたのも楽しい思い出だと、ティアラローズは思う。


「……でも、幸せだからいいのよね」


 えへへと頬を緩ませていれば、使用人が馬車の来訪を告げた。

 アクアスティードが馬車から降り、窓から覗くティアラローズを見付けると嬉しそうに微笑んだ。すぐに使用人に案内をされ、アクアスティードはティアラローズの部屋へと行く。


「最近あまり来れなくてすまない。色々と準備に手間取ってしまって」

「いいえ、お気になさらないでくださいませ」


 2人きりになった途端、アクアスティードはぎゅっとティアラローズを抱きしめる。

 そのまま申し訳なさそうに謝罪をするが、忙しいことくらいティアラローズも承知だ。なので、我がままを言ったりはしない。


「でも、そのおかげで処理が全部終わったよ。待たせてごめんね?」

「大丈夫です、お気に、ん……っ!」


 小さな声で「会いたかった」と呟いたアクアスティードの声は、果たしてティアラローズに届いただろうか。その言葉を自ら飲み込むように、ティアラローズに唇を重ねた。

 しかしすぐに唇は離されて、額に、目元に、頬にと……慈しむように次々と触れていく。


「ん、アクア様……」

「今日も可愛い、ティアラ」

「……うぅ」


 嬉しそうに微笑むアクアスティードを見て、ティアラローズの頬は赤くなる。会いたかったのは、ティアラローズだって同じなのだから。

 自分からもその意思を告げるように、けれど抱きつくのは少し恥ずかしかったので――ティアラローズはアクアスティードの胸に頬を寄せることにした。


「あぁもう、本当に可愛い。もう一度、口づけてもいい……?」

「……っ!」


 ティアラローズの髪に顔を埋めながら、アクアスティードがもう一度と懇願する。

 さすがに、自分から「はい」と言うのは恥ずかしい。けれど、アクアスティードの手は優しくティアラローズを撫でて返事を待っている。


 ――どうしよう。こういう場合、どうしたらいいの!?


 口づけ自体、数回しかしたことがないのだ。

 もちろん、アクアスティードに口づけられることは嫌ではない。どう答えようかと、ティアラローズが胸から顔を離して見上げてみる。

 そうすれば、「ん?」と微笑まれて、頬に口づけが降る。思わず目を閉じれば、アクアスティードは了承と受け取ったようで、再びティアラローズに唇を寄せる。


「……ん」


 優しくティアラローズの髪を撫でながら、アクアスティードはさらに二度、三度とついばむように口づける。甘い吐息がティアラローズから漏れると、抱きしめる腕に力を込める。

 口づけの合間に「ティアラ」と甘い声が耳に入り、どきどきと体が震えた。角度を変えて、何度もティアラローズの唇に柔らかい感触が触れて呼吸が乱れる。


「ふぁ、ん……っ、んっ!?」

「ん……」


 呼吸をしようと薄く開いたティアラローズの唇の隙間から、アクアスティードの舌がそっと差し込まれる。びくりと体を揺らして目を見開くが、視界に映るのはアクアスティードの長い睫毛。

 恥ずかしくなって、再び目を閉じればどきどきと心臓の音が体に響く。

 熱い舌が絡められて、初めての感覚にアクアスティードへと縋ってしまう。くちゅ……と、水音が耳に届き体がきゅんと熱くなる。

 恥ずかしくて恥ずかしくて、まるで自分の体ではないみたいだとティアラローズは思う。

 最後に唇をちゅっと吸うようにして、アクアスティードが離れる。


「ん、はふ……」


 体から力が抜けて、ティアラローズはくたりとしてしまう。

 それを嬉しそうにアクアスティードが抱きしめて、自分の膝に座らせる形でソファへ腰掛ける。


「あ、あくあ様……っ!」

「もう少しだけ、近くに居させて」


 ティアラローズが戸惑いがちに声をかけるが、アクアスティードは気にせずに彼女の髪を撫でた。

 ふわふわの髪は指通りもよく、いつまでも触っていたいと感じさえする。


「…………婚約が、決まったよ」

「え?」

「アカリ嬢のね。ティアラにしたら、あまり聞きたくない話題だろうけど」

「……!」


 何度もティアラローズの髪を撫で、満足をしたのかアクアスティードが口を開く。

 しかしそれは酷く重い口調で、アクアスティード自身からも疲れがにじみ出ていた。


 どきん、と。

 ティアラローズの鼓動が大きく脈を打った。


 ――いったい、誰との?


 瞬時に浮かぶのは、アカリとアクアスティードが婚約をした姿だ。

 アクアスティードは第2部の攻略対象だが、ここまでシナリオがずれてきているのだ。聖なる祈りに目覚めたヒロインと婚約をしてもおかしくない。

 というよりも、聖なる祈りを手に入れるために動いたとしても不思議はない。それほどまでに、各国が欲しがる存在なのだ。


「この話題はやめようか」

「え?」


 不意にストップする、ヒロインの話題。ティアラローズはどうして? と、疑問を浮かべながら、不安そうにアクアスティードを見る。

 そうすれば、困った顔をして微笑んだアクアスティードに額へ口づけられる。


「不安な顔をしているティアラに、これ以上はね。アカリ嬢には、酷く傷付けられただろう?」

「あ……」

「だから、無理をしなくていい」


 子供に話を聞かせるように、ゆっくりした口調でアクアスティードがティアラローズを気遣う。

 けれど、今は彼の気遣いがもどかしいとすら思ってしまう。

 最悪の結果を想定した上で、ティアラローズは嫌だと首を振る。ぎゅっと手を握りしめて、真っすぐにアクアスティードの瞳を見つめた。

 その瞳に込められた思いは、アクアスティードに届くだろうか。


「ティアラ」

「いいんです。……教えてください、アクア様」

「……わかった。ティアラがそう言うなら、話そう。けれどこの話は、他言無用だ」

「はい」


 真剣な瞳で返す彼に、静かに頷いて返事を返す。

 深くソファに座り、アクアスティードは自分の胸にティアラローズを引き寄せた。背中をゆっくりと撫でながら、「嫌だと思ったら言うんだよ」と優しく言葉を紡ぐ。


「ティアラを悪者のように言っていたアカリ嬢は、ハルトナイツ王子と正式な婚約が結ばれた」

「……!」


 感情の感じられないその声は、淡々と事実だけを述べた。

 ティアラローズは瞬間的に息を飲むが、その内容に心底安堵する。想定した最悪の結果でなかったのだ、これ以上は何も望みはしないのだと。


 ――アクア様と、婚約をしなかった……? 良かった。

 そう安堵したティアラローズを見て、疑問に思うのはアクアスティードだ。自分を追いつめたハルトナイツとアカリに処罰がされなかったことに、安心しているように見える。


「ティアラ?」

「あ、ごめんなさい。安心してしまって……」

「――うん?」

「アカリ様と、アクア様が婚約されるのではと……そう、思って。とても、怖かったんです。だから、安心してしまって――……」


 ――私の可愛い人は、なんて可愛いことを言うのだろうか。

 アクアスティードはそう考えるのだが、しかし同時になぜそのような思考に至ったのかという疑問が浮かぶ。

 大国の王太子であるアクアスティードが、アカリと婚約を行う可能性はゼロに等しい。例えアクアスティードがアカリに恋をしたとしても、身分として釣り合わない。

 王族との結婚は、基本的に国内であれば伯爵階級以上。国外であれば、侯爵階級以上というのが基本的だ。愛妾にすることはできるが、それだけだ。


 けれど、そんなことを考えるのは後回しだ。


「私がティアラ以外を選ぶわけがない。不安にさせてしまってごめんね。……ほら、泣かなくて大丈夫」

「な、泣いてなんて……」


 大きく見開いたティアラローズの瞳から、大きな涙の粒がこぼれた。

 どうやら無自覚だったそれに、ティアラローズは戸惑ってしまう。涙を流して安堵するほどに、ティアラローズの気持ちはとっくにアクアスティードに捕らわれていた。

 優しく「泣かないで」と甘やかされて、ティアラローズはほぅと息をつく。


「ティアラはマリンフォレストに連れて帰る。――私の隣に、ずっと居てくれるだろう?」

「……はい。もちろんです、アクア様」


 こぼれた涙を唇で受け取り、アクアスティードは優しく微笑む。

 大きく頷いてから、ティアラローズは先を話してもらうようにアクアスティードへ頼む。

 泣いてしまったけれど、続きが気になって仕方がないのだ。


「……そうだね。ハルトナイツ王子が玉座に付かないということはアレクサンダー国王から聞いているね?」

「はい。伺っています」

「うん。そのため、ラピスラズリ王国の次期国王は第2王子のシリウス王子だ。昨日、シャルロット嬢との正式な婚約がなされた」


 ラピスラズリ王国の第2王子である、シリウス・ラピスラズリ・ラクトムート。

 そしてラピスを賜る公爵家の令嬢、シャルロット・ラピス・アルティアーク。

 2人はまだ幼く、王子が7歳、シャルロット嬢は12歳。女性が上の5歳差は厳しいが、第2王子を国王にするのだ。ラピスを賜る公爵家の後ろ盾は必要不可欠だろう。


 ――綺麗に、まとまった?


 シリウスを国王とし、聖なる祈りを持つアカリを妻としたハルトナイツを補佐にする。そうすれば、国は順調に回るだろう。

 ハルトナイツとアカリがどう思っているのかは別として。

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