第7話 2人だけのお茶会

 アクアスティードから誘われたデートの当日。

 ティアラローズは早くから起き、侍女によって丁寧に支度を整えられる。行き先を聞いていないため、しっとりとした落ち着いた色合いの、どこへ行っても恥ずかしくないドレスだ。

 髪はハーフアップにされ、マリンフォレスト名産の髪飾りを添えられる。さすがにこれはやりすぎではとティアラローズが伝えるも、侍女であるフィリーネは聞き入れなかった。


 卒業パーティー以降、フィリーネの中で王子は抹殺されたも同然の扱いとなっていた。誰かがハルトナイツのハの字でも言葉を発したものならば、「あんな男!」と怒りだす。

 しかも屋敷の者がみなそう思っているようで、誰も止めようとはしないのだ。フィリーネの活躍により、この屋敷の使用人は全員がハルトナイツに良い感情を抱いていない。


「これじゃぁ、アクアスティード殿下がいらしたらどうなるのか……」


 逆に、アクアスティード殿下は屋敷で崇められていると言っても過言ではない。フィリーネにとって、ティアラローズを卒業パーティーの場で助けたアクアスティードはまさに王子様であり、ヒーローなのだ。

 ハルトナイツよりもアクアスティードと結婚した方が絶対に幸せになれると、口をすっぱくしてティアラローズに伝えてくるのだ。それはもう、耳にタコが出来るほどに。


「まぁ、そんなに待ち遠しいんですか?」

「フィリーネ。貴女が一番落ち着いていないわね」

「まぁ! そんなことございませんわ。わたくし、ティアラローズ様が大切ですから。あの馬鹿殿下から救っていただけて、とっても良かったと思っていますの!」


 使わなかったアクセサリーを別室へ片付けて戻ってきたフィリーネは、すぐさま嬉しさをあらわにする。本当にハルトナイツとアカリが嫌いだったということが、見てわかる。


「まぁ、もうあの馬鹿殿下の話は止めましょう! 気分が悪くなりますもの」

「……」


 話題に出したのはフィリーネだと言うのに、そのことはすっかりと忘れてしまったようだ。

 主人であるティアラローズを妹のように慕い、幸せを願っているフィリーネとしてはこの結婚を逃すべきではないと考えているのだ。

 好きな男性の下に嫁ぐのが一番幸せになれる。フィリーネは、そう考えている。もちろん、貴族に生まれたからにはとても難しいことだけれども……。

 フィリーネの目から見ても、ティアラローズがハルトナイツに好意を寄せていないのは明らかだった。

 アクアスティードの前だとハルトナイツの時と違う反応をする。顔を赤くして、可愛く笑うのだ。

 ティアラローズに自覚はないかもしれないが、好意を持っているのだということは誰の目にも明らかだった。

 さらに、卒業パーティーから帰ってきたティアラローズは顔を赤くして……しばらくぼーっとしていた。

 アクアスティードのことを考えているに違いないと、フィリーネはその時確信したのだ。


「あ! アクアスティード殿下がいらっしゃったようですよ、ティアラローズ様」


 窓から馬車を見付けて、フィリーネが嬉しそうに報告をする。

 王太子であるアクアスティードを待たせるわけにはいかないので、ティアラローズもすぐに階下へ向かい出迎える準備を行った。


「ティアラローズ様、もしお帰りにならない――なんてことになったら、わたくしアリバイ作りに協力しますわね!」

「もう、何を言っているのフィリーネ! ちゃんと帰ってきます!!」


 口元に手を当て楽しそうにするフィリーネに見送られ、ティアラローズはアクアスティードと出かけた。




 ◇ ◇ ◇


「わああぁぁ……! すごい綺麗です、アクアスティード殿下」


 アクアスティードにエスコートをされ、馬車で向かった先は郊外の少し小高い丘にある花畑だった。色とりどりに咲き乱れる花は、ティアラローズの心を落ち着かせた。


「気に入ってもらえたようで良かった」

「ありがとうございます」


 ――こんな素敵な場所があったなんて知らなかった。良いデートスポットに見えるから、ゲームで出てきていてもよさそうなのに。

 知らなかったことをもったいないなと思いつつも、しかしアクアスティードと初めて一緒に見れることを素直に喜んだ。


「お茶の用意をさせるから、少し休もう。馬車に乗っていたから疲れただろう?」

「お気遣い、ありがとうございます」


 大きな木の下に、敷物が敷かれお茶の準備がされているのがティアラローズの目に入る。

 まったく気付かなかったティアラローズだが、王族の侍女は優秀さが貴族の侍女とは違う。主人に気付かれることなく、場のすべてを整えていくのだ。


 離れたところに停めた馬車のもとに控えた侍女や従者。そして護衛を務める騎士がいるのだろう。こんなにも優雅にエスコートをされるとは思っておらず、ティアラローズの胸は高鳴る。

 よくよく思い返せば、ハルトナイツとはこのようなデートをしたことがなかった。


「お手をどうぞ、ティアラローズ嬢」

「アクアスティード殿下……。ありがとうございます」


 手を差し出されたので、ティアラローズはそっと自分の手をそこに重ねる。そのまま敷物へ案内されて、ゆっくりとそこへ座った。

 ふわふわした草が地面に生えているため、ごつごつしておらずとても心地が良かった。


「寒くはないですか?」

「はい。大丈夫です。風も心地良くて、暖かいです」

「それはよかった。今日は、私が気に入っている紅茶を用意したんです。ティアラローズ嬢にも気に入っていただけると良いのですが……」


 アクアスティードはティーポットを手に取り、カップへと注いでいく。

 まさか王太子自らが紅茶をいれるとは思わなかったため、ティアラローズはとても驚いた。しかしそれと同時に、気さくな彼が好印象だった。

 前世の記憶を持つティアラローズにとって、公務はともかく――私生活のプライベートまでかっちりしていたらとても息苦しいものになる。それだけは嫌だと、心の隅で思っていた。


 嬉しそうに笑いながら話すアクアスティードは、卒業パーティーの時とは違う雰囲気を出していた。公務とプライベートを、しっかり分けられるのだろう。


「おすすめはミルクなんですが、ティアラローズ嬢はミルクとレモンどちらがお好みですか?」

「では、ミルクを。冬や春先は、よくミルクを入れるんです」

「ならば、同じですね。私もなんです」


 澄んだ紅茶にミルクを入れ、アクアスティードがティアラローズへと差し出す。

 手に取れば、それはとても良い香りがしてティアラローズの鼻をくすぐる。一口のみ、ほぅと息をついた。


「あ、そうでした」

「どうしました?」


 突然のティアラローズの声にも、アクアスティードは優しく微笑む。

 どこまでも甘いその様子に、こんなに甘やかしてくる人は父親以外にいなかったなと思う。

 ティアラローズは持ってきたかごから、可愛くラッピングをされた包みを取り出した。

 ティアラローズの両手にすっぽり収まるそれに視線を向け、それは? と、アクアスティードが目で問う。その表情には、予想していなかったと書いてあるようで……サプライズになったかなとティアラローズは微笑んだ。


「クッキーです。私が焼いたものなので、アクアスティード殿下のお口に合うかはわかりませんが……」

「ティアラローズ嬢が? 私のためにクッキーを、ですか? とても嬉しいです」


 そっと差し出せば、アクアスティードが「いい匂いです」と受け取った。

 前世のことを思い出したティアラローズは、いろいろなスイーツレシピも思い出したのだ。甘いスイーツを食べながら乙女ゲームをするのが好きだったため、作るのもお手の物。

 本当であれば、ケーキを焼きたかったが……今日の予定がわからなかったため、簡単に持ち帰ることも出来るクッキーを作ったのだ。

 シンプルなクッキーと、チョコを使ったクッキーの2種類。どちらも、ティアラローズが前世でお気に入りだったさくさくのクッキーだ。


「……美味しい。まさか、こんなに美味しいお菓子を作られるとは知りませんでした」


 一口食べたアクアスティードが、驚きに目を見開く。そしてそれが自分のために作られたということが、美味しさを2倍にも3倍にもした。

 愛しい人が、自分のために作ってくれたクッキー。それは何よりも、アクアスティードにとってご馳走なのだ。

 もう1つクッキーを取り出し、今度はティアラローズの口元へとアクアスティードが持っていく。


「……っ!」

「ほら、あーんして?」


 ――なななななな、なんっ! アクアスティード殿下って、こんな人だったの!?


 ティアラローズは口元にあてがわれたクッキーを見て、しかし口を開けられずにいた。

 異性からあーんなどされた経験はもちろんないし、どんな顔をして食べればいいのかわからないのだ。しかし、王太子であるアクアスティードが差し出したものを食べないのは不敬では? と、ぐるぐると頭が混乱していく。


「ほら」

「うぅ……」


 アクアスティードに見つめられながら食べるのがどうしても恥ずかしくて、しかし差し出されたのだからと……ティアラローズはぎゅっと目を閉じて小さく口を開いた。

 小動物のようなその姿に、アクアスティードはくすりと笑う。そのままクッキーをティアラローズの口に入れて、恥ずかしそうに食べるのを満足そうに見る。


「……ん」

「…………」


 一生懸命食べて、吐息を漏らすティアラローズに、アクアスティードがどきりと胸をならす。

 本当はアクアスティードがティアラローズをどきどきさせて、意識をさせようとしていたのに。でも、これはこれでとてもいいと思うのは、ティアラローズが愛しくて仕方がないからだろう。

 しかし本当は、ティアラローズの心臓のほうがアクアスティードよりも、もっと、ずっと……どきどきしているのだけれども。


「食べる姿も可愛い。ねぇ、ティアラローズ嬢――よろしければ、ですが……」

「……っ?」

「ティアラと、お呼びしてもいいですか?」

「……はい。もちろんです、アクアスティード殿下」

「嬉しいな。ティアラ、私のこともアクアと呼んで?」


 耳元で名前を囁かれて、ティアラローズは初めて呼ばれることで胸が高鳴るということを知る。

 ハルトナイツに「ティアラ」と呼ばれても何も感じはしないのに、アクアスティードに名前を呼ばれるとどうしてもこんなにどきどきしてしまうのか。


 自分のことも愛称で呼んでと微笑むアクアスティードに、しかしそれはあまりにも失礼じゃ……と。ティアラローズはそう考えるが、しかし、少し勇気を出してみようと思った。

 こんなにもティアラローズに好意を示してくれているのだ。

 とくんと、自分のものではないような心臓を落ち着かせることはもう諦めて、隣に座るアクアスティードを見上げた。


「あ、アクア様…………」

「……! ――どうしよう。とても嬉しいよ、ティアラ!!」

「きゃっ!」


 男性を愛称で呼ぶなんて、ティアラローズは初めてだ。

 小さい声で震えながらも名前を呼べば、今まで以上に嬉しそうに微笑んだアクアスティードに抱きしめられた。

 こんなに体が密接してしまっては、自分の心臓がどきどきしていることがばれてしまう。そう思ってぐいぐい押し返そうとするティアラローズだが――あることに気付く。


 ――アクア様も、とても……どきどきしてる。


 緊張しているのは、自分だけではないのだ。そう思うと、ティアラローズの心は羽根のように軽くなる。

 おずおずとアクアスティードの背中に手を伸ばす。……が、やはり恥ずかしくなってすぐに解いてしまう。「残念」という、しかし酷く嬉しそうな声が発せられる。


「や、やっぱり恥ずかしくて……」

「――うん。ゆっくり、慣れていけばいい」


 優しく頭を撫でられながら、ティアラローズは婚約了承の返事を父親にお願いしようと決めた。

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