どろっぷ

 お父さんの顔は見たことないし、お母さんはずっと前に死んじゃった。


 だから私はおばさんに拾われたの。


 おばさんは私の事を何も知らないから教えて頂戴って言ってくれた。


 でも、


 私も、私の事を何も知らないの。


 お母さんが死んですぐ私は叔父さんの家に行ったわ。だけど叔父さんは怖い人で、すぐに私を働きに出した。私がお金を稼げなきゃ怒って叩く、私が家事上手くできなきゃ怒鳴って殴る。そんな生活を1か月、痣だらけの私を見かけて拾ってくれたのがおばさんだった。


 隣町の知らないおばさん。


 とっても私に優しくしてくれる、家事を手伝うとそれは褒めてくれるし読み書きも教えてくれた。でも、私の事はなんにも知らない。

「だからあなたのことをおしえてちょうだい」

 っておばさんは最初に言った。私が首を横に振ると、言いたくないならいいのよと言って抱きしめてくれたの。あったかくて優しい人に触れたのは凄く久しぶりだったから自然と涙がこぼれ落ちた。そんな私をおばさんは優しくなでてくれた。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 私は泣きながら謝った、泣くと叔父さんに叩かれたから。

「いいのよ泣いても、これからはあたしがずっといっしょだからね」

「ほんと?いたいことしない?おこらない?」

 しないわよ、とおばさんは優しく言った。

「わたし、わたしのことなんにもしらない」

 というとおばさんはさらに強く私を抱きしめた。

「いたいよ」

「あ…ごめんなさい。痛くしないって約束したばかりなのに」

 その日おばさんは、すすり泣く私の涙をぬぐい日が落ちるまでずっと私のそばを離れずにいてくれた。さぁっと、窓から入った仲秋の涼しい風が私の頬を撫でた。


 あれから10年、私は15歳になった。誕生日なんて覚えていと言ったらおばさんが、じゃあそらちゃんの好きな日にしようか、と言ってくれた。私は好きな日なんてなかったから黙っていたら。

「じゃあ今日にしましょう」

 って。それから私たちはお肉と野菜と小麦と卵を買いに行った、その時ついでに買ってもらったドロップスの缶は今でも取ってある。帰ってきたらおばさんは手羽先を綺麗なきつね色に焼いて、鮮やかなサラダを一緒に盛り付けてくれた。そしてパンケーキを焼いてくれた。ごめんねちゃんとしたケーキじゃなくてと少し悲しそうにおばさんはつぶやく。私は思いっきり首を横に振った。

「ううん、すごくうれしい!」

 あの時のおばさんの笑顔は今でも覚えている。


 今日は私の誕生日だ。私はパーティーの準備をするために買い物へ行く。

 お肉屋さんで手羽先を買い、八百屋さんでトマトとレタスを買う。がっつり夏野菜だがこの時期ならまだ名残りと言ってもいいだろう。そして小麦粉、卵、砂糖、生クリームを買う。ケーキを作るのだ、あの日からもう10年、私だって成長した。その成長をおばさんに見せたい。ウキウキしながらついでに買ったドロップスの缶をカランコロンと鳴らしながら帰路につく。

 だが、今日はあいにくの雨だ私の小さな傘では荷物を全て濡らさないようにするのは至難の技、自分が濡れることを度返ししても完璧に食材を守り切るのは難しい。大粒の雨に降られながら小走りで家に戻る。ずぶ濡れになった服を脱ぎ何とか守った荷物を置いてシャワーを浴びに行く。我が家の家計は厳しいが、ありがたいことに水で困る事は無い。体を拭き室内着に着替え買ってきた食材を袋から取り出す。

 フライパンに薄く油を引き手羽先を並べてから火をつけ焼いている間に野菜の準備をする。トマトは串切りにしてちぎったレタスの上に盛り付ける、極めつけにおばさんの自家製ドレッシングをかければサラダはこれで完成だ。手羽先は皮目が焼けてきたらひっくり返し方面も弱火でよく火を入れる。ひっくり返す瞬間、香ばしい匂いが立ち上る。ジジジといい音をたてる手羽先に心躍らせる。時刻は6時30分そろそろおばさんが帰ってくる。どんな顔するかな、嬉しそうに泣きだしたらどうしよう。ふふっと笑みがこぼれる。ジジジとさっきより大きな音がするそちらを見ると手羽先から煙が昇っていた。大慌てで火を止め状況を確認するとすこし焦げ付いていた。

「食べれないことは無いか…」

 ちょっとぼーっとしたらこれだ。気を抜けるようになったことは成長と言っていいかもしれないが、危うく火事になるところだった。時刻は7時をまわろうとしている。私はケーキを焼き始めていた。

「おお…これは上手くいったんじゃないか?」

 なんて一人で言ってみる。時計を見ると7時をとっくに過ぎていた。そろそろ日が完全に落ち切ってしまいそうだ。いつもならおばさんはもう帰ってきてもいい頃なのに…不安になって連絡してみる。


 応答が無い。おかしい、おばさんは遅くなるなら先に言って出かけるし予定外なことがあればすぐに連絡してくれる。ちいさいころから私を安心させるためにずっとやってくれている。


 気付けば私は家を出ていた。ドロップスの缶を握りしめ小さい傘をさして走り出した。冷たい雨が背中を痛いくらいに刺してくる。仕事場、市場、商店街、一緒に行った事のある場所やおばさんの居そうなところ全部見て回った。しかしあの優しい姿は私の目に入ってくることは無かった。私は途方に暮れ暗い街を歩いた、ふととある看板を見る。それは海岸への案内板だった。なんとなくそちらへ足を運ぶ。もしかしたらそこに居るかもしれない、そんな妄想を描きながら雨に打たれる。

 結果から言うとおばさんは居た、しかしあの優しい笑顔は見ることはできなかった。海岸につくと私と同じくらいの歳の少年が気絶したおばさんを抱えて立っていた。

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海人と山女 望月朔菜 @suzumeiro

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