第10話 スマホ盗難事件

 6月も中旬になり、頻繁に降る雨で学校内も常に床が滑るような気がする季節になっていた。

 必然、どんくさい僕は慎重に歩くので移動に時間がかかってしまう。


 気を付けているのに二度も転びかけ、ようやく移動教室の授業から戻ると、教室内は緊迫した空気に包まれていた。


「絶対移動する前は鞄にスマホが入ってたんだってば!」


 女子の一人がヒステリックな声を上げていた。


「じゃあ誰かに盗まれたんじゃね?」


 友達が険のある声でそう言ってからアーヤを睨む。


「は? なに見てんだよ?」

「アーヤ、忘れ物あるとか言って教室に戻ったよね?」

「うちが盗ったって言いたいのかよ?」

「そんなこと一言も言ってないけど? 誰か見なかったって聞きたいだけ」

「うそつけ。あからさまに疑ってただろ、いま」


 アーヤもその女生徒も興奮して声を荒らげていた。


(まずいな。このイベントか……)


 人に聞かれないよう、こっそりとため息をつく。

 実を言えばこの『スマホ窃盗事件』は毎回起きている。

 今回は起きないように移動教室の授業のときは極力注意してきた。

 しかし濡れた廊下に気を取られている隙に発生してしまったようだ。


「アーヤ、なに熱くなってんの? 自分で盗んだから焦ってるわけ?」

「っざけんな! 勝手に決めつけんなよ!」


 そう。アーヤは盗っていない。

 なんなら僕は犯人を知っている。


 何食わぬ顔して成り行きを見ている川瀨かわせ拓磨たくまが犯人だ。

 タクマはいわゆる陰キャで、女子から嫌われ、男子からも殆ど相手にされていないボッチだ。


「まー、まー、まー。落ち着けって」


 ヘラヘラ笑いながら仲裁に入る。

 内心ばくばくだけど、いつものおちゃらけキャラは崩さない。


「邪魔しないで、鈴木くん」

「そんなに詰めんなよ。アーヤが盗ったっていう証拠あるの?」

「それはないけど、でも」

「アーヤが教室に戻ってきたってだけだろ」


 泥棒扱いしている女子は『負けヒロイン』ではないのでさして気を遣う必要はない。

 とはいえ僕の『陽気でチャラいキャラ』というイメージを崩さないため、声色はあくまで軽くしておく必要はあった。


「じゃあどうしてスマホがないの?」


 被害者女子は涙目だ。

 みんなの同情を買おうとしているのか、本気で焦っているのか、よく分からない。

 ぶっちゃけ負けヒロイン以外の女子の感情はそれほど関心がない。

 それにアーヤを犯人と決めつけている態度はちょっと気に入らなかった。


「絶対誰かが盗んだんだってば。誰がこんなことしたの」


 タクマが犯人だよ。

 そう言ってしまえれば楽だ。

 しかし根拠もなく人を疑うなと言った直後に根拠もなく犯人を指摘できない。


 チラッと横目で見ると、賢斗はアーヤを心配そうに見詰めていた。

 良くない傾向である。


 ぶっちゃけここは地獄の二択だ。


 賢斗がここでアーヤを助けないと、彼女は病んでしまう。

 しかし実は助けた場合の方が問題だった。

 助けられたアーヤは賢斗をより一層好きになってしまう。

 そうなってから失恋するとアーヤは確実に闇落ちしてしまうからだ。


 ここは僕がなんとかするしかない。

 賢斗が動くよりも早く。

 僕は一か八か勝負に出た。


「アーヤは盗んでないよ」

「なんでそう言いきれるわけ?」


 友達女子が当然の質問をぶつけてくる。


「それは……僕が教室に戻ってきたとき、アーヤを見たからだ」

「え!?」


 もちろん嘘だ。

 被害者もその友達も、そしてアーヤまでが驚いた顔をした。


「う、嘘。そんなの嘘。アーヤを庇ってるんだ!」

「嘘じゃない。それに僕だけじゃない。そのとき一緒に」


 僕はピシッと犯人であるタクマを指差す。


「タクマも一緒にいたんだ」

「ッッ!?」


 タクマは焦った表情を浮かべる。

 お前が犯人だと知ってるんだぞ。

 そう念を送るように険しい表情でタクマを睨み付けた。


「そうだよな、タクマ」

「う、うん。間違いない」


 彼は冷や汗を滲ませ、目をおどおどさせながら頷く。


「アーヤとほぼ同時に教室に入ったけど忘れ物を取ってすぐに出ていった」

「でもじゃあ誰が……」


 思わぬ証言に被害者たちは気まずそうに目を伏せる。


「そんなこの世の終わりみたいな顔するなよ! スマホがなくなっただけだろ? どっかに落としたんじゃね? みんなで探そうぜ!」


 張り詰めた緊張などないようにバカっぽく声を上げる。

『誰が盗んだのか』という問題から『スマホがなくなった』という問題へのすり替えだ。


「そうだな。みんなで探そうぜ」

「教室とも限らないよね。今日どの辺り歩いたか覚えてる?」


 みんなも僕の誘導に敢えて乗ってくれた。


「ほら、僕たちも探そうぜ。どっかに落ちてるんじゃね?」


 タクマの脇腹を軽く小突く。


「よく探せよ、タクマ。予想もしない、誰も見ていないような教室の隅の方に落ちてるかもな」

「え? う、うん……」


 ギロッと睨むとタクマは怯えたように頷く。


 十分後、『消えたスマホ』がロッカーの隙間に落ちているのが見つかった。

 発見者はもちろんタクマだった。


「なんでそんなところに落としたんだよ」とか、「壊れてないか確認しろ」とか、「何十年も前からそこに落ちていた違うやつのスマホなんじゃね?」とかいうジョークまで飛び交っていた。


 いずれにせよ先程までの不穏な空気はなく、教室には再び平和が訪れていた。

 アーヤ一人を取り残して。


 アーヤは鋭い目付きで僕を見ていた。


「鈴木、ちょっと」

「あ、うん……」


 ざわつく教室ではもはや僕やアーヤに注目している人はいない。

 アーヤは教室を出て、そのまま屋上へと向かっていた。



 ────────────────────



 序盤の難所をなんとか切り抜けた鈴木くん!

 とっさの判断も七週目の賜物ですね!

 でもまだアーヤの心は傷ついたまま。

 メンタルケア師のお仕事は実に大変ですね!

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