かつて魔導師と呼ばれた男、魔法が使えなくなった1万年後の世界で第三王子として転生する

百香スフレ

第1話

 『神話の時代』。今から約1万年前の時代を指す言葉だ。神が当たり前のように姿を現し、人間が魔法を使って天使や悪魔と協力、対立を繰り返すような御伽噺の世界。

 そんな神話の時代で、特に魔法に優れた人間を『魔導師』と呼んだ。


 彼、エトランゼ王国の第三王子であるウィリアム・ラ・エトランゼは、神話の時代で活躍していた魔導師の生まれ変わりである。


 神々も交えた世界規模の戦争、通称『神話大戦』により若くして命を落としたウィリアムは、今世の記憶を残したまま次の生を受ける『転生魔法』を開発し、死の間際に実行した。

 その結果、次の生を受けるのに1万年もの時間を要したが、魔導師としての記憶を引き継いだウィリアム・ラ・エトランゼが誕生することに成功した。


 ウィリアムとして生を受けて10年の月日が経過し、初めは前世から1万年も経過していると聞きショックを受けたウィリアムも、今では第三王子としての教育を熱心に受けている。


「ふんっ!ふんっ!」


「ウィリアム殿下、力みすぎです。それに、脇が開いております。脇を閉めて足は半歩開き、頭上から真っ直ぐ振り下ろすのです。力を込めるのは振り下ろす時のみ。余計な力は入れないようにしましょう」


「分かった!」


 今日は剣術の教育だ。ウィリアムを教えているのは、エトランゼ王国の兵士団長、ギルフォードである。

 エトランゼ王国には、貴族のみで構成された騎士団と、平民のみで構成された兵士団が存在する。ギルフォードは、ごく普通の農夫から剣の腕一本で王国のトップ層まで成り上がった、平民のヒーロー的存在だ。


 ウィリアムは、自分が生きていた1万年前よりも、遥かに優れた剣が生まれていることに感嘆した。こんなにも切れ味が良く、丈夫で軽い剣を握ったことが無い。しかも、これが兵士団の標準装備だと言うのだから驚きだ。神話の時代なら聖剣と呼ばれていただろう。


 ウィリアムが眠っていた1万年の間に、人類は技術と文明を飛躍的に進化させていた。しかし、何故か魔法文明は跡形もなく消え去っていた。

 また、1万年の間に魔法を使用するために必要だった『魔臓』という臓器が人間の体内から姿を消している。なぜ便利な魔法が使えなくなるように人間が進化したのか、ウィリアムには分からない。


 ウィリアムは魔法のことを頭の片隅に追いやり、自分の手に握られた剣に意識を集中させる。ウィリアムは10歳だが、自分からギルフォードに無理を言って大人用の剣で素振りをしている。それは、子供用の小さな剣を振り回せるようになったところで、大人になってから意味が無いと考えたからだ。

 決して剣の腕に自信があって驕っている訳ではない。10歳までは危険だということで剣術の教育が無かった上に、前世でも魔法頼りだったウィリアムは、ごくごく普通のド素人だ。ただ、魔法が使えなくなってしまったため、魔法に頼らない自分の力を早く得る必要があった。


 そんな事を考えながら真剣に素振りを続けるウィリアム。ギルフォードの言われた通り、姿勢を正しながら無駄に固く握っていた手の力を緩める。すると先ほどよりも楽に、しかも力強く振り下ろす事ができるようになった。

 ギルフォードは、嬉しそうに微笑みながらも真剣に素振りを続けるウィリアムに対して、朗らかな笑顔を見せた。


「殿下は筋が宜しいですな。陛下に似てお身体に恵まれ、教えたことをすぐに身に付ける器用さをお持ちだ」


「お世辞はっ!よせっ!ギルフォード!」


 突如褒められ、少し照れながらウィリアムは言い返す。これでも体力がつくように日々のトレーニングは欠かさなかったが、それでも全力の素振りを何百回と繰り返して息が上がってしまう。

 息も絶え絶えで言い返してくるウィリアムに、不敬かもしれないがギルフォードは少し父性が擽られた。同時に、謙虚で実直なウィリアムの性格に対し、自分が憧れた王族像を見て尊敬の念も感じる。この尊敬と庇護欲が同時に訪れる不思議なウィリアムを守るため、彼はウィリアムの親衛隊に入隊しているほどだ。


 擽られた父性によって芽生えた、頭を撫でたくなる気持ちをグッと堪え、ギルフォードはウィリアムに気持ちのいい笑顔を見せる。


「ははは!私は腕のみで成り上がった不器用な平民です。お世辞を言えるような頭も口も持ってはいませんよ」


「そうかっ!それはっ!嬉しいな!」


 ウィリアムはギルフォードの真っ直ぐな言葉を聞いて、素直に賛辞を受け止めた。臣下のヨイショを気持ちよく受けるのも、王族の務めなのだと第二王子に教わったからだ。


 身体が恵まれていると褒められたウィリアムの体は、かつて王国最強の剣士として名を馳せた現国王である父に似た非常に均整のとれた筋肉質の体になっている。身体年齢は10歳だが、身長や体格は14歳ほどに見えるくらい優れた体つきをしており、顔も第二王妃である母に似て非情に美しい顔立ちだ。

 サラサラの金髪を一つに結び、長いまつ毛を生やした眩い赤の瞳を持つ。鼻筋もスッキリしており、唇は小さくも艶やかであり少年であるが色気すら感じる。第一王子と第二王子はあまり美形と言えないため、巷では秀麗王子と名高い。


 そんな恵まれた要素を親から引き継ぎながらも、普段から自分の肉体がより優れた体になるために鍛えているウィリアムからすれば、このように軽い剣一つで振り回される訳にはいかない。意地でも大人用の剣を使って、見事な素振りを期待以上にしてやるというプライドが芽生えていた。


 こうして素振りをすること約1時間。ギルフォードから言い渡された素振り二千回が無事に終わった。


「よし!殿下、一旦休憩にしましょう。よく水分を取ってください」


「はぁ、はぁ⋯⋯分かった。ミランダ、水を持ってきてくれ。あぁ、もちろんギルフォードの分も頼むぞ」


「承知致しました殿下」


 ミランダ・サーヤ・フォンテーヌは、フォンテーヌ子爵家の次女であり、ウィリアムの従者だ。ウィリアムが3歳の頃から仕えており、ウィリアムよりも5つ歳上である。エトランゼ王国では15歳から成人であるため、成人になったばかりの若き女性だ。

 ミランダは、恭しく一礼してから水差しを取りに屋敷内へ歩く。剣の素振りをしている中庭の傍では、こうした事に備えて冷えた水差しを使用人が準備していた。


「で、殿下⋯⋯私は何もしておりません。わざわざ私まで⋯⋯」


「良い良い、どうせ一人飲もうが二人飲もうが変わらん⋯⋯。感謝ならミランダや、他の使用人にしてくれ」


「⋯⋯承知致しました。感謝致します」


 ギルフォードの遠慮する言葉を窘めながら、ウィリアムは剣を鞘に戻す。たかだか水の一つや二つでここまで遠慮される事に、元小市民のウィリアムは慣れる事が出来ない。水の準備やコップの洗い物をする使用人の方から文句が出るのなら分かるのだが。


 ミランダが持ってきた水の入ったコップを受け取り、中の水を一気に呷る。よく冷えた氷水が飲めるのは、王族の特権と言えるだろう。さすがに氷は平民が中々使えるものでは無いからだ。


 ギルフォードは、物珍しそうに氷が浮かぶ水を眺めながら少しづつ飲んでいる。平民が冬以外に氷を見ることは殆ど無い。こういった機会ひとつ取っても、兵士団長まで成り上がったかいがあったと喜べる。


「それで、ギルフォードよ。お前が私に直接指導してくれるという事は、暫く戦争の気配は無いのだな?」


「そうですね。喫緊の問題であった、エマール公国との金鉱山問題は、外交官のアレク様が巧みな話術で解決したと聞き及んでいます」


「アレクか⋯⋯あいつの外交授業は非常に楽しいぞ。今度、ギルフォードも一緒に受けてみるか?」


「ははは!辞めてください!私のような平民上がりが、外国の重鎮と会話するようなことがあれば、気付かないまま外交問題になるほどの無礼を働きかねません!」


「そのような事が起きぬよう学ぶのだがな⋯⋯。まぁギルフォードが外交に出てくる事があれば、ジーク騎士団長が黙っていないだろうし⋯⋯」


 ジーク・シュヴァリエ。シュヴァリエ侯爵家の長男であり、エトランゼ王国騎士団のトップに君臨する。貴族のみで構成された騎士団の団長ということは、全貴族で軍事面の頂点に立つことを意味しており、それ故にジークは非常にプライドが高い。かつては伯爵家だったシュヴァリエ家が侯爵に上がったのは、ジークが騎士団長として抜擢された事が大きかった。それほど、騎士団長というのは誉れある地位なのだ。


 軍事的な権力は同列に位置する騎士団長と兵士団長だが、外交や政治面では貴族である騎士団長の意見が断然通りやすくなっている。そしてジークは過激派の貴族主義者である為、平民であるにも関わらず自分と同列に語られるギルフォードのことが大変気に食わないのである。


 そんなギルフォードが外交に出てくる事があれば、平民であることを理由に徹底的に反対してくるであろうことは目に見えており、ギルフォードも学は無いが頭が悪いわけではないので、ジークから嫌われていることくらい気付いている。そのため、兵士団以外には決して余計な事をしないよう気を付けているのだ。


 ジークとアレクは旧知の仲であるため、ギルフォードがアレクから外交について学んだということがアレク経由で知れるだけで余計なトラブルを招きかねない。そう判断したウィリアムは、ギルフォードに忘れるように告げて水を更に呷った。


「しかし、戦争が無いというのは素晴らしいことだ。ただでさえ魔物が蔓延っているというのに、なぜ人間同士で争うのか私は理解に苦しむよ⋯⋯」


「殿下も大人になれば、色々と人間の嫌な部分に気付くものですよ。皆が皆、殿下のように優しく強くは無いのです」


「⋯⋯私は、優しくも強くもないさ。それに子供でもない」


 24で死んだ前世と合わせて、ウィリアムは既に34年分の記憶がある。27のギルフォードよりも、精神面では大人なのだ。


 そのような事を知らないギルフォードは、ウィリアムが良く起こす『大人ぶり』だと思い、軽やかに笑った。


「そうですな!ウィリアム殿下は、優しくて強い大人でございます!」


「わ、笑うな!まったく⋯⋯。私を子供扱いするなと、剣術を習うよりずっと前から言っているだろうに」


「そうやって私の態度を簡単に受け入れていただけるだけの度量こそが、殿下の優しさであり強さなのですよ!強さは余裕を生み、余裕は優しさを生むのです。闘いで最も大事な『余裕』の授業は、殿下には不要そうで安心致しました」


 快活に笑いながら優しく諭すギルフォードの言葉に、ウィリアムは微笑みながら空を仰いだ。


「それは私が王族だからだ。民が私たちを信じて税を納めてくれるからこそ、こうして憂いなく日々を過ごすことが出来ている。私は、エトランゼ王国の国民が、私と同じように憂いの無い『余裕のある暮らし』が出来るようにしたいのだ。その為に、剣も知識も必要になる」


(それに私には前世があり、魔法もある。だから私はズルいだけだ。優しくも強くも無い。前世も魔法も、信頼するギルフォードにさえ話せない臆病者なのだからな)


 少し落ちた気分を紛らわすように自分の頬を叩き、ウィリアムは再度剣の柄に手をかけた。


「さぁ、ギルフォード!剣術の授業に戻ろう!次は何をしたら良い?」


「殿下は熱心ですなぁ!では、素振り五千回行きましょうか!」

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