葉は森に、涙は雨に

K-enterprise

前編

 白い包装紙に包まれた、薄い長方形の物体が、教室に並べられた30ある机の上すべてに置かれていた。

 まるで小学校の入学式に、真新しい教科書が並べられているように、ただ一つの例外もなく平等に置かれていた。

 その物体は『ちっとも特別なことじゃないんだよ』と澄まし顔で佇んでいるように見えた。


「……なんだ、こりゃ?」


 教室の後方にある引き戸を開けた姿勢のまま、水明みずあきはひとり言のように呟く。


「なんだろうね」


 彼の横から教室を覗きこんでいた私も、その普段とは違う様相に対し呼応する。

 水明みずあきはスマホを取出し、教室全体をフレームに納めてボタンを押す。

 パシャリ、という音が、真冬の静謐な空間を駆け抜け、私の耳朶に触れる。


「なにしてんの?」

「現場保存」

「……これは事件ですか?」


 彼の行動に少しだけ呆れ声を放つ。

 教室内を子細に見回した彼は、頭一つ低い私に顔を向けニコリと笑う。


「僕たちに対する挑戦かもしれないぜ?」

「挑戦? どゆこと?」


 水明みずあきは教室に入り、窓側最後方の自席に進みながら言う。


「葉子、今何時?」

「7時半、過ぎだね」


 私はスマホを取り出して答える。


「そうだな。さっき下駄箱で会ったときが7時半ちょうど。現時刻は厳密に言うと7時36分」


 時間にうるさい彼との待ち合わせ時間に遅れないように、走って昇降口に辿り着いたことを思い出す。

 二月の朝にも関わらず、少し汗をかいてしまった。


「誰がこれを置いたのかってこと? 校内は7時には開いてるんだから、誰かが早く来て置いたんじゃないの?」

「葉子が置いたとか?」

「一緒に上がってきたでしょ」


 私の答えに頷きながら彼は自席の上の物体を持ち上げる。


「爆弾ではないな」

「そうだね。甘い匂いがしてるもんね」


 爆弾と想定していたのなら無造作に持ち上げないでほしい。


「板チョコっぽい」


 彼は板チョコサイズの物体をヒラヒラと振ってみる。


「バレンタインだからじゃないの」


 私も彼の斜め前の自席にバッグを置きながら言う。


「クラスの全員に? 誰が?」

「そんなの分かんないけどさ、こうやって全員の机の上にチョコが置いてあるのは間違いないんだから、友チョコとか?」

「葉子の机にあるのもチョコ?」


 私は人差し指と親指で、くだんの物体をひょいとつまみ上げ、匂いを嗅ぐ。


「恐らくね。チョコっぽい匂いがする」

「確認してみるか」


 彼が包装紙を手早く開けると、赤い箱の誰もが知ってるメーカーの板チョコが現れる。


「チョコだね」

「チョコだな」と、私の推測に真面目な顔で頷く彼に。

「でも、中身は爆弾かもよ?」


 と、からかいの言葉をかける。


「調べてみよう」


 彼は言いながら箱を開け、内袋を破き、チョコレートの色をした、チョコレートの匂いを放つ板を摘み出す。


「そんな見かけだけどチョコじゃなかったりして?」

「確認してみよう」


 私の挑発に、彼はパキリと躊躇なく板をかじり咀嚼する。


「うん。普通にチョコだな。葉子も食ってみれば」

「やだよ。それに誰宛とか、誰からかも明確になってないのに」


 彼に呆れ顔を返しておく。


「だからさ、まずはこいつの正体確認。で、チョコであることが分かった。それも開けてみてよ、食べなくてもいいから」


 彼に促され、包装を解く。

 案の定、まったく同じ商品が出てくる。


「同じのみたいだね」

「確率的にも、形状的にも、残り28席、全部同じ物だろうな」


 彼は、チョコを食べながら、周囲の机の上にあるブツを持ち上げて確認する。


「だから友チョコのつもりなんじゃないの? 高校生活最後のバレンタイン。感謝と労いのつもりとか」

「だったらみんなに手渡しすればいいだろ」

「恥ずかしいとか?」

「それにさ、いつ置いたのかって話もあるんだよな。むしろそっちが謎」


 彼は椅子を引き、座りながら残りのチョコを平らげる。


「いつ置いたかって、昨日から今朝にかけてでしょ?」

「昨日は僕と葉子が最後だっただろ? 二人で一緒に教室を出て、職員室寄って、一緒に歩いて帰った」


 クラス委員である私と水明みずあきは、卒業アルバムの編集作業に手間取り、昨日も午後7時を過ぎ、先生に注意を受け慌てて帰宅した。


「そうだった。もうお前らが最後で、夜道は危ないから送ってもらえって先生に言われたね」

「まあ葉子の家は途中だから、もともと送るつもりではいたんだけどな」

「じゃあ昨日じゃなければ今日ってことでしょ? さっきも言ったけど学校は7時には開いてるよ?」

「葉子はさ、下駄箱からここまで、他の生徒に会った?」

「会ってないし、見てないよ」

「僕はさ、7時25分には下駄箱に着いてたんだ。葉子が駆け込んできたのがちょうど30分くらい」

「他の昇降口だってあるじゃない?」

「まあそうなんだけど、この教室に一番近いのは僕らの使ってる下駄箱で、一、二年の校舎にある下駄箱からだと往復でも10分くらいかかるだろ」


 彼は二階の窓から見える一、二年用の校舎と、同じ二階にある校舎間をつなぐ渡り廊下を指差しながら言う。


「なら、7時から7時半までの間に置いたんでしょ? 30分もあるよ」

「でも、みんなが登校するのって早くても8時くらいだろ? 僕らは編集作業の残りがあるから、今日はたまたま早く来たけどさ」

「余裕を持って行動してるのかも?」

「今週は高校入試期間で一、二年も部活も休み。僕らだって入試の手伝いで駆り出されてるだけだから……ちょっと隣のクラス見てくる」


 水明みずあきはぶつぶつと言いながら廊下に出て行く。

 私はやりかけの卒業アルバムをロッカーから取出し、写真やイラストの配置を進めておく。


「念の為、1組から隣の3組まで見たけど、チョコが置いてあるのはウチのクラスだけみたいだな」

「推理もいいんだけどさ、朝のHRまでに確認して提出するんだよ?」


 私は帰ってきた水明みずあきを見ながら、アルバムを指差して告げる。


「となると、動機はやっぱりクラスのみんなに対する感謝? でもなんでこっそりと?」

「おーい、水明みずあきくん。これが終わらないと今日の放課後も居残りだよ? それじゃまずいんじゃないの?」

「やっべ、そうでした。ちゃっちゃと片付けよう!」


 とても大事な用事を思い出した水明みずあきは、それまでの名探偵然とした雰囲気を脱し、ごく普通の高校三年生の顔に戻る。


「……でも良かったの? チョコ食べちゃって」

「え? やっぱ取得物って感じで先生に届けるべきだったかな?」

「そうじゃなくて、放課後、瑞佳みずかと会うんでしょ?」

「ああ、まあ、な」


 彼は少しだけ照れながらぶっきらぼうに答える。


「バレンタインのチョコ、瑞佳みずかのを最初に食べなくてよかったの?」

「え? そういうのって、やっぱ気にするものなの?」

「……私はね、すごく気にするかな」

「お? その反応は、葉子にもやっと本命チョコを渡す相手ができたか?」

「ノーコメント」

「なんだよ。約束したろ? お互い好きな相手ができたら教え合おうなって。僕だってちゃんと言ったぞ、瑞佳みずかのこと」

「そんな、幼稚園の頃の約束なんて覚えてません。ほら、もうみんな来ちゃうよ? さっさと終わらせよう」

「へいへい」


 そんな軽口を最後に、私たちは黙々と作業を続け、それが終わるころ、クラスメイトが次々に登校してきた。

 みんなそれぞれがチョコに驚き、だれもがチョコを置いたのは私たちだと思い感謝の言葉を口にした。

 否定しようとしたけど、水明みずあきが耳元で囁く。


「説明が面倒だからさ、僕らからってことにしとこう」

「でも……」

「置いた人が不明なら、嫌がる人もいるかもよ? それじゃ葉子だって本意じゃないだろ?」


 そう言って似合わないウィンクをした水明みずあきには、このチョコを置いた人物が、誰だか分かっているみたいだ。

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