第10話 シンクロ

 ジェイドは少年のために戦いに駆り出され、灰になった。アヤナは遺伝子操作で三十年で死ぬ運命にある。なぜ俺は彼女を思って作ったヒロインを短命に設定したのだろう。


 新作プレゼンテーションから、あっという間に二カ月が過ぎ、季節は夏のさかりだ。美紗緒からメールで送られてくるシナリオは鈴木や久保田のイラストを入れ込んで一区画のムービーをプレゼンスライド一枚にまとめ、ストーリーの流れにリンクが貼ってある。信楽がメールで送った設定は細かく系統分けしてストーリー間の対比が一目でわかるように整理してある。もし彼女がもっと「間抜け」な新入社員なら、ことあるごとに呼び出してやるのに、と悔しく思う。この二カ月、一度もふたりきりでミーティングしていない。する必要が無いほど彼女の作る資料が緻密かつ雄弁で、メールだけで完結してしまうのだ。

 だから今日は、シナリオ第一稿完成まであと一ヶ月だから、という理由だけで彼女を呼び出した。金曜の夜7時である。仕事の後、彼女を食事に誘おうと思っていた。


 いつものように時間ぴったりに社長室に入ってきた美紗緒を見て、はっとした。妙に輝いて見える。生き生きとして、世界で一番しあわせですって顔をしている。何かあったのか。聞いたら落ち込むようなことかもしれない。

「なんだか、ずいぶん会っていないな」

「ですね。信楽さん、お忙しいし。それでもあんなにたくさんのストーリーと設定を毎日のように送ってくださるんですもの。びっくりです」

「それは美紗緒ちゃんの仕事に間に合わせるためだ。チキンレースだな。滞ったほうが負けって思うじゃないか」

「負けず嫌いなのですね」

「君に言われたくない」

 美紗緒は目をくるりと回して咳ばらいをした。

「シナリオライター達ともうまくやっているようだね」

「えっ?ええ…はい」

「会話が生き生きしていて、楽しいよ。あいつらが君にたじたじしたり、怒ったり、ほれぼれしたりする様が目に見えるようだ。あと一ヶ月だが、どうかな。スケジュール通りに終われそうか?何か困っていることは無いかな?」

「ありません…って言ったら、今日のこのミーティングは、終わりですか」

 彼女は少しおどおどして、最後は声が小さくなった。

「うん。まあ。どうした?何かあったのか?」

 結局そう聞くしかない。彼女が自分の知らない世界でどんな経験をしたせいで幸せそうな顔をしているのかなんて、聞きたくもないが。

「もし、お時間が許せば、もう一度だけ、信楽さんとこの物語の中でシナリオを作ってみたいのです。あの、大学でやった時みたいに」

「遊びで?」

「だめですか?」

「別にいいけど…今日はこれで終わりだし。なら、没ストーリーをひとつ披露しよう」

「はい!」

 美紗緒が身を乗り出し、信楽は頭の中にある、お蔵入りストーリーのいくつもの引出しを、ひとつ開けた。

「プレイヤーが忍び込んだAIの建造物は、バイオプロセッサ12体のAIが作った仮想空間だ。そして13体目のアヤナはバグだ。組み込まれたはいいが、処理方法が特異すぎて他のAIになじまない。物理的に切り離したいが、無理にやるとAI全体が発狂してしまう。そこで送り込まれたのがバグ処理のためだけに作られたバイオプロセッサ。それがプレイヤーだ。アヤナを探し、仮想空間から連れ出すのが任務だ。最後は恋に落ちることで二人の脳がシンクロし、アヤナは他のAIから切り離され、バグ処理は完了。二体のバイオプロセッサは永遠の眠りにつく」

「あたしのどこが特異なのよお。あんたの指図なんか受けない。さっさと帰りやがれ」

 美紗緒が突然イスのうえで腕を組んでふんぞり返り、ヤマネコみたいな顔で言った。彼女は本当に特殊だ!俺の頭からアイデアを引きちぎり、自分の脳にペタリとつけて吸収し、色付けしてしまう。一瞬で自分が作った物語が膨れ上がり、取り込まれる。

「いいか、バイオプロセッサは複数の脳がつながっていても、常にひとつの思考を持つはずなのだ。君のように勝手気ままに独自の思考をしていては、AIのパフォーマンスがだだ下がりだ。このAI本体から出て、俺についてくるんだ」

「そういえば、あんたの思考、読めないね。他の12体の脳の中は自由に探索できるのに」

「俺はそのように作られている」

「ふうん。でも、本当はあたしと繋がっているんでしょう?ならあんたの頭の中だって覗けないわけがないわよね」

 美紗緒は、がさつなしぐさで立ち上がると社長机の向こうから目一杯開いた指先を両手ともこちらに差し出し、繋がっている電子の流れによって信楽の脳の奥を探るように、目の奥を覗き込んできた。

「ふふふふ」

 そして、素に戻って可愛らしく笑った。

「だめです、信楽さん、思考がだだもれの顔してらっしゃいます。バグ処理バイオプロセッサは心をシールドした暗殺者のイメージですよね?」

 そういう美紗緒の顔はまるで信楽の本当の心を知っていて、それを受け入れているかのように、紅潮している。部屋に入ってきた時と同じ、幸せそうな顔をしている。

 

「僕は一生、君と一緒にいたい。そうわかった?」


 作りかけの物語の落としどころが見つかった、とか、ずっと解けなかったパズルがやっと解けた、という感覚で、するりと言葉が出てしまった。

 信楽と美紗緒は自分が言ってしまったことと、相手が言ったことを顔を見合わせて少なくとも一分は無言で吟味した。

 口に出した時は現実における意味を考えていなかったが、つまりプロポーズだ。食事に誘おうと思っていたのに、いきなり求婚って、ありえない飛躍だ。

 なら、そんなつもりじゃなかったと訂正すべきか。いや、本音の吐露だったのだから訂正すべきではない。俺が死ぬまで、彼女が死ぬまで、死んでからも一緒にいたい。それほど彼女を求めている。

 だが彼女を探していた時は、彼女が見つからなくても、彼女を見つけてからは、彼女に思いが受け入れられなくても、俺は生きていかねばならない。彼女のいない人生を。その覚悟をするために、彼女を思って作ったヒロインは短命なのだ。おとぎ話の終わりのようなハッピーエンドなんてこの世にありえない。

 だから彼女と恋人になるより、作品に閉じ込めることを優先した。

 けれどそんな努力が信楽の仕事に対する情熱をゆがませてしまっている。それは事実だ。だからせめて食事に誘おうと思ったのだ。それなのにプロポーズ…ああ、思考がループしている。

 美紗緒はこちらを見たまま黙っている。

 社長からこんなことを言われてどう断ろうかと怯えている顔ではない。

 どうせそんなつもりで言ったんじゃないのでしょう、と信楽の訂正を待っている顔でもない。

 もし誰かに、脳がシンクロする、という光景を描いてみろと言ったら、どうだろう。それは例えば一人の人間の脳に囲われた、過去と歩んできた空間と思考のひろがりが、もう一人のそれらと重なりあい、囲いが取れていくような絵になるのではないだろうか。

 信楽は二人の間にそんなシンクロ状態が巻き起こっているように感じ、席を立って美紗緒に近づいた。彼女もこちらに一歩踏み出した。

 彼女が片手をのばし、信楽のワイシャツの胸に手のひらを置いた。掌が弾力を確かめるように、とん、と押してきた。

「私、はねっかえりですよ」

「そこがいいんだ」

 心からそう思う。

「僕は、混乱した人間だけど…」

「そういうところ、好きです」

 自分の胸に置かれた彼女の手を両手で包んだ。あの、アメリカでの誘惑ゲーム以来、彼女に触れていなかった。

 指一本も。

 彼女の華奢な指、一本一本を指先でなぞった。なぞりながら目で語り合った。

「今晩、一緒に過ごさないか」

「はい」

 窓の外の東京の街は相変わらず騒々しいまたたきに溢れていた。無数の瞬きの中からたった一粒のかけらを見つけ出した。これは終わりなのか始まりなのか。たぶん、終わりも始まりもないのだろう。



 昨日は終電を逃してしまい、家に帰れなかった。赤池研究室の最奥、机と壁の間の寝袋で目を覚ました赤池は、女の声にびくりとした。携帯を取り出して見ると朝7時である。こんな朝早くに赤池研究室に入って誰かと話をするような女子社員には心当たりがない。御堂も斉藤も昨日は帰したのだし。

「あなたは私を消そうとしているのよ。私はもうここにいるのに。あの女を自分だけのものにしておきたいから? そんなことで私をあきらめるの?」

 その声は、八嶋美紗緒のものだった。たぶん、RTACの入力の練習か、試験をしているのだとわかった。

「あの女から聞きだしたわ。3年前、KOGUをどうして消したのか。雑誌に載って男から変なメールが大量に届いたからですって。ばっかみたい。それで本当にやりたかったことを捨てて、普通の会社員になったって。私は金輪際そんな弱気は許さない。あなたにも、あの女にも。私を作った責任をとりなさいよ!私に物語の終わりを見せて!」

 それは迫真の演技だったのか、なんだったのか。とにかく、カチャカチャとキーボードを叩く音がし始めたから、いったんRATCを止めたのだとわかった。

「あのう、八嶋さん?」

 突然姿を現しては気の毒だと、まず声をかけた。案の定、彼女はキャー!と叫びをあげてしまった。寝袋から出て、本棚で隠れて半分しか見えない机に座り、とりあえず自分の存在だけは彼女にわかるようにし、窓を向いたまま話した。

「驚かしてすみません。奥の寝袋で寝ていたものですから」

「いえ!私こそ!勝手にRTACを使って。申し訳ありません!」

「今の、何を入力していたのですか」

「信楽さんへの…ビデオメッセージみたいな…」

「もしかして彼に…」

「プロポーズされて、お受けしました。でも、その後、アヤナの入力は私ではなくタレントにやらせたいって言われて…」

 ひゃっほう!

 柄にもなくガッツポーズをしてしまった。とうとう!信楽が空想と仕事で築いた城壁をぶっこわして、現実世界に出てきたのだ!大魔神あらわる!赤池の脳内で変なコラ動画が再生されたが、そういうものを人と分け合わないのが理系の普通人たる所以である。

 それに、さっき八嶋がアヤナとして発していたセリフを考えるに、どうやら二人の意見は食い違っているらしい。

「八嶋さんは、RTACの入力をご自分でやられたいのですね。でも、RTACは言ってみれば芝居ですから本業の女優さんのほうが完璧に仕上がるという可能性も」

「そうなのですか?そういう人が簡単に見つかるなら、信楽さんはあんなに私に執着しなかったのではないのですか?彼は、私のためにRTACを作ったのですよ。私も変換された自分が信楽さんが語るアヤナそのものだと思えたのです。信楽さんが私のこと、彼の頭から飛び出したみたいだって言った時、彼と自分の不思議な結びつきのせいなのだと素直に感動しました。私だけがアヤナを完璧に彼のゲームに閉じ込めることができる。そう信じてがんばっているのです」

 立ち上がって部屋の中央に進み入ると、八嶋は今まで見たこともないほど美しく輝いていて、それが信楽と愛を交わしたからなのだろうとわかったし、そんな彼女を他人と分かち合いたくないと結論付けた信楽に同情するしかなかった。

 だが彼女が今まで信楽に命じられた仕事を期待以上にこなしてきたことを考えると、責任をとりなさい、とアヤナに言わしめた彼女の言い分ももっともなのだ。

「八嶋さん、そのビデオレター、なかなかいいアイデアだと思います…が、一度私にげたを預けていただけないでしょうか。うまく話してみますので」

「私、信楽さんが折れなければ、結婚しませんから」

 結局信楽のことよりも、彼の作品の方に惚れているのか、と聞きたくなったが、こういう女性でなければ、彼の相手はつとまらないのかもしれない。小林は威勢はいいが現実的過ぎて、信楽の「不思議」な世界に入り込めなかった。八嶋は彼女自身が「不思議ちゃん」だから、信楽の壁など無いに等しいのだろう。



 美紗緒は突然現れた赤池に淡々と話をされて、この数日沸騰していた頭が徐々に冷えてくるのを感じた。もしや自分の我儘を押し通そうとしている「社長と寝た」だけの迷惑な女子社員になってやしないかと、これまでのことを反芻してみた。

 だが、この二ヶ月すでに十人近い人員を動員して作り始めているゲームの方向性を「女子社員と寝た」だけで変えようとしているのは、信楽のほうだと、確信が持ててしまうのだ。

 正しいのだから最後は自分の意見が通らなければならない、といういつもの自分のやり方にはまりこんでいるのはわかる。

 でも、変えられない。

 ここで折れたら、私じゃない。

「信楽さんだって、あなたと別れてまで我を通そうとは思わないでしょう。ただ男は女性の正論の軍門に下るのに時間がかかるものです」

 赤池は悟った言い方をした。美紗緒は自分の子供っぽさを思い知らされているようで、何も言えず、さっき入力したアヤナの動画と音声ファイルをSDカードに収め、彼に頭を下げて赤池研究室を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る