第6話 容疑者は……?
一時間後、エレベーターホールに楽し気な声が響く。外に食事に出ていた者たちが戻ってきたようだ。遥も人事部へと戻ってきて後ろ手にドアを締める。
「俊郎さん、これ」
首から下げたネームタグにはデザイン部からの洗礼……派手な色味で遥の名前が描かれている。
「早速詠むね」
「あぁ、そうか。描きたての……」
「みんなで描いたって言ってたから、詠んだら気配はとれるね」
「指紋みたいですね」
「俺からみれば似たようなもんだよ」
そう言って、ネームタグをかざすように持って意識を集中しはじめる。何色かのモヤがたちあがった。
「ん……これは」
渦巻くモヤをまだら模様の結晶にすると、鞄からノートを取り出して詠んだことを記録している。
「何か分かりましたか」
「俺の名前を書く作業だからか……俺への歓迎の想いがこもってるね。へへ……なんか嬉しいな」
少し照れたような笑みを浮かべている。こういうときは普通の若者だ。
それから遥はノートのページをめくり、昨日書いた表を指さした。
「まず昨日詠んだ分との照合。壊れたマウスはデザイン部の田畑さんの物だね」
確かにネームタグに散らしてあるポップな花のイラストは、田畑さんが良く描いているモチーフだ。
「マウスが壊れたから、新しいものを発注しようとしてたのでしょうか」
「うーん……。そこまでは分らないかな。でも昨日詠んだ時のような怯えた感情は入ってないよ。それと、一昨日の夜に見せてもらったレシートには、このネームタグの気配に含まれてなかったので、あのレシートに関してはデザイン部はシロだね」
「ランチにはデザイン部全員が?」
「うん、全員って言ってた。あと一人は営業の小野さんが来てて」
「小野君が? 珍しいですね」
「デザイン部の人もそう言ってたよ。あんまり会社にいないのにって」
「彼はなかなかのレアキャラですからね」
彼は直行直帰が多く、帰社しても大体午後二時くらいで昼食時に会社にいること自体が稀だ。
昨年の夏頃、ふらりと人事部にやってきて、吉崎さんの席の隣にある作業用の席に座ると、独り言のように私たちに話しかけたのだ。
「仕事がうまくいかないのは、一体何が原因なんだろ……」
面白くなさそうな声で話し始めて、いつもは快活な小野君がまるで別人のようだったのを覚えている。
「私はずっと人事総務畑だから、営業の仕事をうまく回す方法は分からないですよ。上司の鎌田君に相談してはどうかな」
吉崎さんも事務職だから相槌をうっていた程度だ。
ちょうどその頃「小野君は本当に仕事をしているのか」という不満が営業部の他の社員から上がってきていた。小野君本人は、きちんと仕事をしているが成果がでないと悩んでいて、それから度々この人事部に人生相談のようにやってくるようになった。
「小野さんには困ってしまいますね」
当時、吉崎さんはため息混じりにそんなことを言っていた。彼が頻繁に来ることで吉崎さんの仕事の手が止まることはあったし、何度か注意をしたこともあった。
「俊郎さん、どうかした?」
「あぁ、いや……。前は小野君がよくここに出入りしてたなって思い出してました」
「さっき小野さん本人もそう言ってた」
「俺がどうしたって?」
ノックもなくドアが開いた。噂をすれば小野君だった。
「ランチ会に小野さんが来てたって話してたんです」
にっこり笑って遥がごまかす。
「やぁ小野君、どうしました?」
私のセリフにまたしても遥がニヤリとする。遥のように咄嗟に誤魔化しができないのが悔しい。
「遥にこれもってきてやったんだ」
小野君が見覚えのある饅頭を遥に差し出す。
「わー! ありがとうございます」
「賞味期限そろそろだからさっさと食えよ」
小野君は出張の度に必ず自腹で全員に行きわたるだけのお土産を買ってくる。
「あれは小野君のお土産だったんですね」
「こし餡でうまかっただろ」
得意げな顔で告げられたものの、実はまだ食べていない。何気なく好みまで覚えているところは、やはり営業職向きなのだろう。
「あ、あぁ。ありがとう、ご馳走様」
「じゃあな」
「小野さん、またね」
愛想よく手を振っていた遥は、ドアが閉まって気配が遠ざかるのを確認してから口を開いた。
「小野さん、今朝は朝礼不参加でメールの議事録で俺のことを知って、十時ごろに社外から田畑さんに『自分もランチ会に行く』とメールを送ったんだって」
「いつも外にいて、新人に名前も顔も覚えてもらえないってボヤいていますからね」
「小野さん自身はすごい気が利く人みたいだけどね。さっき、雑談で好きな食べ物を聞かれて、甘い物って答えたら即座に饅頭持ってくるんだもん」
饅頭といえばそういえば。私は引き出しの中から饅頭とメモを取り出して遥に見せた。
「遥君、昨日の面接の後にこの机に置いてあったんです」
「お、メモなら何か詠めそう。……これも小野さんかな?」
「その字は、たぶん北原さんですね。昨日、受付で対応してくれた女性ですよ」
「あー、あのちょっと派手な綺麗な人ね」
北原さんは営業部のアシスタントで、営業部からのお土産の配布や電話応対や受付も担当している。スタイルが良くて赤い口紅が良く似合ういわゆる美人。
……そして彼女が最初に私の噂を流した張本人だ。
「北原さんって、もしかして噂を流した人だったり?」
「……遥君、本当は心も詠めるんじゃないんですか」
「心は詠めないって。俊郎さんの表情が暗くなったからだよ」
表情に出やすいタイプという自覚は無いのだが、そんなに分かりやすいだろうか。
「……社内SNSに書き込みがあったのは、一昨日の夜に話した通りですが、それを『誤爆をした』として書き込んでいたのが北原さんです」
ネットワーク担当者の調べでIPアドレスから特定済だった。
他のコミュニティのSNSに書き込もうとして誤って社内SNSに投下してしまった、ということだったのだ。
「私が見る前に消されていたんですが、吉崎さんが退職したのは私のセクハラや不倫だったとかパワハラが原因じゃないか、って書かれていたそうです」
「事実無根で間違いないよね?」
「それも話した通りで事実無根ですよ。吉崎さんはそもそも休職であって退職じゃないし、私がセクハラや不倫をするようなタイプじゃないって、デザイン部の田畑さんが噂の火消しに徹してくれたんです。社長の藤田君も、北原さんを呼び出して話を聞いたうえで注意をしてくれました」
社内の全員にとって寝耳に水の出来事だったのだ。
「俊郎さんはその書き込み見てないんだよね?」
「一応見た人がネットワーク担当者にスクリーンショットを送っていたのですが、私は見るのが怖くて……見てないですね」
「……うん、それが正解だね」
限りなく故意の爆撃だったと、その書き込みを見た者が証言していた。その後は「Yさんの上司」と濁してあり、加賀美俊郎の名指しではなかったが、噂は何度かに渡って投下されていた。
「その後の煽るかのような書き込みも、この会社内のパソコンからだったのが不思議です。スマホや自宅からでも書き込めるはずなのに」
「確かに。それに、わざわざ自分の評価が下がるようなことするなんておかしいよね」
彼女はなぜあんなことをしたのか。もしかすると、今も進行形でそれらが書き込まれては消されを繰り返しているかもしれない。
「私のことが……嫌いで仕方がないのかもしれませんね」
「うーん……」
あれ以来、吉崎さんに対して私が何か誤解される行動をとっていたのだろうかということを考えるようになった。吉崎さんとはここで一緒に仕事をしていて特に問題はなかったはずだが、北原さんに愚痴をこぼすような事を無自覚のうちにしてしまっていたのだろうか。
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