第5話 自己紹介

 あんなことがあったばかりだから本来ならドアに施錠するべきなのだが、昨晩の遥の助言で別の手がかりが得られるかもしれないからと、いつも通りにしていた。

 メモを見るのも躊躇われるし、正直あの饅頭が怖い。

 慎重にメモを確認すると、営業部の出張のお土産らしい。いつもならありがたく頂戴するところだが、手がかりになるかもしれないので、他の証拠品と一緒に箱に納めた。

「ふぅ……」

 パソコンを開いて社内連絡に目を通し、遥の受け入れ準備に取りかかる。

 新人用の社内マニュアルと雇用契約書などの一式を印刷している間に、備品ロッカーから新しいネームタグとタイムカードに文房具セット。

 ノートパソコンとマウスは吉崎さんの物をそのまま使ってもらうことにして――

『そういえば、パソコンのスキルすらも聞いてなかったな』

 見た目からの印象は二十歳前後。アルバイトの面接にくる若者の中にはスマホは使えるけどパソコンは分らないという者も少なくはない。少々の不安がよぎる。

 いや、何もまともに仕事を手伝ってもらわなくても良いのだ。少し期待をしてしまったが、業務そのものは今まで通り私がこなして、遥には悪意の贈り主を探し出すことに専念してもらえば良い。


* * * * *


「大学2年生なんですか」

「見た目通りだったでしょう」

 目の前のニコニコと微笑む謎めいた青年は、書類上は普通の大学生。

 私立大学の工学部に在学。自宅はこの近所、というかあのビルだ。自己PR欄には「瞳の色は生まれつきです」と書いてある。

 カラーのコンタクトレンズではないということは……、今まで散々質問されて来たであろうプライベートについては、聞かないほうが良さそうだ。

 パソコンのスキルは問題ないどころか、デザイン部や企画部のアシスタントくらいはできるのではないか……?

「ここにあるスキルはどうやって身に付けたんです?」

「趣味で色々やってるからね。いわゆるオタク。営業だけは言葉遣い苦手だから期待しないで」

「就活は? やっぱり大手希望ですか?」

「いえ、特に……就職しなくても食っていけるとは思っているんで」

 幻想錬金術師の収入っていったいどうなっているんだろう。というより職業としてどうなっているのやら皆目検討もつかない。

 将来を約束されるような立場で、わざわざ企業に入らなくてもいいということなのだろうが、社会というものを知るためにも一度は就職したほうがいいのではないか、などと思ってしまった。


 朝礼の時間になって縦に長いフロアの中央まで遥を連れて行く。

 人を惹きつける外見だけでなく、人懐こい内面を持ち合わせているし、社内でも受けがいいだろうという期待を裏切らなかった。

 隣に控えていた遥の紹介をすると、全員の正面に出て朗々と自己紹介を始めた。

「初めまして。稲月遥です。西新宿の大学に通う四歳児です。今日からよろしくお願いします」

 よんさいじ? うちの息子と一緒?

「えっと、俺、閏年の二月二十九日生まれなんですよね」

 にっこりと笑って見せると一同がどっと笑った。うかつにも誕生日を見落としていたが、これだけで既にみんなの心を鷲掴みだ。

 さっそく社長の藤田君がご両親はどこの国の人だとか彼女はいるのかとかモテるだろうとか、遠慮なくプライベートに突っ込んでいった。人事部視点では藤田君のその部分は昔からの悪い癖だから今度注意しなくては。

 一方の遥は、不躾な質問を笑顔で受け止めて、両親共に日本人で、外見は生まれつきの一点張りで済ませている。遺伝子によるものだろうか、それとも何か事情があるのかもしれない。

 社内の暗黙のルールで、毎回新人のネームタグはデザイン部に書いてもらうことになっているので、今回も田畑さんに手渡した。


 朝礼が終わった後は、社内を案内しながら在席中の社員の顔と名前と席順を教える。

 端から良い意味で治安の悪いデザイン部、気づいたら全員メガネ愛用者の企画部、人がいる時は賑やかな営業部。

 そして人事・総務室。我々の部署だ。

 さらに隣に経理・社長室。

 遥は案内をしている時には社内をくまなく見渡していた。

「みんな明るくてノリが良いんだね。どこの企業もこんな感じなのかな」

「いや、ここは特別ですよ」

「俊郎さんって、他の会社からの転職?」

「ここは社長の藤田君と営業部長の鎌田君、デザイン部の田畑さんと一緒に立ち上げた会社なんです。前はいわゆる普通の企業にいたんですよ」

「へぇ……」

 営業部まで案内し終わり、今度は廊下の壁を右手沿いに回り込むと人事・総務室のドアがある。

 ドアを開けると突き当たりに私の席、ドアの左手の壁を背に吉崎さんの席とその奥に作業用の机がある。

「では遥君はそこの席で」

 社内SNSにログインする手順から休み時間などの社内規定を説明し、形式上の雇用契約書を交わす。

「分からない事があれば、なんでも聞いてください」

「あ、俊郎さん。遠慮なく仕事を頼んで。あくまでも自然にいきましょう」

「君がいいなら、それはそれでとても助かるんですが」

「はい、もちろん!」

 早速、給料明細の作成がある。データを作って印刷して封筒に入れて配布する。まずはデータを作る作業を遥に頼むことにした。

「いきなり個人情報」

「えぇ。この仕事以外でも割と多いから、ドアは必ず閉めること」

「そうか、密室になる場所なのか……」

「隣の経理と社長室も似たような感じです」

 遥は吉崎さんが作ったマニュアルを元に、ソフトの操作もすぐに覚えて仕事をこなす。それほど大きくない企業でも人事総務庶務をまとめてやるにはそれなりの仕事量だ。もしかして逸材かもしれない。

 午前中が終わる頃に、ノックの音が響いた。

「遥ー、ごはん食べに行こー?」

 田畑さんの声だ。彼女は立場や部署に関係なくランチに誘う。

 特に新人にとっては、部署に限らず初日に必ず食事に連れ出して社内の人間と話す機会を作ってくれる貴重な存在で、誰にでもフランクに接するさっぱりした性格の女性だ。

「行っておいで。おそらくデザイン部の若手も一緒だから、話には困らないと思いますよ」

「そっか、何か収穫あるといいなぁ」

「今日の所は、素直にランチを楽しんでくれば良いですよ」

「はーい。行ってきます」

 昼休みは一時間。最近は忙しいこともあってデスクで弁当を食べる。食事を終えてから遥の履歴書に改めて目を通すと、確かに閏年の二月二十九日生まれと書いてある。

 こういう事例は今までなかったが、誕生祝いってどうしてるんだろうか。

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