第225話 津波 ④

「あい! じゃまをちないで!」

「しつこいよごれはせんめつでしゅっ!」

「もお! よごしたらめっ! です!」


 地球には計八種類の熊が生息している。こちらの獣人も種類は同じく八種類である。ただ、一部二つの部族に分かれて九部族になってしまっているが。


 ア・ソ連合体では戦闘に不向きとされている五部族を下に見る傾向が強い。何故なら開祖クマがそこに関わってくるから。


 ご存知の通り、ア・ソ連合体をまとめたのが開祖クマであり、彼はベアシーズの英雄だ。彼はその戦闘力一本でア・ソ連合体という組織を作り上げた。これが原因となり、ここでも帝国皇帝と同じような現象が引き起こる。つまり、力こそジャズティス、パワーこそ権威現象だ。腕っぷしが強ければ強い程発言力や権力が強くなる悪習と言っても良い現象である。


 だが偉大な英雄がまとめた組織としては、ア・ソ連合体は弱小国家だ。同じ英雄を担ぎ上げた帝国とは天と地の差がある。それは何故か? 原因は開祖クマ自身にあった。


 帝国皇帝は政治に無関心で、だからこそ優秀な家臣団がいくらでも頑張れる土壌があった。また皇帝が勝手に暴れて領土が自然と拡大して行ったのも帝国が強国になれたポイントだったろう。しかし開祖クマは違った。彼が行ったのは選別だ。


 クマはまず戦える種族と戦えない種族という形で差別化を行った。クマが生きていた時代は無法の時代であったから、これはある意味正しい選択ではあった。まずは自分達の権利を守る為に、戦える種族が矢面に立って戦う必要があったからだ。


 だがしかし、ある程度の安定と秩序が担保された後もその差別は解消されず、あろう事か差別を加速させたのもクマである。彼は人格が歪んでいた。自分がやられた事を自分より弱い人々へ向ける程度には、精神的に狂っていたのだ。質が悪い事に、それを表に出して自分の英雄像を破壊されるような事は避ける程度の知恵はあり、表向きには開祖クマと尊敬を集めながら、彼はその行為を続けた。


 こうしてア・ソ連合体は結果として、武力を担保とする発言力という図式が解消されず、力無き賢者の声は封殺される方程式が成り立ってしまった。だからこそ多種族複合国家という、ありとあらゆる価値観が絡み合い成長できる土壌がありながら、国家というよりネットワークギルドに近い相互扶助し合う寄り合い国家から脱却出来なかった。それに危機感を感じた人々によって代表制度が導入されたが、結果は芳しく行かなかったのは知っての通り、発言力の強い部族が台頭する結果に繋がる。


 確かに開祖クマは英雄であっただろう。だが英雄イコール優れた統治者という図式は成り立たない。ライジグスのタツローのような統治者というのは、実は歴史的に見ても稀有な存在なのだ。


 開祖クマが広めた差別という意識は、ずっとずっとア・ソ連合体の根底に根付き続けた。それは軍人達が五部族出身の女の子達へ向けている視線からも明らかだ。


 そんな彼ら彼女らの価値観は、目の前の現実に木っ端微塵レベルで破壊されたみたいだが。


「どう、なってやがる……」


 戦闘を得意としているアラバマやヒグマ、グリズリーやムーンベアなら分かる。いや、それでも目の前の女の子レベルの若年だったら難しいかもしれない。いやいや――激しく混乱する軍人達を置き去りに、人種の女性達がテキパキとクォッカの人々を避難させている事に全く気づいていなかった。それぐらいにあり得ない光景が目の前に広がっていた。


 決して乱暴に振り回す訳ではなく、本当に掃き掃除をする感じで長箒を動かせば化け物が吹っ飛び、パタパタと手に持ったハタキで吹っ飛んだ化け物を叩けば、分子崩壊を起こしたように砂状に崩れる。その砂粒を大きなタンクを背負った子クマが、次々に吸引装置を使って回収する……もう訳が分からない。まさしくそこに広がっているのは戦闘ではなくて清掃作業だ。


「ア・ソ連合体外環駐留軍人の皆様、少しよろしいでしょうか?」


 呆然と目の前の光景を見つめるしかなかった軍人達へ、一番最初に子グマ達へ指示を出していた女性が近づく。


「我々の仕事はそろそろ終了致します。ですのでコロニーのシステム関係はお任せしてもよろしいですか? それまでクォッカの人々はこちらで喜びお世話させていただきますので」


 確かに口許は優しげに笑っている。表情全体も柔らかい印象を受ける。だが軍人達は気付いていた、目が怖い、と。


 彼女はしっかりと見ていた。自分達が手塩を掛けて育て、ライジグスの国民として迎い入れたクマちゃんへ向けるムカつく視線を。ライジグスでは一切合切国家で禁止されている差別的侮蔑を含む視線を向けていたのを、彼女はちゃんと気付いていた。


「コロニー中枢システム部までの経路の安全は確保済みです。我々外部の人間がコロニーの心臓部へ立ち入る訳には参りませんから、そちらは軍人であるそちらの領分でありますでしょ? お任せしても?」


 言葉は丁寧だ。口調も柔らかい。慈しみに満ちた言葉使いである。だが、何故だろう、軍上層部の叩き上げ軍人から向けられる圧のような何かを感じずにはいられない。


 彼らは知りようも無いが、目の前の人物もタツローの嫁である。ばりっばり才妃である。ある意味側妃よりも条件が厳しいとされている才妃、それもメイド・オブ・メイドを冠する人物の静かな威圧を受けて、気圧されない訳がない。


「お任せしても?」

「「「「イ、イエスマム!」」」」


 再び念押しされ、軍人達は最敬礼で返事をする。それを確認した女性は美しく微笑むと、一瞥すらせず背中を向けて立ち去った。


「なにあれこわい」

「まじでこわい」

「しろくろこわい」


 少々薬が効き過ぎっぽいが、愛すべき自分の部下へ侮蔑を向けられた対応としては優しい部類だろう。これがガラティアだったら、徹底的に口撃をされて、精神的トラウマを植え付け、一生白黒の衣装に拒絶反応を示すような暗示でも仕掛け兼ねないのだから。


「はい、それではコロニー外壁のお掃除研修に入ります。今回は特別にアプレンティスから着用を許されるメイド服を支給します。しっかり励みなさい」

「「「「はい(あい)!」」」」


 軍人達の様子など捨て置き、仕事をしっかりこなし、誉めて誉めてと瞳を輝かす子クマ達へ、心からの優しい笑顔を向け、彼女は指示を出した。




 ○  ●  ○


 それは津波と言っても過言ではない状況であった。レイジの指示を受けて出撃をしたアベルであったが、目の前の光景に表情筋が強張るのを感じる。


「気持ち悪いな、これ」


 新型ラクシュミ改二型のブリッジで、うんざりしたアベルの呟きが浸透する。実際、仕事を続けているオペレーターからしても、ちょっと鳥肌が立つ光景だ。


 新型になり、ブリッジ回りの改修も進み、まるでガラス張りの窓がそこにあるような錯覚を覚える全周囲巨大フルスクリーンの、それはそれは凄まじい解像度を余すことなく発揮した映像は、下手なホラービジュアルディスクより恐ろしかった。


 一言で説明するならば、とげとげしいウニの大集団が大波に乗っかって迫ってくる。そのウニの集団に、六足五足四足が混じっていて、グロ度を思いっきり引き上げているよ、君の正気度にチャレンジだ! という感じだ。


「艦長、レーダー改修タイプ重巡洋艦デメテル三番艦から入電。目の前の波の後方に、あれと同規模の波を四つ確認したと」

「……」


 ブリッジに何とも言えない空気が流れる。アベルは腕を組み、しばらく目を閉じて考えると、ゆっくり瞳を開けて指示を出す。


「近衛に通信。こちらの後方へ艦隊を布陣せよと要請。カオスとマルトもこちらへ」

「了解、すぐに」

「頼む」


 アベルはちらりと周囲を確認するように視線を走らせ、頼れる仲間の姿を視界に入れる。


 本当はラクシュミ改二型を中心にした編成をする予定だったのだが、興が乗ったとか何とかで技術開発部の重鎮達が色々やらかしたらしく、かなりの数の艦船がこちらへと送られてきたのだ。なのでアベルも遠慮無く使おうと、バランスが良い編成でこの地点へとやって来た。実際にそれは大正解であった訳だが。


「……まぁ、ここは開き直る場面ではあるか」


 色々と策は考え付くが、そのどれもが一艦隊だけでは無理がある。それだけ目の前に広がる光景を産み出す物量が、頭ぶっ飛んでるレベルなのだが、それを責めても嘆いても現実は変わらない。


「陣形、グレートスリーライン。中央はアベルが、左右にはラクシュミ二番と三番がそれぞれ旗頭として布陣」

「……よろしいのですか? それではかなりの数を逃がす形になると思いますが?」


 陣形グレートスリーライン。巨大な矢じりに見立てた布陣の艦隊を三つ用意し、それを川の字のように並べる陣形である。主に突撃時に使用する陣形で、敵集団へと突っ込み相手を切り裂くように突き進み、敵を撃滅するそんな陣形である。


 川の字に布陣する関係上、中央の両脇にある空間の殲滅力は絶大だが、両サイドの横を通り抜けられると一気に殲滅力が落ちる。小さい集団には効果的な陣形であるが、目の前の波に対しては有効に働かないように思えた。それをオペレーターが指摘すると、アベルはオーバーに両肩を竦めて苦笑を浮かべる。


「馬鹿言っちゃいけない。あれをこの一艦隊で殲滅とか無理だ」

「確かにそうですが……」


 尚も不満げなオペレーターに、アベルは波の後方、更に奥、そこにいるであろう本丸を見るような目付きを向ける。


「全力を出す場面はここじゃない。ここは消化試合だよ」


 アベルの言葉にオペレーターは頷いた。どうやら自分の方が状況を見えてなかったようだと反省する。確かにここで全力を出して波を撃滅したところで、その奥にはこれを産み出せる主力が待ち構えている。それを倒す事が目的なのだから、ここで消耗するような戦いをする必要はない。


「それに、うちの後方には悪辣宰相のレイジがいて、ゼフィーナ義母上を筆頭にしたライジグス妃集団がいる。こちらがヘマしたってどうって事の無い布陣だよ。気張るだけ損って事さ」

「……」


 自然体に笑うアベルに、オペレーターはしばらくその表情を凝視してしまった。オペレーターの彼は初期からアベルの指揮する艦隊に配属されている人物で、アベルの事をかなりしっかり把握している人物でもある。


 もしも以前のアベルであったのならば、ここはガッチガチに防御を固め、一匹たりとて通すな的指示を出し、結果二進も三進も行かなくなって慌てる。そうして自分の首を自分で絞め、余裕を失って更なる迷走を繰り返す、そんな感じだったハズだ。


 いきなり化けた、オペレーターの彼の内心を言い表すのならばこれだろう。


「何だ?」

「え? あ、いえ。何でもありません」


 ジッと凝視しているのに気付かれ、アベルに問いかけられたオペレーターは、愛想笑いを浮かべて視線を逸らした。そして思った。今回の戦いは、結構楽に戦えるのではなかろうか、と。


 今回は多分無茶は発生しない。それならば調整をする事になる自分達も楽になるのでは? と思ったのだ。それは他のオペレーター達も感じたのか、仕事をしている彼らの後ろ姿から余分な力が抜けていくのが見える。結果としてブリッジはかつて無い、ベストな空気感に整いつつあった。


「陣形整います」

「よし。戦闘艦の出撃準備。あまりにザルだと叱られるからな、彼らにも手伝ってもらおう」

「了解!」

「二番、三番の艦長へ伝達。余力を残しつつ迎撃。お楽しみはまだ先だ」

「伝えます」

「後方艦隊へ、取り逃しの処理を頼むと」

「了解!」


 後に、配下を操る魔術師、と呼ばれるようになるアベルの、その発露が見られる戦いが始まろうとしていた。

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