お風呂談義

 この旅館には浮世風呂に、石榴風呂、蒸風呂もあるんだよ。


「日本の銭湯は蒸風呂が元祖でエエ気がする」


 日本の福祉施設の元祖は光明皇后が建てた悲田院とされてる。その中に入浴施設もあって、


「垢すり伝説やろ」


 光明皇后の夢の中に仏が現れて、千人の垢すりを誓願するってお話ね。その千人目に見るからに酷い皮膚病を患った人が来るのだけど、光明皇后は誓願を守り垢すりをすると、その病人の正体が仏様だったってお話。


「垢すりやるのは、やっぱり蒸風呂やろ。ずっと時代が下るけど、戦国時代の京都の風呂屋の話でも・・・」


 前田慶太のエピソードだ。中途半端に傾奇者ぶる若侍を懲らしめる話だけど、あの舞台も蒸風呂だったはず。


「湯浴みもあったけど、当時の人間がカネを払ってまで行く風呂は蒸風呂やった傍証になるやろ」


 和風サウナみたいなものか。日本の風呂文化だけど、江戸時代になると大きな湯船に入る現在に至る銭湯みたいなスタイルが出てくるのだけど、


「それでも蒸風呂が好きやったみたいや。そこで出て来たのが石榴風呂や」


 石榴口は茶室にもあるけど、狭い出入り口を指すものになる。これは湯船から上がる蒸気を出来るだけ浴室に閉じ込めようとした工夫なんだって。そうすれば気分だけでも蒸風呂気分を味わえるからか。


「それと日本の風呂文化のおもろいところは・・・」


 あは、そうだった。日本の風呂は混浴なんだ。今だってそういうところはあるけど、江戸時代は銭湯でも混浴だったもの。


「それだけやない、公衆浴場でも男女とも素っ裸や」


 体を洗うために裸になるのは当たり前だけど、それが混浴だったんだよね。今じゃ、考えられないだろうけど、そうだったし、わたしも入ってた。よくあんなものに入ってたものだ。


「性風俗の違いやろ」


 日本の伝統的な婚姻方式は妻問婚。平安貴族もそうだったもの。女の家に男が通うシステム。これは平安貴族だけじゃなくて、


「そうや夜這いや」


 これも凄いシステムなんだけど、年頃の娘に男が夜這いを仕掛けるのよ。それも娘が夜這いされるのは親公認で、それどころか夜這いされやすいところに娘を寝かせ、男が入りやすいように雨戸とかも開けられるようにしておいたんだもの。別嬪さんなら複数の男が夜這いをするのだけど、


「結婚相手を指名する権利があるのは女や」


 娘は自分に夜這いをかけた男の中から気に入った者を結婚相手と指名し、男もこれを断ったらいけないのが夜這いのルールだったのよね。良い様に言えば夜這いをするというのはプロポーズみたいなもので、娘はプロポーズを受けた男の中から結婚相手を選んでいるとも言える。


「その解釈おもろいわ。ただのプロポーズやのうて、実質付きなのが大きな違いやけどな」


 夜這いには本番がセットだから、結婚相手を指名する時には妊娠してる事だってある。避妊なんて概念すらない時代だし、具体的な避妊手段もない時代だからそうなる。


「誰の子がわからん状態でも、男は自分の子として育てるのも夜這いのルールや」


 そんなので良いかと思うほどおおらかなルールだけど、そういう性風俗が世間の常識の時代だったとしか説明しようがない。時代が過ぎ去り、世間の常識が変わってしまうと理解するのも難しくなるものだよ。


「夜伽もあったよな」


 これは、たとえば山里で旅人を客として迎え入れた時に起こるもの。


「ここもポイントがあって、旅人を客として認めた点が重要や」


 そう、旅人であっても客として迎え入れられるのはハードルが高かったもの。素性の知れない旅人を客としてうっかり迎え入れたりしたら、実は盗賊とか、山賊の手下で、家の中から手引きして襲われたりが当たり前にあった時代だからね。


 でも客と認められると、扱いがガラッと変わる。そうだね、家族以上の扱いになって、ご馳走をしたり、次の行き先への紹介状を用意したり、場合によっては路銭を施したりまであったぐらい。そういう接待の一環としてあったのが、


「夜伽や」


 そう夜の接待。ぶっちゃけエッチのお相手。客の性欲解消まで接待にセットとして当たり前のように組み込まれてたんだよ。その相手をするのが家の娘。たとえ生娘でも夜伽の相手として差し出されたし、娘だって接待のために当然と思ったぐらいかな。


 そういう夜伽の風習は客と認めた人物への接待の意味だけではなく、とくに山里なんかだったなら、血を薄める意味もあったとされている。狭い社会の中で結婚を繰り返すと、どうしたって血が濃くなり、流産とか奇形児が多くなるのは遺伝の法則だからね。


「そういう解説もされることもあるけど、コトリは後付けやと思うで。子が親に似るとか、血筋ぐらいの遺伝の概念はあったけど、近親結婚の弊害をどんだけ知っとったかは疑問や」


 近親婚は歴史的にも多いのよね。日本書紀なんか読んでたら近親婚のオンパレードだもの。さすがに同母はなかったはずだけど、異母ならゴロゴロって感じ。これはヨーロッパでも同様だよ。


「古代エジプトなんか同母でもバンバンやし」


 この辺は身分制にも原因があって、いわゆる釣り合いを極度に重視すると相手が近親になってしまうのも現実にあるもの。昔は身分が違うと結婚相手どころか、人として見ないぐらいでも間違いじゃない。


 それと血のつながりは昔から重視され、さらに血の純潔も尊ばれたのもある。今でさえ、相手の出自で結婚が左右される家は珍しくもないからね。血筋で無難なのは近親になるのよね。まあ従兄妹婚は現在でもあるし、法律でも認められてる。


「だったら夜伽って?」

「貴種流離譚みたいな部分はあったと思うわ」


 旅人が客として認めてもらうために嘘八百並べたとするのはコトリに同意。旅人にしても野宿になるのと、客として泊めてもらうのには雲泥の差があるもの。


「それだけやない、客として認められへんかったら、追い出されるどころか、怪しい奴やいうて殺される危険性も十分にあるやんか」


 昔の余所者ってそれぐらいシビアに扱われていたものね。それでも客として迎え入れられた旅人は貴人になり、


「娘が貴人の胤をもらうのに重い価値を置いたぐらいやろ」


 そうやって生まれた子どもは貴人の子として珍重されたのか。そう言えば、そういう落とし胤伝承は全国各地にあるものね。今だって有名人の隠し子騒動はあるけど、公然と落とし胤を作ろうとしたのが夜伽の風習かもしれないね。


「そやそや、暗闇祭りもあるで」


 これも今でも奇祭として行われているところはある。とは言え新月の夜にすべての灯りを消してしまうぐらいだけど、


「暗闇祭りの本番は灯が消えてからや」


 そうなのよね。祭りの会場に集まった男女は、


「オールナイトの乱交タイムに突入や」


 本当にそうだった。それも男女の交合が激しければ激しいほど神意に適うとされて、それこそ手当たり次第だっとか。男も女も狂うぐらい求めあい、ひたすら熱中したのが暗闇祭りだよ。


「今とは倫理がだいぶちゃうからな」


 そういうこと。わたしもコトリもそういう時代を知ってるけど、今の人からすればトンデモナイとしか感じないと思う。こういう男女の倫理は時代で変わるかからね。


「そやなフェミニストの極右なんて・・・」


 セックスを生殖行為と規定してるとしか思えないよ。そりゃ、やるかどうかは両性の同意が必要なのはわかるけど、あれだけ女にガチガチの主導権を持たせる主張はどうかと思わないでもない。


 両性の合意だって微妙なところはヤマほどあって、そりゃ、二人で完全に合致したら問題ないけど、気分が微妙な時だってあるもの。そんな時に男がやりたかったら、あれこれ誘惑しようとするじゃない。立場が逆だったら女から誘惑もする。


 そうやって気分が高まってきて意思が一致していくのも男と女の駆け引きだし、楽しみじゃないかと思うもの。それを女がやる気がない時どころか、微妙な時に誘惑するのもセクハラと切って捨てちゃうものね。でもさあ、でもさあ、恋人同士で、


『今夜は生殖行為を行いたいと思いますが、貴女の御意向はいかがでしょうか』


 こんな感じで面と向かって許可を求めるのも変過ぎるよ。これって女が欲しい時でも、


『今夜は生殖行為を希望します。あなたの意思はどうですか』


 なんて味も素っ気もない。ああいう連中はセックス自体を敵視してるところは確実にあるのよね。そんなにエッチが嫌いだったっら人工生殖にでもすればイイじゃないの。


「それでもああいう主張はありやと思うし、ああいう主張に共鳴できるパートナーを求めたらエエだけの話やと思てるねん」


 そうなのよね。だけどああいう人達って、主張に反する者を許さないにすぐ走るんだよね。それが進んでる女だとか、そうしないの旧来の男尊女卑に毒されてるとか。でも、でも、エッチはね、単なる生殖行為じゃない。行為そのものが楽しみであり、文化なんだよ。


「コトリとユッキーの考え方かって正しいわけやあらへん。こんなもん、答えなんかあるかいな。そやな、大まかな枠組みさえ守れば、個人の自由やと思うてる」


 そういうこと。童貞や処女を守るのも自由。どんな考え方をもってエッチするのも自由。お互いの考え方が合わないなら距離をおくのも自由。だけど言うまでもないけど性犯罪は許さない。セクハラ野郎も許さないけど、レイプ野郎なんて・・・


「この辺にしとこ。メシにしようや」


 コトリの機嫌も少しは治ってくれたかな。

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