コトリの不機嫌

 桜島フェリーは十五分ぐらいだから下船の準備をしてたのだけどカケルが、


「今から鹿児島市内観光で、そのまま泊まりですか?」


 あっ、しまった説明するのを忘れてた。コトリとのツーリングも基本は気ままツーリングなんだよ。もちろん出発前にはあれこれルートや、行きたいところ、見たいところを検討するけど、その日にどこを走るかは二人の阿吽の呼吸なんだよね。


「ちゃうわい、コトリがきっちり計画しとるわい」


 まあそうなんだけど、


「あのな、『まあ』で済ますな」


 はいはい、コトリには感謝してます。それと県庁所在地は避けるか、通り抜けるだけなのよ。エレギオンHDの社長、副社長としてウンザリするぐらい出張で行ってるから。カケルも城山公園とか、天文館通りとか行きたいと思うけど、それはカケルが次に来た時に行ってね。今夜は指宿のはずだけど、


「ユッキー、今夜は我慢してくれ」


 どういうこと。


「指宿に来たからには砂風呂に入りたい」


 それは外せないけど、


「そやけど砂むし会館砂楽に寄ってる間があらへん」


 それは残念。だったら砂風呂は無しだとか、


「そやから謝っとるやんか。砂風呂は入る」


 フェリーを下りてからひたすら海岸線を南下したんだけどコトリはあまりおしゃべりしてくれなかった。するのはするのだけど、いつもと違う。ツーリングで初めてこんなコトリを見た気がする。指宿に入り連れてこられた宿は、


「コトリ、ここって」

「何遍もいわすな。今日はここで我慢してくれ」


 我慢ってそんな・・・カケルは、


「あの、本当にここなんですか」

「ああそうや。心配せんでもメシも出るし、砂風呂も入れる」


 そういうレベルじゃないでしょ。白水館と言えば指宿でも屈指のデラックス旅館だもの。カケルが心配しているのは、こんなリッチな旅館に泊まっても良いかとか、料金が払えるかどうかの話じゃない。


「ここはコトリが勝手に決めたから、カケルは払わんでもエエ。コトリの奢りや」

「奢りって、こんなすごいところ・・・」

「だから我慢代って言ってるやろ」


 あの話がこうなっちゃうなんて・・・志布志から桜島を回って指宿に向かうラフ・プランは出来てたのよ。このコースを走ることに異論はなかったのだけど、問題になったのは指宿での過ごし方。


 指宿と言えば砂風呂だし、それを体験したいのも意見は一致した。お互いに反対する理由もないからね。でも志布志から佐多岬を回って指宿まで行くとなると、砂むし会館で砂風呂やってる時間なんて取れないのよ。


 こんな事でと笑われるかもしれないけど、南九州ツーリングがずっと棚上げされてた理由の一つなのよ。これにはさらにがある。指宿は良い温泉街だし、砂風呂以外にも秘湯はあるのよ。


 二月田温泉の殿様湯とか、弥次ヶ湯温泉とか、村之湯温泉とかね。でもそれらは入浴施設だけで温泉宿じゃないのよね。わたしも指宿の秘湯の温泉宿を探して回ったけど、どうしても見つからなかったもの。


 ツーリング・スケジュールの制約もあるから、指宿で砂風呂と秘湯の宿の両立は無理だとしか言いようがなかった。鹿児島も秘湯の宝庫だけど、わたし好みの秘湯の宿となると霧島方面になってしまうと言えば良いのかな。


 それでも南九州ツーリングを実行したのは、たぶん三日月ツーリングの流れのはず。あのツーリングは帰りの時に工事渋滞に引っかかったり、事故処理渋滞で動けなくなったり、挙句果ては六甲山トンネルまで事故トラブルで大渋滞だったのよね。悪いことが重なる典型的な日だったぐらい。


 そんな時に中型なり大型へのバイク変更の話をまた持ち出しちゃって、コトリがウンザリしてる空気だけはわかったのよ。その程度のことはコトリとの仲だから、いつもの事だと思ってたけど、コトリにしては珍しく引きずっていた感じがあったもの。


 三日月でも出てた南九州ツーリングの話をコトリが持ち出して来たんだ。もちろん、わたしも大乗り気でプランを練ったのだけど、指宿をどうするかはコトリに振ったんだ。ミサキちゃんや、シノブちゃんの説得工作を押し付けられたから、ちょっとした仕返しのつもり。


 今から思えばになるけど、あの時のコトリの反応は寂しそうだった。コトリも探したと思うんだ。わたしが満足する宿にしようってね。でも見つからないのも知っていた。だからこの宿にしたと思うけど、そこまで不機嫌にならなくて良いじゃない。


「こういう宿も変化球で面白いじゃない」

「ツーリングには合わん」


 バイクを置いてロビーに入ると、いかにも豪華旅館って感じだ。部屋に案内してもらったけど、窓から見える夕日が綺麗だ。


「ここはもう錦江湾じゃないから太平洋に沈む夕日だね」

「こんな旅館の窓から見るんやなかったら綺麗や」


 そんなに申し訳なさそうな顔をしないでよ。コトリがわたしの希望する秘湯をつないでツーリング計画を立てているのは誰よりも知ってるのだから。それにロング・ツーリングするたびに起こるアクシデントにも対応してくれているのも。


 コトリがいなければ、そもそもツーリングなんか出来なかった。いつもいつも、楽しいツーリングになってるのはすべてコトリのお蔭だよ。この宿だってコトリが考え抜いた末に選んでくれたんじゃない。悪く思うわけないじゃないの。


 なんとかコトリの機嫌を直さないと。部屋だってさすがは一流旅館だから、広々してるし、調度なんかも立派じゃない。謳い文句は殿様気分ってのもウソじゃないよ。


「それぐらいしか取り柄はあらへん」


 ああもう。そうだ気分を変えよう。こういう時はまずお風呂だ。汗を流して、さっぱりすれば気分だって変わるはず。温泉ってね、パワースポットの効果があると思うんだよ。普段でもお風呂入るだけで気分が良くなったりするけど、温泉は格別だと思ってるの。大浴場まで歩きながら、


「さすがに広いから遠いね」

「無駄に広いわ」


 もう。脱衣場で着替えていざ風呂場へ、


「待望の砂風呂経験よ♪」

「それなりの気分だけやけどな」


 そんなことない。温泉好きとして砂風呂はいつかはと思ってた。そりゃ、砂むし会館で入れればベターだよ。でもね、でもね、本当にしたいのはコトリとのツーリングなんだ。砂風呂だって入れればラッキーに過ぎないよ。


 コトリは知恵の女神だけど、微笑みの女神でもあるの。コトリの微笑みがどれだけ救ってくれたことか。ここまで生きてこれたのも、そのお蔭だもの。やっと、これだけ気楽な旅が出来るようになったんじゃない。


 それにしても広い風呂場だね。これだけの宿泊客に対応するから広いのは当然かもしれないけど、各種とりそろえてるのが面白いじゃない。どれから入るかだけど、


「まずは砂風呂に行こうよ」


 砂をかけてもらって、なるほどこれが砂風呂か。岩盤浴に似てるかもね。


「ホンマは砂浜でパラソル差して・・・」

「こっちの方が絶対イイよ」


 コトリと一緒なのが最高なの。砂をシャワーで落として打たせ湯を楽しんで・・・お願い、もうちょっと楽しそうな顔をしてよ。


「これだけお風呂があるのを見たら思い出した」

「健康ランドか?」


 ちょっと違う。あれは昭和の時代だった。ジャングル風呂が流行した時があったのを覚えてるよね。風呂場に熱帯風の植物の植木鉢を並べて、南国気分を出して・・・


「ああそれか。すべり台とか、フルーツ風呂とかもあったな」


 食いついてくれた。他にもなぜか牛乳風呂とかもあったけど、


「あれって、そういう形だけで、お湯はみんな同じやったよな」


 そういうこと。風呂の形が面白かっただけの子どもだましだった。


「ユッキー、宇宙アポロ風呂って知ってるか?」


 なにそれ。ネーミングからしてアポロ宇宙船が月に着陸した頃のものと思うけど。空でも飛ぶの。それとも、お風呂に入りながら打ち上げ式のフリーフォールに乗るとか。


「そんなんしたら風呂のお湯が全部こぼれてまうわ。それとやけどフリーフォールどころか、まだループ・コースターもスクリュー・コースターも無い時代や。そやな、あえて言うたら宇宙遊泳を想定したんかもしれん」


 お風呂で宇宙遊泳?


「宇宙遊泳いうより空中散歩や」


 なになに、どうやってお風呂で空中散歩をするの。


「それはな・・・」


 へぇ、そんなもの作ったところがあるなんて。昭和かもしれない、日本どころか世界でもそこだけだと思うよ。なんとだよ、ロープーウェイのゴンドラを風呂にしたって言うのだから。


「風呂は座席システムみたいなもので、一人用のユニットバスみたいなのを並べとった。ゴンドラの乗り場は浴室に隣接しとって乗り込むんやけど、そこから海をまたいで宿の向かいの島までロープが渡されてとってな」


 旅館は小さな湾を見下ろす崖の上にあったみたいで、その小さな湾を跨ぐようにロープーウェイがあったみたい。そこを往復する間が入浴しながらの空中散歩か。


「お風呂はどうやって沸かしてたの」

「わからへんけど、ガスは無理やと思うから電気やろ」


 今はどうなってるかだけど、二十一世紀を待たずにホテルごと廃業したそう。


「長いこと廃墟マニアがネタにしとったけど、今は取り壊されたはずや」


 時代の仇花みたいなお風呂だけど、話のネタに入りたかったな。また誰か・・・二度と作らないだろうね。


「中国ぐらいやったら作りそうやけど」


 たしかに。

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