§1-8: 約束と、胸をつく痛み
マナちゃんとまみちゃんのふたりに「迎えを呼んだけど、それが来るまでもう少しいっしょに居て」と言われ、わざわざ反抗する必要もなかったので一旦店内に戻って時間を潰すことにする。俺には特段見たいところはなかったのだが、ふたりはスーパーと同じ敷地内にあるドラッグストアの方に行きたいと言ったのでそれに付き合うことにした。
そういえばフェイスシートあたりは備えがあってもイイだろうということで、俺はさっさと商品をレジへ持っていく。ふたりはメイク道具なんかを楽しそうに品定めしていた。当然会計が済んだところでウインドウショッピングが終わるはずもなく、かといって完全に放置するのは間違っているだろうということで、ちょっとだけ離れたところから執事っぽい感じでふたりを眺める。
「あ、リョウくん。こっち、こっちー!」
何に対してどう使うのやら皆目見当も付かないなぁ、なんてことを思っていたところで、何故かマナちゃんに呼ばれた。
「な……!」
――「何?」と訊く前に、いきなり手をがっちりとホールドされた。
え、何ですかこれは。何が始まると言うんです?
「ちょっとお手を拝借~」
いや、とっくに拝借されているので今更なのですが――なんて文句を言う暇は当然与えてもらえない。三本締めか一丁締めでも始めるわけじゃあるまいし――とか考えている間に、右手はマナちゃんが持ったまま、左手の方はまみちゃんに受け渡された。
「え、な、何?」
「ちょっとお待ちを~」
「お待ちを~」
何が始まるのかと思えば、ふたりの手にあるのは『試供品』と書かれた小さな瓶。キャップをくるくると回せば、そこには小さな刷毛みたいなモノが付いている。
「……ベースコート?」
「お、知ってるねえ。じゃあ話は早い」
「え、ちょっと!」
「イイからイイから」
楽しそうである。とにかく楽しそうである。ふたりがメーカーが違うと思われるベースコートを俺の手の爪に施していく。手慣れたものだ。
「はい、じゃあちょっと乾かしてね」
まみちゃんが先に、マナちゃんは次いで俺の手を解放する。どうしたものかと思っていたが、まみちゃんが察してくれたようで、爪に息を吹きかけるフリをしてくれた。そりゃそうか。自然乾燥じゃなければ、そうするしかない。テンパりすぎだろ、俺。
しばらくして、何となく指先にあった湿ったような感覚が無くなってきた。
「はい、じゃあちょっと見せてね」
言われるがままに手を差し出す。その手はまたしても自然な流れでスッと取られる。犬が何かしらのおねだりをしているときのポーズに見えて、わずかばかり哀しくなった。
「あー……。うーん? こっちの方が良いのかなぁ……」
「わりとサッと塗ったつもりだったけど、キレイに仕上がった感じはするよね」
「……じゃあ、値段的にもこっちかなぁ」
「だね。あたしもそっちにしよ」
――あれ。これはもしや。
「まさかと思うんだけどさ」
「うん」「なぁに?」
「俺、今、もしかして実験台にされた?」
「……」「……」
無言。店内のBGMだけが耳に刺さってくる。
ちょっとだけふたりが顔を見合わせて、直ぐさま俺に向き直る。
「……少年よ、世界には知らなくて良いこともあるのだよ」
「あ、もうこれ、俺でお試しされただけじゃん……」
「あはは、ごめんね」
「別に良いんだけどさ……」
ん? いや、どうなんだこれ。土日は挟むとは言え、放送局の活動はある。このまま学校に行ってイイものなのだろうか。
「あ、落とすときは除光液使ってね」
「じょこーえき……」
「たぶん、
「あぁ、うん……。そうね、うん」
たぶん持っているとは思う。ただ、それを使わせてくれと言ったときに、母さんがどんなリアクションをしてくるだろうかと考えたら、ちょっとだけ怠くなった。
〇
数分後に双方の迎車は来たようだが、だからと言って女の子ふたりの買い物が終わるのかかといえば、決してそんなことはなかった。話の雰囲気から呼んでいたのはタクシーとかではなさそうだったので、恐らくふたりの中では何も問題はないのだろう。俺がどうこう言えた立場ではない。
マナちゃんもまみちゃんも「いっしょに帰ろう」的なことを言ってくれたが、当然固辞した。実際に車とその運転手を見ていないが恐らくマネージャーさんとかなのだろうけど、そんな車によくわからん一般人が同乗して良いものかと考えたら、俺の中では『そりゃダメでしょ』という結論になった。別れ際、ふたりにはものすごく残念そうな顔をされたが、俺には心を鬼にして首を横に振るしか選択肢は無かったはずだ。
大した買い物ではなかったのにやたらと時間がかかったことに対する母への言い訳を考えながら、来た道を歩いて辿っていく。
――どうしたものか。そう思わずにはいられない。
激動の一日と言っても良さそうだった。それこそ、中学3年の夏直前に匹敵するといっても過言ではない。
嫌な思い出だ。悪夢以外の何物でもない。
今でこそ学校放送局の局員として活動をして、全校生徒の前で表彰してもらう栄誉を得たが、中学時代はそんな活動とは縁遠かった。これでもバリバリの体育会系だったのだ。
昔からサッカーが好きだった。クラブチームのワールドカップを見たのがきっかけだ。世界の名立たる選手たちは魔法使いなんじゃないかと、その時は本気で思ったくらいだった。少年団に入れさせてもらったり、学校でもサッカー部に入ったりするのも当然の流れだったと思う。ポジションはボランチだったが背番号は10をもらっていて、所属チームでは『守備型司令塔』を名乗れる程度の選手だったという、少しばかりの自慢をさせてもらいたいと思う。
その流れをいきなりせき止められたのが、中学3年生の夏。
キーパーからのフィードを相手選手と競り合い、少し跳ねたボールを胸トラップしたところで――そこからの記憶はほとんどない。
気付いたときには病院のベッドに寝かされていて、何本かの管が通されていた。
先天性のモノではないが、不整脈が見られたという。
それ自体、中学生くらいならば100人にひとりくらいの割合で見られる症状ではあるが、俺の場合はその症状故に少し経過観察が必要かもしれないということで、この時点でサッカー部は引退させられることになってしまった。チームメイトの無念そうな顔は今でも目と脳に焼き付いている。
今でも定期検診は受けている。その後体育の授業中にも失神の症状を出してしまったことから、運動には少し制限がかけられている。体育は5割程度にしか動けない。高校に上がればまたサッカーができるかと思ったが、それは叶わなかった。今後の観察次第ではまた全力で運動が楽しめるようになるかもしれないとは言われているが、大きな期待はかけないようにしている。
この高校を選んだのも、その時の主治医がいる病院が近いからという理由だ。有事の際に、最善策を採るための方法のひとつだった。もちろんタクシーでの通学をすることがあるのもそのためだ。
このスーパーから自宅までなら軽い運動にもなるので、今日は歩いての帰宅だった。
「……ん?」
無事帰宅後。信号待ちの最中、ポケットの中身が数回軽く震えていたのでチェック。
予想通りだったが、メッセージの主はふたりだった。
――『明日はよろしくねー』『楽しみー!』
――『明日は部活終わりでお疲れかもしれないけど……』『楽しみです、よろしくね』
そんな感じの文面が、3人だけのグループチャット欄に並んでいく。
『こちらこそよろしく』
『俺も楽しみ』
『あの部活、疲れることはそうそう無いから安心して』
「ふう……」
スタンプなんかをこっそり添えて、少々の賢者タイム。
安心すると同時に、少しだけ胸がきゅっとなった気がした。
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