番外編・三森愛子(後編)
(4)
風が頬を冷たく撫でる時期になった。すっかり暗くなった通学路で、可愛いクリスマスの飾りつけをした雑貨屋さんが、
「………」
優しく笑いかけてくれた三森さんの姿が心に浮かんだ。きゅっと唇を噛み締める。
鈴鹿ちゃんが来なくなってから、三森さんのお店にも行かなくなった。別に行っても良いのに、誘いに来なくなったのは自分の責任な気がして、いつも店を見ないよう意識して通り過ぎた。
それなのに今日はぴたりと足が止まっている。──心がここに入りたがっているんだ。
だから店のドアが開いて、「真理絵ちゃん?」と三森さんが顔をのぞかせてくれたとき涙がこぼれそうになった。
「三森さん……」
「通学路だって言ってたからね、外を見ていたら通るんじゃないかと思ったの。でもいつも忙しそうだったから」
──ずっと待ってくれてたんだ。
嬉しくなる。おずおず店内をうかがって「……あの、鈴鹿ちゃんは」と聞くと、
「鈴鹿ちゃんなら元気よ。真理絵ちゃんのことはなにも言わないけれど」
「……!」
──ああ、やっぱり聞いてたのかも。
気まずくて目を伏せた真理絵に、三森さんは「今日は鈴鹿ちゃん来てないの。寒いから入って」と店内に誘ってくれた。
店のソファに深々と座らせてもらい、三森さんは湯気たっぷりの紅茶をそそぐ。
「どうぞ。寒くなってきたからきっと美味しいよ」
「ありがとうございます……」
三森さんの紅茶はやっぱり美味しかった。立ちのぼる湯気に刺激されて目の前がぶわりとゆがむ。彼女は向かいのイスに座り、「もう来ないんじゃないかと思ってた」と言った。
「あのね、私や鈴鹿ちゃんの話って一般的にヘンでしょ。だから才能がある子を見つけても仲間どころか、話すら聞いてもらえなかったり。
……それに張りきって〝仲間〟って言ったけど、私には才能が全然ないんだ」
三森さんは苦笑しながら言った。
「戦うとき、みんなは聖力を武器にまとわせるんだけど私は出来なくて。お店のポスターもはっきり見えないの。だから、まりえちゃんはすごいんだよ。私よりずっと強くなれるはず。
私にできることはお茶を出すぐらいだから──……」
ほほ笑みながら三森さんは紅茶のおかわりを注いでくれる。どんな気持ちで他の人を誘ってきたんだろう、と思った。
ぎゅっとカップの持ち手をにぎって、真理絵は口を開いた。
「三森さんにできることは〝お茶を出すこと〟だけじゃありません。紅茶を飲んだら、なんだか心まで温かくなります」
「………」
三森さんは黙って、喉が、込み上げてくるものを飲みこむかのようにごくりと動いた。
ありがとう、と彼女は少しかすれた声で言った。
「……なんか、自分のやってきたことは無駄じゃないかもって思えちゃった。紅茶を出すときはね、気持ちを込めるようにしてるの」
「どんな気持ちですか?」
「その人が元気になるように。紅茶を飲んでるときは、孤独じゃないんだって」
三森さんは顔をあげて教えてくれた。
「私が思う、元気になってもらう秘訣はね……。
相手に〝孤独じゃないんだ〟って思わせることだよ。誰かとつながってるって思ったら、憎しみの心も、他人を攻撃したい心も和らいでいく。もし誰かを助けても、そのあと一人ぼっちだったらまた苦しくなるでしょ」
その言葉を聞いて真理絵は唇をかみ締めた。
──〝孤独じゃない〟と思えたら、私も強くなれるかもしれない。
「三森さん」
真理絵は意を決して言った。「明日、学校が終わったら来ていいですか?」
もちろん、と三森さんは微笑んでくれた。
「紅茶を用意して待ってるからね」
(5)
真理絵は決心して、担任の先生に英里のことを相談した。もどかしくても一生懸命な口ぶりに、担任は
「そうだったの。じゃあ来年のクラスは
英里にも言った。真理絵が抱えてきた気持ちを打ち明けると、「あんなに良くしてあげたのに」と目を吊り上げたが、去っていく真理絵の背中を呼び止めもしなかった。
「………」
そのまま向かったのは鈴鹿のクラスだ。
鈴鹿は目立つ外見だからどこのクラスか知っている。教室をのぞいたら、一人ぽつんと座っている彼女の背中が見えた。
「鈴鹿、ちゃん」
とつぜん違うクラスの子が入ってきて、周りから浮いているギャルに話しかけたから注目が集まったのを感じた。これまでの真理絵なら絶対にできなかったことだ。背中にうっすら冷や汗を感じながらも深呼吸し、「ごめん──」と真理絵は口を開きかけた。
「やめて」
真理絵が言い切るまえに鈴鹿は立ちあがって言葉を制した。
「……みんなの前で、謝らないで。これ以上良くないうわさを流されたくないから」
クラスにいる鈴鹿は、真理絵を連れ出したときと別人に見えた。──あのときは勇気を奮ってくれたんだ。
でも鈴鹿に謝るのを諦めるつもりはなかった。これから一緒にいることも。どこに行けば鈴鹿が本音で話してくれるか、真理絵には分かった。
「用事がなかったら一緒に行こう」
今度は真理絵の番だった。そっと手を差しだし、鈴鹿がおそるおそる握ってくれるのを待つ。
やがて二人で同じ方向に歩きはじめた。
(6)
雑貨屋に着くと「やっぱり一緒に来たのね」と三森さんが笑顔で迎えてくれた。そのまま店の出口に『本日休業』の看板をかける。不思議そうな表情を浮かべると、
「実はまりえちゃんにお客さんが来てるの」と店の奥に案内された。
奥のソファに男性が座っていた。二十代後半でスーツをきちんと着こなした大人だ。真理絵が不安げに三森さんを見つめると、「大丈夫よ」と彼女は言った。
「私たちの組織の日本支部長さん。しっかりした人だから安心してね」
「日本支部長……?」
話の大きさについていけず、真理絵はまばたきをした。他にも仲間がいると聞いていたが、日本支部ということは世界にあるということだろうか。
「真理絵ちゃんが仲間になるまで、具体的に話せなかったから。教えてなくてごめんね」
「そうなんですね……」
軽く会釈すると、男性は紅茶のカップを置いて挨拶してくれた。
「きみが神宮寺さんだね。三森くんから話を聞いている。私たちの仲間になる決意をしてくれてありがとう」
「は、はい」
具体的な話はあとでするとして、と男性は持っていた鞄から黒塗りの細い箱をとり出し、留め具をぱちんと外す。まるでフルートなど管楽器のケースに似ていた。なかもビロードが貼られており、細長い洋刀がすがたをあらわす。
「これはレプリカだ。正式に叙任するときは、本物の剣をつかう」
「………」
「今からするのは、私たちの組織に伝わってきた叙任式の模倣だ。見習いとして迎え入れるために。同時にきみ自身の素質も見せてもらう」
男性に言われるがまま、その場にしゃがんでひざをつく。彼が何かを唱え、洋刀のレプリカで肩を叩かれると、レプリカがうっすら青く光るのが見えた。
「ほう……めずらしい色だ。本部に連絡をいれないと」
そう呟くのが聞こえた。そして、「終わったよ。これできみも仲間だ」と私の手をとって立たせてくれた。
「マリエ・ジングウジ。今日から、きみを聖騎士(ホーリーナイト)の見習いとする」
男性は微笑む。眉が太く、高い鼻筋と相手からそらさない眼差しが怖いけど、笑えば頼りになるおじさんに見えると言ったら失礼だろうか。
「そして三森くん」
男性は向き直り、三森さんに話しかけた。
「はい。覚悟はできています」
「ああ……今日で、きみの聖騎士としての資格を剥奪する。」
その言葉に鈴鹿ちゃんと目をあわせた。
──どういうことだろう。三森さんは資格をうばわれるようなことをしたのだろうか。男性と信頼しあっているように見えるのに。
「私たち聖騎士の掟のひとつで、4年経っても聖力を武器にして戦えなかった見習いは、聖騎士の資格を剥奪されるの。そのタイムリミットがきただけよ」
三森さんはおだやかな表情で私たちに説明してくれた。
「心配しないで、鈴鹿ちゃんとまりえちゃんは才能があるから。
私は事件に巻きこまれた一般人で……記憶が消えなかったから、仲間にしてくださいってお願いしたの。でも武器にのせられるほど聖力がなかった。だからこうやって終わるだけ……」
4年間を思い浮かべたのだろうか。ふっと三森さんの目に哀がみえる。──才能のある子を見つけて声をかける日々。自分にはない力を発揮する後輩たちを、ずっと彼女は見送ってきたのだ。
「三森さん……」
才能がないと言った彼女に、真理絵は何か声をかけたかった。
「──あなたのいれてくれた紅茶。いつも心が温まって、ほっとすることができました。私はまだ聖力というものが分からないけど……きっと、紅茶に込められていたんじゃないでしょうか」
「………」
真理絵の言葉に同意を示したのは、思わぬ人物だった。
「ああ。その可能性は大いにある」
「支部長……」
「聖力にはまだ不可解なことが多い。きみは間違いなく聖力を持っていたよ。才能があっても、発揮される方向がちがっていたということだ」
「………」
「きみは若い後輩をたくさん発掘してくれた。その功績までなくなるわけじゃない」
言葉を聞いて立ち尽くしている三森さんに、男性はそっとハンカチを差しだす。三森さんは4年間頑張ったけど聖騎士にはなれなかった。でもそばには私や鈴鹿ちゃんもいて、三森さんは孤独じゃなかった。
──うららかな春は厳しい冬のあとにくる。
役目を終えて地面に散らした種が、冬の地中で踏みしめられながら春に芽吹くように。
あなたの蒔いた種は、きっと春にほころぶ。
<番外編・おわり>
■□■そのあとのお話■□■
後輩たちが帰ったあと、愛子はずっと見守ってくれていた男性に話しかけた。
「……まさか、支部長が来てくれると思っていなかったので嬉しいです」
「思い出すな。きみを聖騎士にスカウトしたのは私だったから」
4年前。愛子を助け、聖騎士の見習いにとりたてたのは他でもない彼だった。
「これで終わりだと思うと……すごく寂しいです」
「いいや、べつに終わりだとは言っていないぞ」
彼はこほん、と咳払いした。
「……アイコ・ミモリ。君は聖騎士の正式な一員にはなれなかったが、4年間で5人もの仲間をスカウトしてくれた。素晴らしい功績だ。
よって、日本支部の事務員に任じたいと思う──もちろん君が受けてくれたらだが」
「えっ」
愛子はどう返事したらいいかわからず固まった。そこに、かん高い電子音が鳴りひびく。支部長は携帯の画面をみて眉をひそめながら
「支部の部下からだ。すまないが出ていいだろうか?」
と言った。
ああ、うむ、と唸るように会話する男性のとなりで、愛子の心臓は強く脈打っていた。もし事務員になれば、この男性のそばで働けるということだろうか。彼の横顔は4年前に見たときと変わらず凛々しいままだ。
「三森くん」
とつぜん話しかけられて、「はい!」と愛子は大げさな声をあげてしまった。
「支部のメンバーが、きみと話したいと言っているんだ。どんな人間がいるのか知っておいた方がきみも決めやすいだろう」
愛子は緊張した面持ちでうなずき、ほんのり温かみのする携帯を耳に当てた。
『イヤッホー! 初めまして、愛子ちゃん!?』
電話の向こうはびっくりするほど明るい声の持ち主だった。
「は、初めまして……」
『うわあ、声かわいいー! これからよろしくね!
で、支部長はなんて言って愛子ちゃんを事務に誘ったの!?「おれのそばでずっと働いて欲しい」ぐらい言ってくれた!?』
「……へっ?」
驚いた反応をした愛子を見て、「どうかしたか?」と支部長は言った。スピーカーではないので、支部のメンバーが言っていることは支部長に一切聞こえていない。
『もお〜支部長ったら。私たちが行くって言ったら「三森愛子にはおれが会いに行く」って、ぜったいに譲らなかったんだよ。
すなおに「そばにいて欲しい」って言えばいいのにね……』
聞きたいことは聞けたのか、相手は『じゃあ、また!』と唐突に電話を切ってしまった。
言葉の意味を考えて真っ赤になっている愛子に、
「──終わったか?」
と支部長は聞く。
「騒々しいヤツらですまないな。急ぎではないから、いま返事ができなければ後でいい」
「いいえ……お受けします」
戸惑いながらも愛子が意志を示すと、支部長は「よかった」と微笑んでくれた。
──ああ、この笑顔だ。ときおり見せてくれる笑顔が大好きなのだ。
これからは思い出さなくても、そばで見ることができる。あなたと一緒にいられるようになる夢が、4年間の私の支えだったから。
「そうと決まれば、早めに仕事内容を説明しよう。この後時間はあるか? 腹も空いたしな……」
支部長は鞄を持って歩き出し、ぼーっと頬を染める愛子のほうを振り返った。
「どうした? はやく来てくれ。これからは、いつも一緒にいることになるんだからな」
──いつも一緒にいるんだからな。
そう言う支部長の耳も、心なしか赤くそまっているように見えた。
<おわり>
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