番外編・三森愛子(前編)

(1)


 自分の世界が変わるきっかけは突然やってくる。何でもない、日常の一コマから。

 神宮寺真理絵まりえ──私の場合がまさにそうだった。学校の通学路で見つけたかわいい雑貨屋さん。

『バイト募集中・初心者大歓迎・高校生可』

 どこのお店にもありそうなポスターに引き寄せられ、「いいなあ」と見つめていたら店員の女性に話しかけられた。


「どうかしましたか……もしかしてバイト希望!?」

「……いや、あの、まだ、ちょっといいなって……」

「スゴいスゴい! もう見えちゃうだけで採用だから! ぜひやるべきだから!」


 ただポスターを見ていた女子高生にこれだけ反応する?と疑問を浮べたまま、その女性に手をひっぱられて店内に入った。



 私の手をとって店内に引きこんだ女性は三森みもり愛子あいこさんといった。さん、をつけたのは彼女が大学生で年上だったからだ。

「……つまりあのポスターは普通の人に見えるものじゃないってことですか?」

「そうそう! さっき話したことは理解してもらえた?」

「いやー……内容はなんとなく分かったんですけど、理解は」

 私は紅茶をすすりながら言った。「さすがに〝魔法少女〟になるのは無理だと思います」


 あのポスターが普通の人に見えないのも本当か分からないし、と続けると、三森さんは私の正直な反応をあかるく笑い飛ばした。

「あちゃー、やっぱりか。説明下手くそだからなあ。実際にやってみるまで私もよく分からなかったし。

 でもね、見えるだけで『才能がある』ってことなの。あなたには他の人にない才能がある!って言われたらワクワクしない?」

「それは分かります」

 頷いてみたけれど受け入れられなかった。あやしさ満点の話だ。でも飲み終わるまで聞こうと思った。紅茶は温かくて美味しかったし、三森さんも悪い人ではない気がしたから。


「ごちそうさまでした」

 私がカップを置いて立ち上がると、三森さんは嫌な顔ひとつせずに外へと見送る。

「よかったらまた遊びにきてね。ごらんの通りお客さんが少なくて、お茶を飲みに来てくれるだけでにぎやかになるから」

「……はい」



(2)


 高校一年の秋はむずかしい時期だ。4月のはじめ必死で近くの子と仲良くなり、だんだん相手との相性が分かってくる。合えば最高だけれど……そうでなかった、場合には。


「まりえ、帰るよ」

「うん」

 クラスで最初の座席がとなりだった女の子。英里えいりのことが、真理絵まりえは本当は苦手だった。でも誰かに言えなかったし、周りの子たちはすでにグループに分かれている。真理絵が他の子と話そうとすれば英里が連れ去りにきた。

「土曜日、着ていく服決めた?」

「ううん……」

 土日も遊びに誘われることが多かった。どうやら最近よく遊ぶ男子グループのなかに好きな人がいるらしい。真理絵の苦手な、チャラいタイプの男子たちだった。でも英里は反応がわるいと不機嫌になる。

「まりえ、自分のよくないところ分かってる? ただでさえ背が高くて可愛げないのに愛想もよくないし。男の子たちも困ってたよ」

「ご、ごめん……」


 遊びに行っても楽しくない。だって英里は私を引きたて役に使うでしょ──。

 そんなことは言わずに身を小さくして英里のうしろを歩く。「ちがう」と思っても『あなたのため』と言う相手を、突きはなす度胸を真理絵は持っていなかった。


「ねえ、ちょっといい?」

 うつむいたまま歩く視界の前に、ほっそりとした足が立ちはだかった。真理絵は顔をあげる。

 髪色があかるく制服を着崩したギャル風の女の子だった。スリッパの色がおなじで同学年だとわかる。

「なに……」

 英里がたじろぎながらも言葉を返そうとした。だがギャルは、英里を一切無視して、うしろに居る真理絵に話しかけた。

「用があるのはこっち。一年の神宮寺って、あんたのことでしょ?」

「………」

 真理絵はおっかなびっくりしてギャルを見つめた。話しかけられる心当たりが一切ない。

「用事がないなら一緒に行こ。この子、借りてくからね」

 ギャルはそう言い捨て、むっとした英里をおいて真理絵を連れ去った。



 連れていかれたのはあの雑貨屋さん──三森さんのお店だった。ギャルと三森さんは知り合いだったのかと真理絵が一人納得していると、

「ごめんねぇ」と三森さんが温かい紅茶を出してくれた。

「鈴鹿ちゃんにあなたのことを話したら、『気になるなら連れて来る』って行っちゃったの」

「気にしてくれてたんですか?」

「うん。まりえちゃんみたいに才能のある子はめったに居ないもん」

 でもしつこく勧誘するつもりはないから、と三森さんも自分のカップに紅茶を注ぎながら言う。〝鈴鹿ちゃん〟と呼ばれたギャルは週刊少年誌を手にソファへ身体を預けていた。

「さがすの、けっこう苦労したよ。愛子さんが言ってた感じと全然ちがうし」

「………」

「一緒にいた子」

 黙っている真理絵に向かって、ぶっきらぼうにギャルは言った。「……あんたが嫌そうな顔してたから離してやったけど、お節介だったなら謝る」

 ぷい、と彼女は顔をそむけて少年誌に目をやってしまった。

「あのう……〝鈴鹿ちゃん〟も三森さんの仲間なんですか?」

 真理絵がおそるおそるそう呼んだら、鈴鹿ちゃんの横顔は心なしか赤くなった。三森さんが頷くと、

「私はヒマだから……ジャ○プ読むついでだし」と彼女は答えてくれた。

 三森さんは苦笑しながら真理絵に小さな声で言う。

「ごめんね。鈴鹿ちゃん、言い方はきついけど良い子なの」

「それは分かります……」


 それから鈴鹿ちゃんは真理絵の教室へきて、「用事がないなら一緒に行こう」と誘いにくるようになった。いつも連れていかれるのは三森さんのいる雑貨屋だ。

 三森さんと最近あったなんでもないことを話し、鈴鹿ちゃんは少年誌を読みながら、ときおり、こちらの会話に「何それ」とか「もっと言ってやれば」とつぶやく。

 いつの間にか、週の半分はそうやって過ごすようになっていた。



(3)


「あのさあ」

 英里(えいり)は不機嫌そうに言葉を放った。「最近、付き合いわるいよね。なんでラインも既読スルーなの?」

「ご、ごめん……」

 テスト勉強してたから、と真理絵が緊張した表情で言うと、英里は目じりを険しく吊りあげた。

「何回も送ってるのに返事ぐらいしたら? こっちは心配してあげてるんだよ。友達にそんな態度とるわけ?」

「……」

 それじゃ友達居なくなるよ、と強い口調で続ける。

「最近よく来るスズカって子に会うのもやめなよ」

「え……」

「ああいうギャルと付き合うとコッチの評判も悪くなるじゃん。まりえって気弱そうだから、良いように利用されるだけだよ」

「………」


 あの子周りから浮いてるし、と英里は言って真理絵をじっと睨む。もしここで、少しでも「ちがう」という反応をしたら彼女は真理絵を責めるだろう。

〝心配してあげてるのに〟


「……そう…だよね。ごめん、英里ちゃん。心配かけちゃって」

「ほんとだよ。テスト勉強なら一緒にすれば良いでしょ。ほら帰るよ」


 真理絵は心の中で『鈴鹿ちゃんごめん』と謝った。──きっと、今のやりとりは聞かれていない。こっそり後で事情を話そう。

 でもその日から、鈴鹿ちゃんは真理絵を誘いにこなくなった。



<後編に続く>

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