第10話

放課後――。六時間目が終わったと同時に、海凪は席を立つ。声を掛ける前にどこかへ行ってしまった。

行き先は女子更衣室か。さすがに彼女のお着替えシーンを覗くわけにはいかない。それは立派な犯罪行為だ。でも、カップルなら彼女の着替えを見てもセーフかもしれない――。

そんな邪な考えが頭の中で渦巻く。


「そういや……」


女子更衣室に向かいかけたその時。ある事を思い出す。放課後は大事な予定が入っていた。


「あの家に行かないと――」


◆◆◆


ピンポーンと無機質な音が響く。

昨日、海凪が訪れた家の前にいる。突然、知らない人が家にお邪魔してもいいのだろうか。不意に一抹の不安が頭をよぎる。


「――はい、はーい」


インターホン越しから女性の声。ノイズ混じりでよく聞こえないが、恐らく昨日と同じ人だ。


「× × × 高校に通う桐島勇磨です。あなたとお話がしたくて来ました」

「はーい。今、ドア開けますね」


今のでOKなのか?あっさりし過ぎじゃない⁉ 俺、知らない人だよ? 大丈夫?

ガチャと玄関の扉が開く。


「お待ちしておりました。どうぞ、上がってください」


中から昨日見た女の子が出てきてくれた。ウェーブのかかった亜麻色の長髪が印象的。人柄の良さが滲み出た笑顔でウェルカム。纏っている雰囲気から育ちの良さが窺える。


「お邪魔しまーす」


運よくスムーズに敷居を跨ぐことができた。もしかして、予め海凪が彼女に報せていたのか。


「うわっ……」


部屋を瞬間、言葉を失う。なんだこの家は——⁉


「どうされましたか?」

「いや、なんでもないです」


視界の先にはリビング。それもただのリビングではない。まさかの吹き抜けだ。

高さも面積も常識離れした規模。上を見上げると、綺麗な青天井が見える。

壁一面に大窓があり、まるで屋外にいるような気分。開放感を見事に体現した空間。一般庶民が住むには荷が重過ぎる。


「お茶の方すぐお持ちしますので、そちらのソファにお掛けになってお待ちください」

「は、はい……」


高級感が溢れる白いソファ。座った瞬間、下へ下へどんどん沈んでいく。中に入ったスポンジが柔らかすぎて、お尻がすっぽりハマってしまった。どうやら目の前にいる女の子はかなり良いところのお嬢様らしい。


「――あ、ジュースの方がよろしかったですか?」

「どちらでも構いません。好き嫌いはないので」


丁寧過ぎる接待。やけに大人びた対応に困惑する。見てくれは俺と同い年ぐらいに見えるが、中身は格段に違う。女の子相手にこんな事を言うのは失礼だが、年齢が遥か上に見える。


「少し熱いので、お気を付けて」

「え、熱っ⁉」


茹だるような真夏の日に、高温のお茶は鬼畜だ。慌てて赤くなった指をフーフーする。


「熱いのは苦手でしたか?」

「冬の時なら好きです」

「すみません。今、暖かいお茶しかなくて」

「ちょ、頭上げてください!」


深々とこちらに頭を下げる。本当に申し訳なさそうな表情で謝られた。相当、腰の低いお方のようだ。


「そんなにかしこまらなくてもいいですよ。所詮、一介の男子高校生ですので」

「いえ、どんな客人相手でも礼儀を怠ってはいけません」

「確かにその通りなのですが、これはさすがに行き過ぎのような……」


ここまで親切にされると、むず痒くて気持ち悪い。対等に話そうとまでは言わないが、もう少し砕けた感じで話してほしい。だが、これを言ったところでこの人は頑として今のスタイルを変えないだろう。いかにも頑固そうだ。


「ではまず、お互いの自己紹介から始めましょうか」


頭の低いお嬢様は俺の向かいにソファに座る。座る時の動作すらお嬢様を感じる。ご両親の厳しい躾の成果か。


「先日、関西の方から転校してきた桐島勇磨と申します。高校二年生です」

「私は水戸涼花(みとすずか)と申します。桐島さんの一つ下の高校一年生です。学校も桐島さんと同じく×××に通っています。今は不登校ですが……」

「不登校——?」


涼花の表情が少し曇る。彼女は机に置かれた自分のお茶を静かにすする。


「その反応。ひょっとして藤春先輩から何も聞かされてないのですか?」

「家に行って直接話を聞けとだけ……」

「あ、そうなんですね」


一先ず小休止。お互いお茶をガブガブ飲み、緊張を和らげようとする。二人とも肩がガチガチだ。


「一つ質問いいですか?」

「な、なんでしょう」

「水戸さんは藤春さんの妹さんですか?」

「ゴフッ⁉」


涼花は飲んでいたお茶を吐き出す。ゲホゲホとむせ始めた。


「大丈夫ですか!?」

「うぅ……。は、はい」


一度落ち着かせるため、背中を擦ってあげる。暫くして乱れた呼吸が元に戻る。


「すみません。変なこと聞いてしまって」

「いえいえ、その勘違いはあまりに予想外だったもので」

「勘違い……?」


涼花のその発言が引っかかる。


「それ、藤春先輩が適当についた噓です。私たちは姉妹でもなんでもないです」


伏し目がちだった涼花が急にこちらを真っ直ぐ見詰める。深刻そうな顔つきで。


「藤春先輩と私は部活での先輩後輩の関係。もっと言えば、元イジメっ子と元イジメられっ子の関係性ですかね」

「それって……」


深刻そうな顔つきから一転。涼花は苦笑いを浮かべ、こう告げる。


「——私が藤春先輩にいじめられていた後輩です」









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