ガラスの魔女は復活できない。
九日晴一
オモイデ
――二年前、夏。
俺は屋上で飛行機雲を眺めながら、制服姿の魔法使いを称賛した。
「君はなんでもできるんだな」
日差しの熱を集めながら、黒い魔女帽子は肩越しに笑う。
何をいまさら、と。
「魔法使いだもの。なんでもできるわよ」
熱風が足下から吹き上げる。日光を集め鉄板と化す屋上は、眩しさも過去一番ではなかろうか。しかし涼しさを感じさせる彼女の背中を眺めていると、目に優しい。だから暑苦しさから避難するように、その特徴的なシルエットをみつめた。
一息おいてから、続く疑問を投げかける。
「死を回避することも、できる?」
わずかに覗かせていた含み笑いが、消える。魔法使いは肩にかかる長髪で表情を隠し、すこしだけ考える素振りをして、小さな口をひらいた。
「……魔法の現実は、あなたが思うほど綺麗じゃない」
そうだろうか?
少なくとも彼女が見せてくれた数々の景色は、俺にとって綺麗と評すに値する代物だった。毎日輝きを変える宝石みたいに飽きさせない。こんな日常の隙間時間であろうと、色味のない生活を強いられていた自分の目には、何にも替えがたい美しさをもたらす奇跡として映った。
しかし魔法使いがそう結論づけるのであれば、きっとそうなのだろう。事実、彼女は笑っていない。
「あなたのまえだから虚勢を張っていたけど。実のところ、魔法なんてモノは万能であって万能ではない、欠陥だらけの穴あきバケツよ」
風に舞い上がりそうなツバを押さえて、尖った帽子が振り返る。目深く被ったソレの下と、視線がぶつかる。魔法を使えるのなんて世界中で唯一、彼女だけだ。一般人には言っている意味を理解できない。
察した夜色の瞳が、こちらを真っ直ぐ見据えて言う。
「錆びた屋上の鍵をこわす。天気予報を外して快晴にする。登校してくる誰もが眩しさで上を見あげないようにする」
密やかな声が、こうやってふたりきりの朝を過ごすために公使した魔法を挙げる。
「どれも偶然で起こりうる出来事を引き寄せているにすぎない。それが魔法だわ」
「……なら、君の死も偶然でなかったことにすればいい。それが魔法だろ」
返す言葉に、魔法使いはこれ見よがしにため息を吐く。
「そう簡単な話じゃあないんだってば。『魔法を使うものは、高校進学を待たずして死ぬ運命にある』。定められたその寿命には、魔法をもってしても覆せないというルールがあるの」
「なら生き返らせるにはどうすればいい? 君が死んだあとなら、いくらでもやりようはある」
「無理ね。魔法はひねくれ者だから、非現実的な事象を成し遂げるには、それだけ大大掛かりな下地が必要になる。そこまで準備しても可能性は雀の涙、結局のところ祈るしかない。そも、死んでしまっては魔法も使えないでしょう?」
俺は黙りこんだ。少しだけ怒った表情で、「もっと真剣に考えろ」と訴えた。
魔法使いも黙りこんだ。いつも以上に申し訳なさそうな苦笑いが、「ごめんね」と諦めていた。
飛行機雲が、崩れてゆく。
真夏の屋上にふたつの影。俺は魔法使いの声を聴くのが好きだった。こうやって話している間は、蒸し暑さを忘れられるから。だけど、会話が途切れたことで蓄積していた暑さが這い上がってきた。
見つめ合っていた数分が、夏を呼び覚ます。
譲らない自分に呆れたように、彼女は肩をすくめた。それから帽子を脱ぐと、中から飲みかけのペットボトルを取り出す。校内に持ち込んではならないガラスみたいな容器を傾けて、魔法使いは白い喉を鳴らした。
しゅわしゅわと炭酸の音が耳に届いた。
「……半分あげる」
俺は何も言わず受け取って、暑さを紛らわせるべく
ボトル越しにみる空は鬱陶しいほどに澄んでいて、目を細めながら飲み干した俺を、魔法使いは「いい飲みっぷりね」と笑った。
――ガラスの魔女と過ごす、最後の夏の記憶。
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