目青不動尊に行ってきました。
さて、こんばんは。
前回は、東京は江戸の昔、五色の不動尊が市内に祀られていたというお話だったかと存じます。
江戸の目赤・目青・目白・目黄・目黒の五色不動尊は市民の信仰と人気を集めて、参詣する人々が絶えなかったという人気でございました。五色、という色がきっかりしているのが分かりやすいのですよね。
大体五色といいますのは、五行に相当します。
中国の古代思想である五行は火・水・木・金・土でございますが、この辺り、仏教の五行とも融合し、その思想は自然観として道教にも組み入れられていきました。
西暦500年の半ばごろまでには本邦に仏教が伝来し、そのときにこの五行の考え方もまた渡来したと考えてよろしいかと存じます。
そしてその辺りの年代について、私はまだ勉強が至っておらずに分からないことだらけでございまして、どうなんでしょう、色に意味を持たせる文化というのはその当時から本邦にあったとは思いますが、より明確な方向付けがされたのはその仏教の影響が大きかったのではないかと思います。
ちょっと脇に逸れますが、他にも東西南北に神獣を配して色を充てるものもございますが、こちらは仏教というよりも道教の教えというか考えで、中国は漢の時代に成立したとの一般解でございます。
話を戻しまして、色に意味が付された場合、その意味は単独、独立で解釈されることはないように思います。
例えば本邦の天皇家の当主のみが纏うことを許される黄櫨染という色がございますが、その色そのものが天皇を示すと同時に、他の者が纏うのは異なる色でなければならない、と、黄櫨染以外の色にも意味が付加されます。
色に対して厳格な意味づけと、それに基づいた身分というのが決められるわけでございます。いわば色の性格付け、ですね。
この色の性格付けに関しましては、僧の法衣から江戸時代の大名が公に着る着物にまで及び、文化としては広く民間にも浸透していたものと考えて宜しいのではないかと存じます。
一方で、日曜日の朝、元気なお子さん達のお楽しみ、戦隊モノのドラマに登場するヒーローは5人組で、それぞれのメンバーには色が決まっております。
戦隊モノの元祖原案を考案したのがかの石ノ森章太郎氏であることは、この辺りのサブカルチャーに詳しい諸氏であるならばご存じの事実かと存じます。この五人組のキャラのプロットの根底に、白波五人男という歌舞伎の有名演目があったことも、今ではその界隈、知られた事実かと思います。
歌舞伎役者の方々は、各自の家紋のほか、着物浴衣の色目模様などに独自のものを考案し、自らの性格付けをしていたそうでございまして、今でも文様にそんな歌舞伎役者の名前が付けられたものが残って伝えられております。
だいたい西洋のヒーローと呼ばれる方々は、一人で敵や悪に立ち向かうのが"男らしい"と称賛されるあたり、徒党を組んで仲間で戦う、なんていうのは東アジアの農耕民族の遺伝子に組み込まれた生態であるかと思うのです。
そんな仲良しグループ、けれど誰が誰やら、歌舞伎を理解する文化は昭和の中頃に、既にいわゆる中流階級からは忘れ去られつつありました。
"演技で表す個性"より、カラーテレビの普及に伴って放送が可能になった"色"という存在が、お子様にも分かりやすいと採用されたのは自然な流れかと存じます。
江戸どころか仏教伝来のその昔にまでさかのぼる"色の意味"の文化と、カラーテレビという文明の利器の登場が融合したものが今も放送が続く戦隊モノのヒーローである、それが前回の近況ノートと合わせましてこちらの駄文でお伝えしたかった内容でございます。
それで、と、写真(https://kakuyomu.jp/users/gonnozui0123/news/16816927863272274527)はこのGWで参詣してまいりました目青不動尊でございます。
ほとんどお参りする人影もなく、地域のお年寄りの方々が生活道路として利用する、そんな静かな境内にひっそりとお不動様がおられました。
東京都内にあと3つ、これも何かの御縁かと思い、これからぽつぽつ仕事の合間にお参りに行こうと思っているところでございます。
のうまく(以下略)うんたらた。
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