第32話 夜会2

 王子のいぬまに、フェリシエルはひっそりと壁際で休むことにした。注目を浴び続けることは、それはそれで疲れる。しかし、ことは上手くはこばない。


「フェリシエル嬢。今日もお美しい」


 振り返るとジークだった。フェリシエルはきちんと礼儀正しくあいさつした。


「あなたと私の間でそのような堅苦しい真似は必要ありませんよ」

「いえ、必要です。礼儀は大事です」


 フェリシエルは譲らない。いらぬ誤解はさせられないからだ。しかし、ジークは怯まない。


「一曲お願いできますか?」


 ダンスの誘いだ。相手はレスター公爵家嫡男、断れば角が立つ。面倒でも受けないわけにはいかない。後で王子に嫌味を言われそうだ。

 フェリシエルは彼の手を取る。そういえば、彼は獣人のことに詳しい。ダンスが終わったら少し聞いてみようか、などとそのときはのんきに考えていた。



 ジークに手を引かれてシャンデリアのきらきらひかる中央へと戻った。というか真ん中で踊るの? すぐそばに王子とメリベルがいる。


 そういえばジークと踊るのは初めてだ。夜会で王子と兄以外の者と踊ったことはなかった。みなわがままで生意気で気位の高い公爵令嬢である彼女に恐れをなして誰も誘わない。


 曲がはじまる。難しいワルツだったが、いつも苦もなく踊れていたはず……なのに。


 おや?踊りづらい。リードが下手。割りと乱暴にふりまわすので危うく転びそうになった。それにところどころ所作が荒い。きっとダンスを馬鹿にしているタイプなのだろう。王子と踊っているときのように楽しめない。リュカと踊ると自分の体が羽のように軽く感じるのだ。曲が終わるとほっとした。


 少し、疲れたので戻ろうとすると、ジークがしっかりとフェリシエルの手を握って離さない。


「もう一曲踊りましょう」


 実に魅惑的な笑顔を浮かべた。しかし、それは絶対に承諾するわけにはいかない。


「いけません。私にはリュカ殿下という婚約者がいるのです。手を離してくださいませんか?」


 キッパリと断った。それなのに手を離してくれない。振り払おうとしたが、痛いほど捕まえられ彼女の力では振りほどけない。腰もしっかりとホールドされしまう。ジークは鍛えていて体が大きいので、怖くないといえば嘘になる。しかし、それでも怒りが勝った。


 これでは次の曲が始まってしまう。フェリシエルはてこでもその場から動かないつもりだった。ファンネル家の人間として、王子の顔に泥を塗るような真似はできない。この婚約は王家とファンネル家の契約なのだ。

 双方の名誉が傷ついた末の婚約破棄などのぞまない。国外からの賓客も来ているのだ。彼の無礼さが信じられなかった。フェリシエルのブルーの瞳が怒りで煌めく。もし踊り出したら足を引っかけてジークを転ばせてやる。


「ジーク、私の婚約者を返してくれる?」


 いつのまにか来た王子がジークの右手を軽く捻る。ジークの顔が歪んだ。時期にグキッという鈍い音がしてありえない方向に手が曲がる。確実にジークの手首の骨が折れた。

 フェリシエルはいきなりの王子の凶行にびっくりした。しかも王子の表情は標準装備のさわやかな笑顔。


「まさか、私のフェルと二回つづけて踊るつもりじゃないよね。今日は実質私の婚約者のお披露目だから、賓客を招いている。そんな真似は許さない。示しがつかないだろ。どう落とし前をつけるつもりだ」


 王子が周りには聞こえないよう声を落としジークを恫喝する。瞳の色が深く翳り、強い視線に威圧された。フェリシエルはあまりの恐ろしさにこの場から逃げ出したくなったが、まだ、腰に手をまわされてジークから離れられない。


 怖い怖い怖い怖い怖い、でんちゃんに会いたい、そんな考えがひたすらフェリシエルの頭を駆け巡る。もう、王子の裏の顔はこれで最後にしていただきたい。殿方二人のにらみ合いに挟まれるとか勘弁してほしかった。


 すぐに勝敗はついたようで、ジークの力がゆるみスルリとフェリシエルは彼の腕から抜けることが出来た。気づくとすぐそばに王子の護衛のエスターが厳しい顔で控えている。


 あれ?結構大ごと?



 いつの間にか音楽も止んでいる。周りの貴族たちは遠巻きに様子を見ているが、相手が相手なだけに不躾な視線は送ってこない。王子はダンスを中断させたことを詫び、何事もなかったように極上の笑みをうかべると「今宵、どうぞお楽しみください」などといって優雅に礼をとる。王子に手を取られたフェリシエルはそのまま連行される。


 え、私悪くないわよね? どこに連れていかれるの?


 そこへレスター公爵が慌てて王子の元にやってくる。彼は息子の非を詫びた。


「そうだね。レスター卿。これは少し問題だね。後でじっくり話そうか」


 レスター公爵は顔色をなくした。また周囲に緊張が走る。フェリシエルはびっくりした。王子を振り仰ぐと青紫色の瞳は、これまでにないくらい冷たい。瞳の奥にちらちらと怒りの炎が揺れ動く。それがもし自分に向けられたらと思うと、ただただ恐ろしかった。


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