第30話 あなたはお呼びじゃないの
王宮の夜会用にと殿下から贈られたドレスは鮮やかな青を基調にしたもので、袖や胸のところに薄く繊細な生地でレースがふんだんについている。更にスカート部分は幾重にも薄布が重ねられ淡い光沢を放つ。髪飾りは繊細な細工にダイヤとサファイヤが散りばめられていた。
「まあ、素敵だわ!」
母が歓声を上げる。
「お嬢様、ブルーから白のグラデーションが綺麗です」
ヘレンが喜び、セシルは髪飾りを見て、どの様に髪を結おうかと楽しみにしている。フェリシエルはただ一人、恐怖に震える。すっかりペットたちに癒され忘れていたが、あと一週間で夜会だ。つまり悪役令嬢の見せ場である断罪イベントが始まる。
フェリシエルを慰めてくれるのは今や、ミイシャとセイカイテイオーだけ。
青毛の馬は不思議ととても賢く、公爵邸の広い庭を疾走しつつも庭園の花を踏み荒らしたりはしない。だから昼間は屋敷の庭に放し飼いになっている。最近では、いつもフェリシエルといっしょだ。子猫や馬と和んでいると、セシルが呼びに来た。
「お嬢様、殿下がお見えになりました」
「ひぃっ!」
そういえは『でんちゃん』は最近訪ねてこない。寂しく思っていた。でも、殿下が来ても嬉しくない。
むしろ、何しに来たの?
ハムスターが窓をドングリでこつんとしなくなってから、かれこれ一週間。一時は一緒に住み、そのあとは毎晩やって来ていたのに。やはり断罪されるのだろうか。今日はその下準備で来たのかもしれない。フェリシエルは恐怖におののく。
「ほら、お嬢様お出迎えに行きますよ!」
フェリシエルはいやいやメイドのセシルに引きずられていった。
◇
先触れで来ていた王子の護衛騎士エスターは、メイドたちにいやいや連れて行かれる彼女の姿を苦々しく見ていた。
彼はフェリシエルのどこが良いのかわからなかった。きつい感じではあるが、見目は見事な金髪碧眼でどこぞの姫君のように美しい。だが、これから殿下に会うというのに彼女は死んだ魚のような目をしている。
その態度に少々腹を立てていた。一月まえ殿下は彼女を庇って死にかけた。もう少し感謝し敬意を払ってもよいのではないかと思う。
しかし、この家のメイドは言う。
「お嬢様はとても良い方です。ただちょっとご自分のお気持ちに正直なだけです」
それは、ただのわがままでは? とエスターは首を傾げる。
この護衛騎士は、夜も眠れず食事も喉を通らないほど王子の安否を気遣っていたフェリシエルを知らない。
◇◇◇
一方フェリシエルは、サロンで王子と対面していた。彼は腹黒さなど微塵も感じさせないさわやかな笑みを浮かべている。しかし、よく見ると目は笑っていない。相変わらずだ。
フェリシエルはドレスと髪飾りの礼を言った。彼はあたりさわりのない話をし、父ネルソン、兄シャルルとともに執務室に去っていった。
フェリシエルに会ったのはついでで父兄に用事があったようだ。いよいよ断罪カウントダウンなのだろうか。今日はその下準備なのかもしれない。などとフェリシエルはサロンで二時間ほど悶々としていた。ほどなくして父と兄を伴って王子がいとまを告げに来た。
王族のお帰りなので、来た時と同じく家族総出でお見送りだ。一緒に玄関ホールに向かう。
「ねえ、フェリシエル、ずいぶんと立派な青毛の馬がいるんだね。シャルルに自慢されたよ」
ハムスターの姿でもう対面は済ませているが、王子はもちろん知らないふりをする。新しい自慢のペットの話にフェリシエルは顔を綻ばせた。
「そうなんです。うちの敷地に迷いこんできたのです」
彼女は猫とネズミの後を馬がついてきたとは夢にも思っていない。ただの馬だと信じている。馬が人語を話すことも知らない。王子が話していないからだ。
「セイカイテイオーなんてずいぶん立派な名前だね。フェリシエルが名前をつけたんだって」
知っていて、わざと言う。
「フェリシエルはなかなか名付けのセンスがあるんです」
シャルルが自慢気に口を出す。そして更に余計なことを口走る。
「そういえば、あいつはどうした?」
「え?」
フェリシエルは嫌な予感がした。
「殿下、うちにキュートなハムスターがいるんですよ。でんちゃんっていって、ちっこいのに生意気で、それがまた可愛いんですよ。
ネズミのくせに、すっごく頭のいいやつで、言葉がわかってるみたいなんですよね。この間、ハムスター用の餌を食わせようとしたら怒って噛みつかれちゃいました。わがままな奴で人と同じにしてやらないと不貞腐れてテーブルの上に腹出して寝転がるんですよ」
王子の笑顔が静かに凍りつく。兄が王族ハムスターを相手にそんな危険なまねをしているとは思わなかった。知らないって怖い、知らないって最強。フェリシエルは慌てて口を挟む。
「やめてください! お兄さま、殿下はきっとペットに興味をお持ちではないですよ。それにでんちゃんに勝手にえさをやらないでください。それから、いくらモフモフだからって、お腹つんつんしないでください。でんちゃん、びっくりするから」
フェリシエルの言葉に王子の青紫色の瞳がきらりと光る。
「ふふふ。そんなことはないよ。興味深く聞いている。ペットの扱いとかね。
ただ青毛の馬の名前とその賢くて気高くて高貴で美麗なハムスターの名前、どうしてそんなに落差があるのかなって、そこが少し疑問? でんちゃんってネーミングセンスどうなのかなって。ねえ、フェリシエル、君の思うイケメンの定義ってなに? 馬基準なの?」
端正な顔に綺麗な笑みを浮かべた王子が、なぜかフェリシエルに絡んでくる。
結局、玄関に着くまで王子とはペットの話しかしなかった。どうもでんちゃんという名前がご不満のようだ。その上、青毛の馬を放し飼いにしていると言ったら、盗まれるかもしれないから、しっかり厩につないでおけと言われた。解せぬ。
ところで、あの人何しに来たの?
フェリシエルは小首をかしげながら、王家の仰々しい馬車を見送った。
――悪役令嬢断罪まで、あと一週間。
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