黛パズル

恐怖院怨念

問題編

 俺は絶望していた。


 野球部のピッチャーでレギュラーなのに事故で肩を痛めて現在療養中だからだ。

 ボールを投げるどころか肩より上に腕が上がらない。しかも両肩。


 まじで最悪。

 ほんと最悪。

 そろそろ甲子園の予選が始まる時期だというのに……。


 赤い夏の日差しがグラウンドに容赦なく照りつける中、甲高い金属バット音や「おーい!」「おーーい!」という部員達の間延びした掛け声が空に響き渡っては消える。

 その様子を俺はただベンチに座ってじっと眺めていた。


 ひとりでぽつんと……。

 こんなのつらすぎる。


「おい、山田。どこに行くんだ?」


 俺はコーチの声を背中に受けながら部活を早めに切り上げて、足早に学食の方へと向かった。

 少しだけ頭を冷やして家に帰ろう。


 ★★★


 食堂は学校の敷地の奥の一本道の先にある。

 袋小路でアクセスが不便なうえに隣の民家から犬がものすごい勢いで吠えてくるからとてもうっとうしい。


「わんわんわんわんわんわんっ!」


 ほら。こんな感じで。


「わんわんわんわんわんわんっ!」


 塀の向こうから無限に聞こえてくる犬の声。

 男にばかり敵意を向けるこの犬はいったいどんなしつけがされているのだろう?

 飼い主の顔は見たことないけれど、きっと女性なのは間違いない。せめて家の中で飼ってくれればいいのに。


 犬の声を後ろに聞きながら、そして俺は目的地へと到着した。

 古い校舎を改装しただけの学生食堂。

 周囲に人影は見当たらない。

 こんな時間だしそれもそうか。


 ドアを抜けて中に入ると広い食堂内はしんと静まり返っていた。

 昼間はあんなに賑わっていたのに夕方になれば嘘みたいな静寂。

 購買はもう閉まっていて、窓から差し込む夕日の光が屋内のそこかしこに深い影を落としている。

 さらに奥の方へ目をやると、ひときわ目立つオブジェがそこに――。


 校長先生の胸像だ。


 自己主張の強すぎるそれは、なんと校長本人がお手性で作りあげた渾身の力作らしい。

 キリッとした目にたくましそうな口ひげ。実物よりもかなり美化した造形は見ていてこっちが恥ずかしくなる。

 正直、こんなものをここに飾るメンタルはすごいと思う。


 俺の身長並みの高さの台座の上からこちらを見下ろすその姿は、まるで細身の悪魔のような不気味さを醸し出している。

 ちょっとしたホラー世界に紛れ込んだ気分だ。


 そして俺はドアを開けたままにして、誰もいない屋内に足を踏み入れた。

 冷水機の横に並べられた透明なコップを手に取り、水を注いで適当な席に座る。


「ふう……」


 ひとくち喉を潤わせたら、急にトイレに行きたくなって、俺は荷物を置いたまま席を立った。

 食堂のさらに奥にあるトイレへ。


 ★★★


 そして3分後。

 背後からじわりと忍び寄ってくるような形で事件は起こった。


 ★★★


 トイレの外から「ゴンっ!」と大きな音が聞こえてきた。

 固いものが地面に落ちたかのような重低音。


 ん? 何があったんだろう?

 俺は慌てて服を整え手を洗った。

 そして食堂に戻って周囲を見渡す。


 荷物を置いたテーブルの上にはさっき俺が口をつけたばかりのコップがある。水はまだ残っていて、その縁にはうっすらと赤い唇の跡が残っていた。

 椅子の配置も変わっておらず、入り口のドアも開いたまま。

 どこにも異常なし。特に変わった様子はない――。


 いや、あった!

 食堂の奥に目をやると、なんと校長の像が床に落ち、肩の部分から頭が離れてごろごろと足元を転がっていた。


「えっ? なにこれ!」


 いったい何が起こったんだろう?

 そのとき突然。


「おい、お前!? そこでなにやってるんだっ!?」


 食堂の入り口から、聞き覚えのある声が響いた。


「あーーーーーっ! 胸像が壊れてる!!」


 振り向くとそこにはアイツが立っていた。

 同じクラスにいる南雲という名前の奴だ。

 見た目は派手なパリピのくせに秀才ぶっている。頭の良いバカとはまさにこいつのためにあるような言葉で、冷静沈着を装っていつも失敗ばかりしている間抜けな奴だ。

 何かにつけて因縁をつけてくる、いわば俺にとって天敵ような相手だった。

 なんでこいつがここに?


「わんわんわんわんわんわんっ!」


 俺が狼狽えていると、外から再び犬の鳴き声が聞こえてきた。

 それとともにさらに数人の足音が近づいてくる。


「おい? なにかあったのかー?」


 これまた聞き覚えのある声。

 部活を終えた野球部の後輩達が騒ぎを聞きつけてこちらに向かっているようだった。


「あれ、先輩? そこで何してるんスかー?」

「もう帰ったのかと思ってましたよ」

「……」


 北条、西園寺、黛――揃いも揃って豪華な名字をした後輩三人組が南雲の後ろから顔をのぞかせてくる。

 ついさっきまで野球部のグラウンドで練習に励んでいた彼らは不思議そうに俺の方をみつめて、


「先輩? どうしたんスか?」


 どうしたんスかと言われても返答に困る。

 自分でも何が起こったのかよくわからない状況なんだ。


「いや、それがさ……」


 そんな俺の言葉を食い気味に南雲が声をあげた。


「こいつ校長先生の彫像を壊したんだよ。オレはずっと見てたぞ!」

「え!?」


 思わず南雲の顔を凝視する。

 奴はこの俺に向かってビシッと人差し指を突き立てていた。

 そのとき俺はすべてを悟った。

 くそ。そういうことか。

 きっと彫像を壊したのはこいつだ。

 理由はわからないが、おそらく意図的にやったのだろう。

 そしてあろうことか、その罪を俺になすりつけようとしている。

 南雲の赤い唇が一瞬だけ悪魔のような邪悪な弧を描いた。

 こ、こいつっ!

 はめられた!


「い、いや。俺はやってない……」

「嘘をいうな。状況からみて明らかだろ!」


 そう言われるとすごく困る。

 たしかに客観的に見ると今の俺はすごく怪しい。

 く、くそぉ~~。


「あ。本当だ。校長の像が倒れてる」

「頭がもげちゃってますね」

「……」


 後輩三人組はわらわらと食堂に入り床に転がる彫像の周りを取り囲んだ。


「これ、本当に先輩がやったんスか?」

「いや。やってない」

「嘘をつくな! 見てたんだからな!」


 南雲が俺の言葉を真っ向から否定する。

 コイツはよくもまあこんなにぬけぬけと嘘がつけるな!?


「けど先輩、この状況はちょっと苦しいと思いますよ?」

「ですねぇ……」


 北条と西園寺が苦々しく俺の方をちら見する。


「え? お前ら俺のこと疑ってんの?」


 信じられない。たしかに今の状況が怪しいのは確かだけれど、ここまで露骨に疑われるのはかなりショックだ。


「いや。先輩を信じたいのはやまやまなんですけど、ここって先輩しかいなかったんですよね?」

「状況的にわりと無理があるというか?」

「うう。た、たしかにそうだけど……」

「見苦しいぞ、山田。さっさと罪を認めて校長室へ謝りに行け!」


 くそう。

 俺がやってないのは事実なのに、申し開きをする根拠がどこにもない!


「山田先輩」


 そこで唐突に。

 三人組の後輩のうちの一人――ここまでずっと口を閉ざしていた黛がはじめて声をあげた。

 普段から口数が少なく、何を考えてるのかよくわからない奴だが、そんな彼が何かをひらめいたように俺に聞いてくる。


「先輩ってずっとここにいたんですか?」

「ん、黛? どういうこと?」

「いや。先輩がずっとここにいたとして、しかも犯人じゃないなら事件を目撃したわけじゃないですか?」


 なるほど。そういうことか。

 俺は良くも悪くも決定的瞬間を見たわけじゃない。

 なぜなら……。


「ああ、それね。俺はここに来てすぐにトイレに行ったんだ」

「そのコップの水をそこに置いて?」

「うん。3~4分くらいかな」

「その間に事件は起こったと?」

「像が壊れる音が聞こえたのはその時間だ」


 俺がちらりと南雲の方を見ると、奴も不本意そうにうなずいた。


「その音はオレも聞いた。だから気になって中を覗いたんだ」


 その言葉に、黛は今度は南雲の方を振り返り、


「ところであなたはここには一歩も入ってないんですよね? 来る途中に誰かとすれ違いませんでした?」

「いや。誰にも」

「本当に?」

「ほ、本当だよ」


 黛の言葉に圧倒されたように南雲はどもる。


「なるほど。じゃあ今この建物の周辺には誰もいないってことですか」

「多分いないと思う。ここに来るときは誰ともすれ違わなかったし、建物の周りにも誰もいなかった。間違いない。そして見てのとおりここには山田しかいないし、だから犯人は――」


「――それなら犯人はあなたですよ。南雲さん」


 南雲の言葉をぴしゃりと遮り黛は断言した。


「え?」


 うろたえる南雲に黛は重ねて言った。


「いま言ったことがすべて確かなら、犯人はあなたしかありえない」


「そ、それは本当か黛!?」

「はい」


 そして彼はゆったりとした動作で食堂内を見渡し、とある一点でぴたりと視線を止めてこう言った。


「とにかく南雲さん。あなたはビックリするほどマヌケなミスを犯してます。僕が今からそれを教えて差し上げましょう」

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