1%のシュガーレター
池田春哉
第1話
「カカオ99パーセントって、もうカカオだよな」
板チョコの角をパキリと指で折って、口に放り込みながら
彼が持っているチョコはスーパーに行けば大体どこでも見かけるもので、そのラインナップの中でも特に甘いミルクチョコレートだった。先輩は大の甘いもの好きなのだ。
「チョコですよ」
「でも1パーセントだぞ? たとえば将来『人間の遺伝子には実は1パーセントだけシャインマスカットの遺伝子が混ざっていた!』なんて大発見がされたとしても、やっぱり僕たちは人間でシャインマスカットじゃない」
「何の話ですか」
「チョコレートの定義の話だよ」
天川先輩は銀紙を剥がして露になった板チョコを嬉しそうに眺めてから私のほうへ目を向けた。私も視線を返しながら、手癖のように左手で上書き保存のショートカットキーを押す。
「たった1パーセントの砂糖でカカオはチョコレートになれるのか」
「なれるんでしょう」
「甘くないのに?」
「甘さがすべてじゃないんですよ。そもそも定義付けに人の感覚を持ち出すほうが不純だと思います」
そう言うと、先輩は少し考え込むように額に手を遣った。
先輩と私が黙ってしまえば二人きりの部室はしんと静まり返る。暖房が稼働する音が聞こえた。古めかしい暖房はやけに音が大きい。
「ま、愛って不純だしな」
まるで私の心を突くようなことを不意に言われ、一瞬息が詰まった。
「……よくそんな恥ずかしいこと言えますね」
「
「書くのと言うのは別ですよ」
開いたままの画面には私の書きかけの物語が表示されている。
文字よりも台詞のほうが心に近い、と私は思う。
台詞は発信者の声に乗る。その人の発音や声色で届けられる。文字よりも個性が強いのだ。たとえば告白だってメールより面と向かって言われたほうが嬉しい。手書きならまだしも、パソコンで入力したフォントに心を感じろというのも無理があるだろう。
その点、小説はうまくできていると思う。心の映らない文字が作者の存在を隠してくれるから、読者は物語に没頭できる。
「確かに物語ならどんなクサい台詞だって名言になる」
「はい。どんな恥ずかしいことだって言わせられます」
「たとえば?」
「たとえばですね……って、何言わせようとしてるんですか」
「ちっ、気付かれたか」
天川先輩は楽しそうに笑ってもう一度板チョコを折った。その笑顔に一瞬だけ見惚れる。
私が先輩のことを好きだと気付いたのはいつだろう。最近のことのようにも、ずっと昔のことのようにも思えた。
「あ、そういえば」
先輩はふと机の上に置かれたチョコレートの包み紙に目を遣った。表面には大きな赤いハートマークが描かれ、その上に流れるようなペン字の英語が踊っている。
「もうすぐバレンタインか」
「二月ですからね」
「バレンタインにチョコを贈ろうと言った人は稀代の天才だよ」
「はいはいそうですね」
「あー、けどそうなると」
先輩の少し申し訳なさそうに垂れた目がこちらを見る。来週の月曜日がバレンタインデーだということをもちろん私は知っていた。
そして。
「月曜、早めに部室閉めてもいいかな」
「……はい」
先輩に恋人がいることも、私は知っていた。
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