ことばの日
~ 五月十八日(水) ことばの日 ~
※
ほんのわずかな言葉。ひとこと。
相手を思いやれば。
自然と綺麗になる。
身だしなみ。
立ち居振る舞い。
瞳と心の色。
そして。
言葉遣い。
「バカ野郎」
いつものように。
俺の将来の夢を応援してくれようとして。
いつものように。
俺を苛立たせるこいつは。
昨日、あれだけいやだと言ったのに。
欠片も理解せず。
一メートルはあろうかというコック帽子を作って来たから。
俺はいつものように腹をたて。
いつものように突っ込んだんだが。
そこで。
いつもとは違う事が起きたのだった。
俺と秋乃のやり取り以外。
音もなく進んでいた英語の授業。
突っ込みにリアクションもせず。
何かに気付いた様子で、秋乃は慌てて席を立つ。
この感じは。
誰かの助けてを察した時の物。
先生をはじめ、クラスの誰もが見つめた秋乃の行き先は。
パラガスのひとつ前。
鼻をすすって涙をぬぐい続ける。
鈴村さんの席だった。
「ど、どうしたの……?」
「うん……。大丈夫……」
いつも明るい。
学園の人気者。
そんな鈴村さんは。
心配そうにしながら自分も泣きそうになっている秋乃に気付いて。
逆に秋乃のことを心配してくれたのだろう。
涙を流していた理由を話し始めてくれた。
「あのね? 小さい頃の話しなんだけど、ひいおじいちゃんに最後に言った言葉が酷い悪口だったのよ、あたし」
「うん……」
「しばらく後悔していたんだけど、最近はすっかり忘れていてね?」
「うん」
「それが、ついこの間ね? 専門学校に行こうか就職しようかってお母さんに相談したらさ、急に通帳渡してきたのよ」
名前が表すかのように。
鈴の音のような美しい響きを持つ鈴村さんの語りに。
誰もが呼吸すら忘れ。
深く聞き入って、物語に飲み込まれる。
「ひいおじいちゃんさ。お母さんを大学に行かせてあげられなかったことを後悔してたみたいでね? あたしに、大学の入学資金だってお金を残してくれてたの」
そうなんだ。
そんなことがあったんだ。
思わず、親父やお袋。
そして爺ちゃん婆ちゃんに思いを馳せる俺だったが。
それと同時に。
どうして泣き出したのか、未だに理由が分からないことに首をひねる。
いつもなら、結論を先に言えとか。
そう突っ込むところだけど。
さすがに空気を読んで。
鈴村さんの言葉をじっと待つと。
「だからね? 二つのことを決めたの、あたし」
「うん」
「平均以下の成績のあたしが、今からどこまでできるか分からないけど。ひいおじいちゃんに、大学生になったあたしの姿を見せてあげたいって」
「すごい……。きっとなれるよ、大学生」
「うん」
……先日の、先生の言葉。
仕事に対する愛情こそ、将来の成功につながる道。
もしそれが、勉強にも当てはまるなら。
きっと彼女は成功者になれるだろう。
「……鈴村。いい話だが、授業中だということを理解しているか?」
「ご、ごめんなさい先生」
「うむ。そしてもう一つ憎まれ口を重ねるが、大学がゴールではない。お前の夢に繋がる進路を選んで、二人の夢を同時に叶える事。いいな?」
「はい……!」
たまにはまともなことを言うこいつのおかげで。
なんだかいい話でまとまりそうだな。
しかも、俺の進路の悩みについて。
ひとつ光明が見えた気がした。
つまり俺には。
愛情が足りていないという事だ。
将来、何になりたいのか。
そのための有名大学。
そのための日々の勉強。
当たり前のことが欠けているから。
進路が決まらないばかりか。
……最近、勉強すら。
おろそかになっているって訳だ。
大切なこと。
子供から大人になるために知らなければならない事。
誰もが心の泉に一つの波紋を浮かべた今日のことを。
決して忘れるまい。
たとえその直後に。
珍事が発生しようとも。
「す、鈴村さん!」
「ひうっ!? どうしたの秋乃ちゃん。まだなにか心配?」
「き、決めたことが二つあるって……。もう一個の方、気になる……」
「うはははははははははははは!!! こら秋乃! それは休み時間にしろ!」
このバカもんが。
ただのゴシップ大好きおばさんかお前は。
でも、俺の真っ当な意見を。
笑いながら踏みにじる民意。
「そうだ教えろ!」
「確かに気になる!」
「……うむ。収拾がつかんからな、手短に」
「こら教師。お前もか」
呆れる俺を教室の隅に残したまま。
誰もが鈴村さんのそばに寄っていくと。
その中心で、椅子の上に立った時の主役は。
こほんと一つ咳払いをして。
「みなさん! 一言一言を大切に発するように!」
まるで街頭演説。
身振り手振りを加えながら。
熱く語り出す。
「最後の言葉になる、なんて縁起でもないですけど。一言一言、言葉の色は、発した方には見えませんけど、かけられた方には良く見えるものなのです!」
美しい言葉を、優しい言葉を。
大切にしよう。
そう論ずる鈴村さんの言葉は。
所詮付け焼刃。
今時言葉とか若者言葉とか。
そんな言い回しが見え隠れしてるけど。
「たしかに。綺麗な言葉の積み重ねは大事だな」
いつの間にやら、お隣りに戻って来ていた秋乃に向けて。
小さな声でつぶやくと。
予想だにしていなかった。
意外なことを面と向かって言われることになった。
「た、立哉君の言葉は……。いつも、優しいです」
――周りが騒々しくしていてくれたおかげで。
誰も秋乃の言葉に気付いた者はいない。
だから俺も。
照れくさいのを我慢しながら。
「俺は、秋乃の言葉。…………好きだよ」
そっぽを向きながら。
もごもごと誤魔化しながら。
精一杯の、優しい返事をしてやった。
そんな言葉に、顔を真っ赤にさせて。
秋乃は教室を飛び出して行ってしまったんだが。
「こら保坂!」
「なな、なんだよ!」
「今、貴様が酷いことを言ったせいでこうなったんだ! 責任を取れ!」
「酷いことなんて言ってねえ! トイレにでも行きたかったんじゃねえの?」
見てたのかお前!
まさか、今の恥ずかしいやり取り聞いてたわけじゃねえだろうな!
でも、一瞬で耳まで赤くした俺に。
先生は、首を横に振ってみせる。
そして。
「舞浜のことじゃない。この騒ぎの元凶だ」
「は?」
なにやらおかしなことを言い始めた。
「この騒ぎって、鈴村さんが感傷的になった事?」
「そうだ。ここから見ていたらすべてが分かるのだ」
「いや意味分からんが」
「鈴村が悲しくなった理由は、貴様が『バカ野郎』なんて汚い言葉を使ったことがきっかけだ」
はあ?
「いや、そんな出まかせ信用できると思うか?」
「そ、それがね保坂」
「う。まさか」
「正解です。保坂の言葉聞いて、自分の口の悪さも思い出して」
「ぐ」
「いい、保坂。あんた、秋乃ちゃんに酷いこと言って……」
「ぎゅ」
「彼氏でしょ?」
「ごはっ!」
言った方には見えないが。
受け取る方には良く見える。
それが言葉の色、か。
「わ、分かった。言葉遣い、気を付ける」
「ほんと? 保坂、口悪いから信用できない……」
「せめて、バカ野郎なんて言葉だけは絶対言わねえ!」
「ほら」
「ぜ、絶対言わないように気を付けるのでございます」
使い慣れてねえからおかしな感じになった俺に。
みんながひとしきり笑ったところで余興はお開き。
全員が席に着いて、余計な音も消え。
さあ授業再開と思った瞬間。
『ざざっ……』
校内放送のスピーカーが。
スイッチを入れた時のノイズを発した後。
『すぅ……』
息を吸い込む音が聞こえ。
そして。
『た、立哉君が! デレたーーーー!!!』
校舎内にいるほとんどの人間が眉根を寄せ。
そうでない人の全てが腹を抱えて笑い転げる。
そんな事をしでかした秋乃に向けて。
俺は、考えうる最大限に美しい言葉を。
優しい声音でかけてやった。
「この大バカ野郎」
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