短編 花の香水のビンが割れた

星降雨独 ーセイコウウドクー

あるいは、時が奪い去れぬもの

 雨が降っている。私は右手に傘を持っていた。街を南北に分ける大きな川には、いくつもいくつも雨の波紋ができていた。その川はあまりに流れが緩やかで、時に逆流しているかのように見えた。河川敷はきれいに舗装されて、私のビニールの黒い長靴が泥に汚れることはなかった。厚い雲が初夏の日差しを遮り、また堤の並木がさらに道に影をつくっていた。


 少し寒かった、半袖のTシャツに長袖のシャツを重ねて、その上にスポーツ用の雨合羽を着ていたが、傘を持つ腕に雫が張り付いて、腕の深部を冷やしていった。

 

 私は歩き出した。遊歩道の脇には、ベンチがあった。その周りに、シロツメグサが群生していた。

 「シロツメグサは元気だな、どこにでも植わってるし、毎年必ずかわいい姿を見せてくれる」

 

 よく見るとその中に、紫のものがあった。ムラサキツメグサか。私は歩き続けながら、シロツメグサとムラサキツメグサが混種したものがないか探していた。シロツメグサのガクが薄く汚れたようにピンク色のものがあるが、白から紫に向かってグラデーションになるわけではなく、あくまでシロツメグサはその白さにこだわっているように見えた。


 橋を渡ってしばらく歩いた。私は、夏になったら雨の降る日に野外のプールに行って、雨に当たりながら泳ごうかと考えていた。

 

 私は藤棚に向かっていた。

 

 4月の中半には、その藤棚は人々であふれかえっていた。出店が来て、ベビーカステラのバターを焼く匂い、あるいはカスタードそれで満ちていた。

 人だけじゃない、クマン蜂がブンブン飛び回って、それはそれは賑やかだった。


 道中、二人のご婦人に呼び止められ、駅はどこかと聞かれた。

 「駅?・・・ここからだと公園前駅に行った方が近いですよ、普通電車が30分に1本しか来ませんが」と私は言った。

 二人は中心地の駅に行きたいと言った。

 「わかりました。このまま川沿いを歩いて、三つ目の橋を渡ってください。そのまま南に下ると駅がありますから」と私は言い、二人と別れた。



 藤棚の前で私は立ち止まった。五月の連休の中頃、藤の花はもう残っていなかった。花が散って、それを結んでいた細く白い茎だけが、いくつもいくつも藤棚から垂れ下がっていた。

 藤棚の下はちょっとした迷路のような回廊になっていた。葉っぱだけが大きく茂って、暗い影をつくっていた。

 誰も人がいなかった。厄介な蜂でさえ飛んでいなかった。


 

 

 「さみしいもんだね」と私は言った。

 「花が散ったら、誰一人君に会いに来てはくれないじゃないか」

 

 「あなたは私に会いに来てくれたの」


 「そうだよ」「君のことが好きだからね」




私は、彼女を抱き寄せて、そっと一房だけ残った花弁にキスをした。



              

          終


 


 


 

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