撮りたい物は、
@ricebird1009
第1話 桜の森での出会い
――満開の桜の中、カメラと向き合う貴女の顔。きっと、忘れる事はないだろう――
上の階の住人がバタバタと立てる音に、僕は堪らず飛び起きた。
――これが毎日続くようなら、大家さんに苦情の連絡を入れよう。
そう心で呟いて、カーテンを開ける。春の柔らかい陽射しが、引っ越してきたばかりで未だ段ボールだらけの部屋を照らす。
――今日のガイダンス、何時からだったっけ。
昨夜買っておいたパンを食べながら、入学式で貰った資料を探し、ざっと目を通す。
"機械工学科 ガイダンス 9時より"
ちらりと目覚まし時計を確認すると、まだ7時半にもなっていなかった。大学までは、普通に歩いて30分弱、散歩しながらでも大体1時間あれば着いたっけ、とパンの残りを飲み込みながら考えてみる。
――天気も良いし、散歩ながら行こうかな。
身支度を整え、マンションを出た。
マンションを出て少し東へ歩くと、JRの駅にたどり着く。通勤客でごった返すその駅を抜けると、反対側は淡い桃色に染まった広い公園だ。引っ越してくるまで知らなかったが、ここは県内有数の桜の名所で、この時期は花見に訪れる人が絶えないらしい。流石にこの時間なので、大半は通勤・通学で通り過ぎるだけの人のようだった。僕は満開の桜を横目に、駅へ向かう人の流れに逆らい、公園を抜けた先にある大学の方へと歩みを進める。
少し奥へ入ると、一面の桜を眺められる広場に変わった。気の早い事に、既に花見の準備を始めている人達もいる。
――ここで朝食を取るのも有りかな。
そんな事を思いつつ、淡く色付いた森の中を、気の向くままに歩いた。そして一通り回り終えて、そろそろ他の場所へ向かおうとしたところで、気になる人が目に留まった。ジーンズに、落ち着いた色合いのパーカーを合わせた、小柄な女性。一面の桜の木の中のある一本、ある一房だけを、難しそうな顔で眺めている。やがて何か納得したように小さく頷くと、肩から提げていたカメラを構える。華奢な体躯には不釣り合いな、大きなカメラ。彼女は凛とした表情でファインダーを覗き、一瞬の静止を挟んでシャッターを切った。カシャリ、と心地のいい音が鳴る。彼女は少し緊張した様な面持ちのままファインダーから目を離し、カメラの後ろ側、恐らく画面があるだろう場所を確認する。その瞬間、硬かった表情は一転して、柔らかい表情へと変わった。きりりと結んだ口元は綻び、笑みが零れる。その表情に、僕は暫く呆然とさせられてしまった。
ふと我に帰ると、彼女はカメラを肩へ提げ直して、何処かへ歩き出すところだった。その後ろ姿をぼんやりと目で追っていると、何かがカメラから外れて落ちたのが見えた。ただ彼女はそれに気付く事はなく、前へと進んでいく。
――届けないと。
何かが落ちた辺りまで小走りに行って、地面を探してみる。桜の花弁に混じって、黒い丸い板状のモノが落ちていた。裏返してみると、"Canon"のロゴが入っていた。
――レンズの蓋だろうか?
鞄にそれを仕舞って、小さくなった彼女の後ろ姿を追う。向かっている先は、自分の通う事になる、大学の方だった。
――部活の人なのかな?
彼女の姿が消えていったのは、通称で"部室棟"と呼ばれる建物。中に入り、館内の地図を眺めてみる。載っている部活の名前を上から読んでいき、途中で目を止める。
"写真部 3階 C3-104号室"
そこに居てくれたら、という気持ちで目の前の階段を登り、少し歩くとその部室はあった。"ご自由にどうぞ"と、カメラを象った小さな看板の掛かったドア。ノックしようとして、手に汗をかいていたことに気付く。
――部活動に馴染みの無かったから、だけじゃ無いんだろうな。
一度深呼吸して、ドアをノックする。程無くして、
「「どうぞ。」」
男女2人の声が聞こえてきた。誰か他にもいるらしい部屋の中へ、ドアを開けて入っていく。
「失礼します!」
「おや、こんな早くから新入生くんが。カノンちゃんの知り合い?」
部屋の隅に2台並んだパソコン。その片方の前に座っていた男性が、僕と、彼の隣にいるさっきの女性――カノンさん、というらしい――を交互に見やって言った。カノンさんも、僕と男性とを代わるがわる見やり、少し困ったような顔をする。
「いえ、初めてお会いする方ですが……見学の方ですか?」
「いや、そう言う訳ではないのですが。公園でこれを落とされていたので、届けに来ました」
僕は、鞄からさっきの蓋を取り出した。
「あら、ありがとうございます!そこへ置いておいて頂けませんか?」
カノンさんは部屋の中央のテーブルを手で示した。先程の立派なカメラが、隅の方に寝かせてある。その横へ蓋をそっと置き、退室しようとした所で、男性に声を掛けられる。
「ところで新入生くん、君、写真は好きかな?」
そう聞かれて、ちょっと回答に詰まってしまった。せいぜい、出先に綺麗な物があったらスマートフォンで記録しておく位だ。ただ、写真部の部室に入ってきたのに、素直にそう言って良い物だろうか。どう答えようか悩んでいると、彼は穏やかな微笑みを湛えて続けた。
「別に興味が無いと言われても大丈夫だよ。この部活には色々な人がいるから。何なら、カメラを持っていない人もいるくらいだ」
「そうなんですか?」
「そうだよ」「そうですよ?」
2人の返事が重なった。
「もしちょっとでも興味があるなら、今日の4コマ目の時間にまた来てくれないかな?部会がそこであるから、その時に改めて色々と話をさせて欲しい。そろそろガイダンスが始まるんじゃないかな?」
彼の言葉で、慌てて腕時計を確認した。8時40分。
「考えておきます。お邪魔しました」
僕はそう言って、部室を後にした。カノンさんのあの笑顔が、どうにも頭から離れないままだ。
(続く)
第1話 後書き
らいすばーどです。ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
これまで何度か、写真を題材にした小説を書こうとしたことがありました。結局、書いている途中でつまらないと感じたり、文が続かなくなったりして日の目を見ることは無かったのですが、今回ようやく(まだ1話目ですが)公開に漕ぎつけました。時間は掛かりそうですが、どうにか完結まで持って行きたいと思っておりますので、続きも読んで頂けますと幸いです。
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