第1章 豊穣の地グランアルマリア(3)

3

 揺れる稲穂が延々と続き、まるで金色の海のようにゆっくりと風にあおられ波を打っている。

 その中にあって、作業用の麦わら帽子をかぶり、稲穂のはざまで除草作業をしている者がいた。


 年のころは20代前半のように見えるその美しき幼顔に、しかしながら、鋭く光る眼光は天賦の才を隠しきれずにいる。

 

 彼女は大きく息をついた。

 クアドリル――。かつて「聖竜の晩餐」にて焼け野原にされたこの地は、いまやこの国の食糧の基盤を支える大穀倉地帯へと復活を遂げていた。


 「お嬢! お嬢! ましょう!」


 遠くから彼女を呼ぶものの声がする。


(ったく。その呼び方はやめろといってるのに。いつまでも子ども扱いだ――)

ミュリーゼは大きくため息をついて、

「クアド! その呼び名はいい加減やめてくれないか! わかったよ、今日はここまでにするよ――」

と、その声の主に返すと、一つ大きく伸びをして、彼女を呼んだクアドの方へと歩みだした。


 麦わら帽子を脱ぎ去ると、不意にまとめてあった髪の結いが外れ、さらさらと黄金色の髪が流れ落ちる。その長髪が柔らかな風にあおられふわふわと波打つ姿が、傾きかけた日に照らされて、眩しく光る様を目にしたクアドは、ついその美しさに見とれ、立ち尽くしてしまった。


「何をぽかんと口を開けてるんだ? ほら、いくぞ」

クアドに近づいたミュリーゼがほうけ顔のクアドを見て一喝いっかつすると、

「ああ、はい。お嬢、おつかれさまです」

とクアドと呼ばれたその青年が応じる。


 言いながらクアドの横を通り過ぎたとき、風のいたずらでミュリーゼの髪があおられ、ふわりとクアドの顔を撫でた。ほのかに甘い香りがクアドの鼻腔を襲う。


 クアドは一瞬、このまま時が止まればいいと思うような感覚に襲われるが、慌てて振り払うと、すでに先を行っているミュリーゼの背中を追いかけた。



(シエロ――。今日の空もすがすがしい青だったよ。君の空はどうだい――?)


 クアドを追い越して帰途についたミュリーゼは、はるか遠くの地で同じように空を見上げているだろう『空』という意味の名を持つ「恋人」を想っていた。



 ミュリーゼ・ハインツフェルト。

 今年で26歳となる彼女は、かつてこの国グランアルマリアの初代国家代表であった。在位はきっちりと任期の4年だった。

 16歳から20歳。

 当然のことであるが、名だたる世界の歴史の中において、16歳で国家代表になったものは初めてではなかったが、そのすべては、傀儡かいらいとしてあえて祀り上げられたものたちであり、実権を掌握し、政務をつかさどり、国家の礎を築いたものなど過去に一人もいない。

 事実上、彼女こそ世界最年少の「王」であっただろう。

 しかし彼女はその地位に執着することはなかった。初めに決められていた通り、国家代表の任期は2期4年が最長であり、再選することは出来ないという規定にのっとり、ちょうど4年でその座を譲る。民たちは、彼女の退位を望まず悲嘆にくれたが、彼女の最後の言葉は民たちに、さらに自立した民主国家のあり方というものを植え付けることにもなった。


 それから6年。


 幸いなことにこの国は平和に推移している。


 隣国メイシュトリンドとの同盟と、この肥沃な土地から生み出される豊潤な食糧は、国家の成長の基盤をしっかりと支え加速させてゆく。そうして今もなお、未開発の土地は次々と開墾されている。


 ミュリーゼの後を受けた国家代表もしっかりと選挙を勝ち上がった聡明な代議士であった。ミュリーゼの4年を脇で支えたその者は、ミュリーゼから受けた教育を糧に、国家体制変化という激流の4年間の後をしっかりと統率し、穏やかな流れへと導いた。そうしてその彼も4年でその勤めを全うし、現在の国家代表へとバトンを繋いだ。



 皆よくやってくれている。ほんとうに、よくやってくれている。


(ボクの心残りはもう、一つだけだ――。速く帰ってきてくれシエロ、おばあちゃんになってしまう前に――) 




 



 



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