第5章 崩れ去る均衡(3)

3

 聖竜歴1249年7の月30の日――

――ウィアトリクセン共和国王都ウルダーザ政務庁舎内国家主席執務室


「昨夜遅く、メイシュトリンドに潜ませていた諜報員が戻りました。メイシュトリンドの黒い悪魔について重要な情報を持ち帰ったようです。直接お話を聞かれるのがよいかと思い、本日ここへ呼んでおります」

アリソン・ロクスターは目の前のソファに腰かける国家主席ビュルス・ハイアラートへそう具申ぐしんした。


「直接、だと?」

ビュルスは眉をやや吊り上げて、訝しげに聞き返す。

「そんなに、詳細が必要な内容なのか?」


「はい、非常に重要な内容です。場合によっては世界が転覆する可能性すらあります」

アリソンは硬い表情を崩さず、静かにそしてゆっくりと応える。


 ビュルスはアリソンの様子にすこし不安になったが、彼が言うのだ、聞かねばなるまい。そう意を決し、承諾の意を表すため点頭したうなずいた




「――つまり、メイシュトリンドの大庭園の地下に巨大な武器工場があるというのか?」

ビュルスは目を見開いて、目の前の若く美しい男、ミリアルド・トゥーイットに聞き返した。


「はい。そして、そこではあの“漆黒の軍勢”が装備するであろう、黒金属の武具が次々と産み出されておりました。そして、何よりも驚くべきことですが――」

ミリアルドはここで一旦呼吸を入れる。長い時間をかけて手に入れた情報なのだ、少しぐらいもったいぶってもは当たるまい。


「な、なんなのだ? もったいぶらずに早く申せ」

ビュルスは先が聞きたくてうずうずしている様子だ。


 ミリアルドはかたわらで静かに聞いているアリソンの方に視線を送り、目線で、続けてよいかを確認した。

 アリソンも静かにうなずく。


「その黒金属の原材料なのですが、なんと、我が国産出の黒鱗石こくりんせきが使用されておりました」

ミリアルドは衝撃の事実を伝えた。


 ガタっと、物音がしたかと思うと、ビュルスはソファの端からややずり落ちてしまった様子だ。

「な、なんということだ……。あの鉱石は建物の内装用や新しい様式のために使用するという事ではなかったのか? アリソン! これはどういうことだ!?」


「たしかに、メイシュトリンドのお抱えラウール・マルテが、リチャード・マグリノフのつてで我が国へ公式に依頼したもの。その用途は、あくまでも、内装や調度品など新様式研究のためという名目でございました――が、何かあるかもとは思っておりましたが、まさかこのようなことだったとは――」

アリソンは眉を寄せて、肩をすくめて見せた。


「な、なにをのんきな! ゲインズカーリ軍を大敗させた“漆黒の軍勢”を陰から支援していたことになるのだぞ? これがどういう意味を持つか、わからぬお前ではあるまい!?」

ビュルスは、完全に腰が抜けてしまっている。

「このことをゲインズカーリのあの常勝将軍カエサル・バルに知られたら、我が国は真っ先に狙われることになるのだぞ? そうすれば我が国はひとたまりもないではないか――」


 アリソンは、その様に取り乱すビュルスに対して、努めて落ち着いて、

「その心配はもう解消されたでしょう。たしかに、ゲインズカーリと緊張状態だったついこの間までであれば、その様な心配もあったかもしれませぬが、先日、メイシュトリンドとゲインズカーリは友好条約を結んでおります。この事実は、メイシュトリンドにとってもゲインズカーリに知られたくない情報でしょう。漏れれば、我が国と共謀してゲインズカーリを陥れたと言われても弁明のしようがない状況となりますからな――」

アリソンはそこでやや声を落として、先を続けた。

「――むしろ、この情報は我々にとってメイシュトリンドに対する“切り札”となるやもしれません」



――――――――



 ミリアルドは、報酬の袋の中身を確認して、それを懐にしまい込んだ。

(これだけあれば、数十年はゆっくり暮らせるというものだ――)


「ミリアルド、ご苦労だったな。お前と別れるのは実に残念だが、里の母上ももう長くはない様子らしいじゃないか、一度里へ戻るのか?」

アリソンは自室で向かい合って座っているミリアルドへ視線を投げた。


「ああ、そうだな。ここ数年は少し働きすぎた。顔も多くの要職に就くものにみられている。数十年はおとなしくしていないと、俺の仕事に影響するだろうからな。しばらく里の母上と静かに暮らすとするさ。これだけあれば、充分だしな」

そういってふところの上を叩いて見せた。

「とは言っても、あの退屈な里でいつまでゆっくりしていられるか、少し不安だがな。人族と長い時間触れ合うと、やつらの情熱の炎がようなそんな気分になるんだよ。退屈に嫌気がさしたらまた戻ってくるかもな――」


 ミリアルドはそう、薄く笑って見せると、席を立ちあがった。


、身体に気を付けて、無理をするなよ? 母上のことは気にしないでくれ。国の舵取りでどうしても困ったことがあったら何時いつでも呼んでくれ――」


 アリソンは、

「ああ、アンナは私の元を早くに旅立ってしまったが、お前という義弟おとうとを残してくれた。義母上ははうえには孫の顔をお見せできなかったが、何かあればいつでも私を頼ってくれ」

そう言って、ミリアルドを抱擁した。

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