第3章 第五の脅威(1)

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 1249年6の月16の日――

 ――メイシュトリンド王国執政ゲラート・クインスメアの屋敷会食室。


 「クルシュ川危機」から8ヶ月が経っていた。

 

「シエロ、今日はフューリアスのところに行かないでいいのかい?」

ゲラートは朝食に出されたプレートをきれいに平らげ、食後のコーヒーをすすりながら、左手に腰かけている義理の息子に声をかけた。


「はい、お義父とうさん。今日は将軍からお暇を頂いています。なので、工房の方へ行ってみようと思っています」

蒼い短髪、紫紺の瞳、綺麗な淡い色の肌をしたこの青年は、微笑みを浮かべながらそう答えた。


 ゲラートはその微笑みがたまらなく愛おしく思えた。

 

 フューリアスが連れてきてからもう5年以上も経ったのか。

 あの時のこの少年の憔悴しきった表情を見たときは、なんとかせねばと思ったのだが、屋敷のものたちの加護もあり、徐々に表情を取り戻し、いまではこのように笑って食事ができるようにまでなった。

 おそらくもう、私が居なくてもこの子は大丈夫だろうと、そう思うと一層愛おしさがこみあげてくる。

 いつの間にか私の方がこの子に入れあげてしまっていたようだ――。


 国政に携わっているうちに婚期も逃してしまい、結局妻をとることはかなわなかったが、代わりに天からの恩恵が与えられたのだとも思うのだ。


 将来は我が家督を継がせてもよい、いや、むしろそうあるのが自然な流れというものだろう。


「そうか――。どうだ? 少しちちと遠駆けでも行かないか? 工房へは急ぎでもあるまい?」

ゲラートはシエロを誘ってみた。


「――それもいいですね。どちらまで行きましょうか」

シエロは嬉しそうに微笑むとそう言って同意した。

 

 二人は馬を駆って、王都から駆出し、小一時間ほど南に向かって馬を走らせた。

 王都の南にはなだらかな丘陵があり、頂上付近まで登ると王都が遠目に一望できるとともに、南に広がる大森林の緑の絨毯が、遥かカミル湖の湖岸まで見渡せる。


 二人はこれまでもここまでよく馬で来たものだった。そのたびに途中からは、なかば競争になって最後は息が上がるほどに馬を追ってしまうのだった。


 今日もやはり同じだった。しかし、いつもと違ったのは、勝ったのがシエロだったということだった。


「ふぅ――。いや、これは参った。いつの間にそんなに上達した?」

ゲラートは爽やかにシエロに賛辞を贈る。


「ハァハァ――。いいえ、たまたま今日はこの子の調子が良かっただけですよ」

そう言って自分の愛馬の首を撫でてやった。


「そんな謙遜はよい。やはり、軍の訓練というのは並大抵のものではないのだな」

そう言って、眼下に広がる大森林から遠くカミル湖までを見渡しながら、

「シエロ。お前を正式に私の跡取りとして、陛下に許しをもらうことにした。近く正式に養子縁組を進めようと思う――」

言いつつ、まだ若いこの青年の方を見て、真剣な眼差しを送る。


「え、えっと――。僕が、お義父さんの息子になるということですか? そ、そんな……。身に余る光栄です……が、本当に僕なんかでいいの、でしょうか?」

シエロはさすがに動揺を隠せない。

 自身の出自は当然ながら心得ている。自分が隣国の農家に生まれ今は身寄りもなく、それを引き受けて育ててくれたのがこの養父ちちだということも知っている。

 養父の厚意にはとても感謝しているが、それだけでもう充分であった。年齢も16になりいつでも独り立ちできるほど体も丈夫に育ててくれたのは、すべて、寝る場所を与え、日々の食事を与えてくれた養父のおかげであることは充分理解している。

 かくなる上は、軍人として国に仕え、少しでも養父の役に立てればそれでよいとさえ思っていたし、その覚悟で軍にも従事している。

 4年前から、フューリアス将軍の特訓に耐え、戦闘技術を磨いてきたのもすべてその為であった。

 昔こそ、父母や村のみんなの仇を討ってやるという復讐心に燃えていたが、それももうそれほどのものではない。むしろ、今は、今の自分があることを感謝し、日々研鑽に励むことこそ大事なことだと思うようになっている。


「ああ、お前がいいんだ。5年前にお前は私のもとにやってきた。その原因となった凄惨な事件はとてもつらく悲しいことだったかもしれない。だが、不謹慎ではあるが、私にとってはとてもありがたいことだった。神のお導きであるとさえ今は思っている。この5年でお前は見違えるように成長した。昔の暗く復讐に燃える瞳はもう陰りもない。その年齢でそれを克服したことは並大抵のことではない。お前の前途は洋々である。私はそのお前の成長を少しでも長く見ていたいと思っているのだよ」

そう言って、シエロの顔をまっすぐと見つめる。

「私のもとへ来てくれてありがとう、シエロ。愛している」


 シエロは養父のそのまっすぐな思いを体中で受け止め、あまりの幸せに肩を震わせていた。



 

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