第2章 歪んだ均衡(6)

6

 それは突如として現れた――。


 キリングの先遣隊の残り兵士たちがひとまとまりとなり、最後の突撃を行おうとした時だった。

 キリング隊の後方より、漆黒の防具、漆黒の武器を装備した軍勢が忽然と姿を現したのだ。


「あれは――、なんだ?」

キリングは隣で同じように眺めているノールマンに問う。


「あ! 将軍! 援軍ですぜ! メイシュトリンドの王国旗が見えます!」

ノールマンも驚き、叫ぶ。


 軍勢はあれよあれよという間にキリング隊の後方に迫ると、その先頭の男に見覚えのある顔が見えた。


「フューリアス……、フューリアス・ネイ将軍の軍か――!?」

キリングが言ったか言わないうちに、先頭の男が軍に鬨の声をあげた。


「メイシュトリンド王国将軍、フューリアス・ネイ! 加勢仕る――! 全軍、橋へなだれ込め――!!」

『オオオォォォ――――!!』


 漆黒の軍から地響きのように割れんばかりの怒号が響き渡る――。


 キリングは慌てて、隊を二つに分けるよう指示を送ると、その間を全身真っ黒な防具をまとい、漆黒の刀身の長剣を振りかざした軍が橋に向けて殺到した。

 先頭の男、フューリアスは、キリングとすれ違いざま、

「待たせたな、キリング将軍! そなたは下がっておれ! あとは任せろ!」

 そういったきり、止まらず橋へと突進していった。


 その後のその漆黒の軍団の働きは、凄惨の一言だった。

 総勢1万の軍が、一気に橋を突破し、浮足立ったゲインズカーリ軍を殲滅してゆく。

 兵の数はほぼ同数であったにもかかわらず、突如現れた漆黒の悪魔たちに恐れおののき戦線は一気に崩壊した。

 さすがにこの勢い差が生じてしまっては、勇猛で謳われたゲインズカーリ軍と言えども態勢を整えねば戦闘にならない。

 これまで、数で圧倒し余裕の状況だったにもかかわらず、突然劣性に追いやられてしまっては混乱は避けられなかった。


 ゲインズカーリ軍は胡散霧散し、慌てて後退を開始するが、時すでに遅く、散り散りになった逃亡兵はすべて漆黒の悪魔に飲み込まれていった。


 残ったゲインズカーリ軍のなかには何とか逃げ延びた者もいただろうが、すでに戦局は決している。

 日が傾くころには、橋の向こう側はゲインズカーリ軍の死体の山が山積していた――。

 フューリアスは、追撃の手を緩めなかった。

 その勢いのままキリルドに入ると、手当たり次第にゲインズカーリ兵を殺戮しつくしていく。

 

 しかし、恐ろしいのはこの剣と鎧だ。

 

 何合打ち合おうが刃こぼれ一つしない上に、敵兵の鎧さえまるで紙を切るように切り裂いてゆく。相手の剣の刃すら両断してしまうほどだ。

 鎧は相手の刃を通さず、さすがに傷ぐらいはつくが、体まで刃は届かない。

 これだけの性能差とは正直思ってもいなかった。

 致命傷を負わないと知った軍勢はさらに勢いづき、日が暮れるころにはキリルドの町も奪還していた。


 かくして、ゲインズカーリの東征は完全な失敗に終わった――。


――――


 少年は、漆黒の鎧をまとい黒い長剣を右手に握りしめ、目の前に現れる敵兵を次々となぎ倒していった。もう何人斬っただろうか、さすがに、手足の力が失われてゆくのを感じていた。

 

 初めての戦場、初めての戦闘、そして、初めて人を殺した。

 

 思っていたのとは少し違う。

 案外簡単に人は死ぬものだ。

 

 さっきまで動いていたその人間いれものは、首が離れるとまるで、藁人形のように崩れ落ちる。腕を切り落とせば、芋虫のようにもがき、足を切断すればミミズのように這いつくばりながら絶叫し命を請う。

 なんと儚いものか。彼らにも生きていく理由があっただろう。兵士になった理由もあるのだろう。守るべき人や、愛する人もいただろう。

 しかし、そんなものはここでは何も意味をなさない。

 

 ただ、生き残ること――。


 それしか存在しない、空虚な空間。


 そして、自分もいつか、あの藁人形のように崩れ落ちる日が来るのだろう――。


 ふと気が付いたとき、自身の体中が鉄が焼けたような匂いに包まれているのがわかった。

 切り伏せた敵がまき散らした血飛沫を体中に浴び、日に照らされ、なにかが焼けたような匂いが鼻をつく。


(ああ、人が死んだときって、こんな匂いがするんだな――)


 はるか遠い記憶の中に思い起こされたあの日は、ただ、焦げたすすの臭いしかしなかった。

 あの日も自分のまわりでたくさんの人が死んだというのに――。


「まだ、この方がいい――」

シエロはそうつぶやいていた。


 

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