第1章 英知の結実(4)

4

 聖竜暦1243年9の月3の日――

赤炎竜ウォルフレイム・保有国プレッジャーヒューデラハイド王国領北方商業都市レノア――。

 メルダーザの酒場――。


「一週間ほど前、東地域のエリン村が聖竜の晩餐に見舞われたそうだ……」

酒場の主人、ノイマンがぼそりと言った。


「聖竜の晩餐……。ひどいものだな。まるで、地震かハリケーンのようなものだからな。いつ襲ってくるかわからねぇんだから対応のしようもないよなぁ」

カウンターに腰かけている客の一人が応答する。


「だよなぁ、一応のところ、防空壕を掘ってはあるが、それもほぼ無意味らしいという話だ。どうやら、聖竜には命の光が見えるらしい」


「そうなのか? それじゃあ隠れてもばれちまうってことか?」


「そうなるな。だから地面の中に穴ほって隠れてても、見つけられちまって一飲みにされるのがオチなのさ」


「じゃあ、もう、逃げるしかないのか……」


「逃げても無駄さ、聖竜は『腹』が膨れるまでは、その周囲の土地を命ともども破壊し尽くすらしい。だから、人の足で逃げても逃げ切れねぇんだよ。結局は、聖竜が止めるのをただ祈ってやり過ごすしかねぇのさ」


 二人がそんな会話をしているところに、表の扉がギィと音を立てた。


 そうして、一人の男が入ってきた。全身黒ずくめ、フード付きのロングコート、両腰にそれぞれ一振りの剣を指しているのが、コートの合わせ目から覗いている。


 男はつかつかとカウンターまで足を運ぶと、レダ硬貨一枚をカウンターの上にそっと置いた。

「主人、ミルクはあるか――」

やや低く重みのあるその声色と、フードの合間から覗く鋭い眼光に、ノイマンは多少引いたが、そこはさすがに酒場の主人を務めて20年以上の玄人だ。ノイマンにも自負がある。努めて冷静に対応した。

「ああ、あるよ。でも、これじゃあ、多すぎる。腹は減ってないかい? スープとパンを付けるが?」


「いいだろう。それも頂くとしよう」

男は即答し、右に首を振り、こう言った。

「ここ、座ってもよいか?」


「え? ええ、ええ、どうぞどうぞ……。お、おたくさん、ここじゃあみない顔だね、どこから来なさったんだ?」

カウンターで飲んで、さっきまでノイマンと話していた中年の男が、やめとけばいいものを、思わず社交辞令的に質問した。


「北から……だ。最近この国で、聖竜の晩餐があったと聞いてな。様子を見に行こうと思っている」


「ああ、エリン村だね……。ひどい有様だったらしいよ。竜との契約ドラゴンズプレッジっていうのか? あれのおかげで確かに戦争は激減した。人々が兵士として戦場に行って殺し合うことは、ほぼなくなったが、代わりに聖竜の晩餐が始まった。どっちがいいのかねぇ、どっちも変わらねぇように俺は思うがねぇ」

そのあたりまでしゃべりかけたとき、ノイマンがミルクとスープとパンを運んできた。

 ノイマンはカウンターに料理を並べながら、中年の男の方へ目線で合図を送る。

『今日はそのぐらいにして、さっさと退散しろ――』


 それを感じた中年の男は、

「あ、ああ、そういやカミさんからの頼まれごとがあったんだった。ノイマン、またくるよ。じゃあな――」

そう言って席を立って、玄関から出ていった。


 フードの男は、出されたミルクに口をつけると、パンとスープへ取り掛かった。


 ノイマンは敢えて、話題を振らずにいたのだが、やがて、男の方が料理を食べ終わり、口を開いた。

「いいミルクだ――。これまでに飲んだ中でも5本の指に入るほどだ、これはどこの生産だ?」


 あまりに意外な質問だったため、ノイマンは一瞬戸惑ったが、

「ああ……、残念だがこのミルクはもうすぐ飲めなくなるよ……。エリン村産だからな――。市場に出回ってる分が最後だ、もうエリンはないのだから」


「――――。それは、惜しいことをしたな。もっと早く知っておけばよかった――。ところで主人――」


「ノイマンでいいよ」


「――ノイマン、エリンまではどのぐらいかかる?」


「南東へ約2日ってとこだな。エリンまでは街道が続いているから、道に迷うことはない。途中、ケリブという中継村があるからそこで一泊するといい。翌朝早く発てば、エリンには夕方までにはつくだろうさ」

そう言ったあと、

「お前さん、エリンに行ったって、もう何もないぞ? 焼け落ちた灰とすすしか残ってねぇって話だ。悲惨なもんだよ……」


「うむ。それはわかっている。まぁ、知的好奇心ってやつだ――。ノイマン、いいミルクをありがとう、これで飲み納めというのは残念だが、飲めてよかったよ」

そう言って席を立ち、去ろうとした背中に向かって、ノイマンが声をかけた。

「帰りによければまた寄ってくれよ。寄り道せずに行って帰ってくれば、消費期限には間に合うから、まだもう一回は飲めるぜ? ウチの氷室は特製なんでな――」


 そう背中から声を受けた男は、右手を挙げて応えながら、店をあとにした。





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