蝿の五月
@warakotani
第1話
私はその女に貸した金を取り返しに行ったのだ。しめて五万円と二千円、びた一文も負けるつもりはない。
待ち合わせの駅に到着し、二つ並べられたベンチの一番はしに座る。待つ間私はひたすら自分の爪の割れかけた薄い破片を引き剥がしていた。
女は約束の時刻に七分遅れてやって来た。黒いハーフパンツに黒のパーカーという姿。無骨というよりどこか少年らしく見えるような格好だった。
「ごめんね扇さん、遅れちゃって。さっきまで家で寝てたんだ。」
さほど申し訳なさそうでもなく女は言った。
「別にいーよ。私も時間通りに来るとは思ってなかったし。むしろ来ただけでもびっくりだよ」
「......」
女は気まずそうに黙った。
「それで、お金持ってきたの?」
私は何でもない事のように訪ねる。
「それがね、扇さん...。たまたま今は色んな物要りが重なってね、月末まではやっぱり無理そうなんだ。ごめん!本当にごめん」
実のことを言うと、私にとってこの答えは全く予想の通りだった。何しろ私がこの女に借銭の返済を催促し始めてからかれこれもう4ヶ月経つのだ。
「.........」
私はわざとらしく沈黙する。一分ほどお互いが何も言わないまま時間が過ぎた。
「あのさあ」
私は口を開いた。
「お金、ない訳じゃないんでしょう? こないだあんたの部屋お邪魔したけど、家具も電化製品も割と高そうな物揃ってたし、実家もお金持ちだって聞いたよ。友達に───あんたが私のこと友達と思ってるかは知らないけど───友達にこういう事言うのあれだけど、余裕あるんだったらちゃんとお金返してよね」
「.........」
女はますます黙るだけだった。私がまた何も言わないでいると、女はポケットから外国の煙草とライターを取り出して火を付けた。
「別に煙草好きじゃないんだけどさ、なんか義務感みたいなのがあって、吸ってないと落ち着かないんだ」
なぜか得意そうに女は言う。
「好きじゃないんならやめたら良いのに。全然似合ってないよ」
私は意地悪に言う。これは嘘だ。彼女が煙草をくわえる様子はなかなか様になっていた。
女は困ったように微笑んで言った。
「そのうち似合うようになるかもしれないよ」
「私は似合わないって言ったんだよ。日本語分かる?アラビア語とかの方が良い?」
「ええー」
「それに来月からまた煙草値上げするよ?またお金なくなるよ?」
「そうなんだ───。じゃあやっぱりやめようかな」
そう言うと女は事もなげに煙草を捨て、スニーカーの裏で踏みつけた。
「はあ......」
私はため息をつく。
「もういい。帰る」
私はベンチから立ち上がり、彼女を振り向く事もなく拗ねた童児のように駅から歩き去っていった。
私はその帰り道、一人で映画館に寄った。つまらない映画だった。主演俳優の顔がこっけいで、自信なさげで、とても哀れだった。私は映画が始まってから三十五分で席を立ち、冷房の効いたシアターを出た。
蝿の五月 @warakotani
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