さよなら負け犬

春雷

第1話

「君の小説は一言で評することができる。退屈だ。つまらない」

「二言じゃないですか」

 ミステリー研究部の部室。僕らは卓袱台に向かい合わせに座りながら、僕の書いた小説について議論を交わしていた。

「どこがつまらないんですか」

「全部だ。最初の一行からつまらない。『僕は世界を変えた』。ガキじゃないんだから、そんな大言壮語を吐くような小説を書くな」

「良いじゃないですか」

「よくない。つまらない。こんな作品が存在するのなら、俺は小説の未来は暗いものだと見るね」

「そんなにひどいですか」

「オリジナリティがない。どの文章も誰かの焼き直しだ。構成もひどいし、文章力もない。台詞も陳腐。トリックも退屈。何だこれは。作品と呼ぶのもおこがましい」

 まあ薄々わかっていたことだ。僕には才能がない。昔からそうだった。何をするにしても最下位を取ってしまう。一生懸命努力しているつもりなのに、負け続ける。負け犬。そう、僕は負け犬だった。

「お前、女に振られたんだって?」

「言い方、もう少し柔らかくできませんか」

「同じことだろう」

「まあ、そうですけど」

「で、振られたのか?」

 僕は頷いた。高校生の頃好きだった子と成人式で再会し、告白したのだ。僕はあっけなく振られた。気持ち悪い、と言われた。

「そりゃ気持ち悪いよ。お前なんかに告白されたら。死にたくなるほどに」

「そんなにですか」

 僕は卓袱台に置かれた原稿用紙に眼を落した。僕の作品も僕の人生も失敗ばかりだ。僕は欠陥が多すぎるのだ。何一つ満足に出来ない。勉強も、趣味も、人間関係も、何もかも失敗ばかり。どうして僕は生きているのだろう。だんだん虚しくなってきた。

「お前はこの作品、面白いと思うか?」

「思います。でも、つまらないと言われてしまうのだから、つまらない作品なのでしょう」

「ならお前が思うつまらない作品を書いてみたらどうだ」

「どういうことですか」

「面白くしようとするから、つまらない作品が生まれる。逆につまらなくしてみたら、案外面白い作品が生まれるかもしれない」

「そんなわけないじゃないですか」

「書いてみろ。一応目を通してやる」

 三日後、僕は原稿用紙15枚を持って部室に行った。部室は畳敷きなので、適当な場所に腰かける。先輩はまだ来ていないようだ。

 僕は自分が書いた小説を読んでみる。タイトルは「夜の海」。もう退屈だ。純文学風の作品で、そもそも純文学というジャンル自体が退屈なので、小説の内容もやはり退屈なものになった。人生に憂いた主人公が夜の海に溶け出して、海と一体になる話だ。意味もわからないし、心理描写も雑だし、展開も意外性がなく、陳腐だ。こんな作品、先輩に貶されて終わりだろう。

 部室のドアが開く。先輩だ。

「どうだ。できたか? 最高につまらない作品」

「書きましたよ。本当につまらないです」

 僕は先輩に原稿を渡した。先輩は腰かけ、卓袱台に両手を置いて原稿を広げながら読んだ。新聞の読み方だ。

「どうですか?」

 僕の声は届いているはずだが、先輩は答えなかった。小説を無言で読み進めていく。

 2分くらい経って、先輩は言った。

「面白い」

「面白い?」

「ああ。面白いよ」

「そんなわけないでしょう。よくわからない小説ですよ」

「俺にはわかる」

「作者の僕が分かっていないのに?」

「評論家は作者以上にその作品のことをわかっているものさ」

 僕には理解できなかった。そういうものだろうか。

「どこが面白いのですか」

「まず文体。こんな文体初めて見た。独特のグルーヴを生んでいる。次に台詞。清新で素敵だ。最後に筋。意外性があるし、テンポが良い。落ちも綺麗だ」

「はあ」

「ちょっとシュールで、ファンタジーな部分が作品の魅力を引き立たせている。素晴らしい小説だよ」

「はあ」

「どうした。嬉しくないのか」

「嬉しくないですよ」

 つまらなくしようとした小説を面白いと言われたのだ。嬉しいわけがない。自分の感性が否定されたような気持になる。お前は世間とずれているのだ。そう宣言されたに等しい。

「これから自分がつまらないと思うことを書いていったら良いんじゃないか」

「いやですよ。小説を書くのが全然楽しくなくなるじゃないですか」

「小説を書くのなんてもともと退屈な作業なんだから良いだろう」

「それは退屈じゃないですよ。好きで書いているんだから」

「漫画とか映画の方が面白いし、楽しいに決まっている」

「それは人それぞれでしょう」

 僕は映画も好きだが、小説の方が好きだった。特にミステリー小説は子どもの頃から好きだった。

「賞を目指そう」

 唐突に、先輩は言った。

「賞?」

「ああ。文学賞。色々あるだろう。芥川賞とか、ノーベル文学賞とか」

「そんなの獲れるわけないじゃないですか」

「わからんぞ。このクオリティの作品なら」

「書きたくないですよ」

「金を出す」

「え?」

「原稿料を出すと言っているんだ。その代わり、賞金や本の売り上げは折半だ」

「本気で言っているんですか」

「もちろん」

 僕は迷った。金に困っているのは確かだ。先日バイトをクビになったから、今月の家賃が払えないのではないかと危惧していたのだ。

「決まりだな」

 僕の返答を待たず、3日後までに15枚書けと言い残し、先輩は去っていった。


 古いアパートの一室に籠り、講義も出ずに小説を書き続けた。つまらない小説だ。幼少期の時、美術館に行ったことがある。そこで見た絵画を僕はもう覚えていないが、とにかく退屈だった記憶はある。美しいとか、凄いとか、そういった感想を僕は持たなかったのだ。ただただ退屈だった。何が良いのか、まったくわからなかった。漫画の方が面白いと思った。どうしてこんなつまらない作品を命を削って描くのだろうと、疑問に感じた。それから中学校、高校と進学した僕は、純文学というジャンルの作品に出合うことになる。それまでミステリーやファンタジーしか読んでこなかった僕には、純文学作品は退屈極まりないものだった。芸術とは、退屈でつまらないものだ。僕はそう結論付けた。

 そんな僕が、今純文学を書いている。そもそも、純文学の定義すら知らない僕が、文学についてほとんど知識のない僕が、純文学小説を書いている。人生はわからないものだ。幼少期の僕に伝えたら、きっと今の僕を軽蔑するだろう。つまらない大人になってしまったな、と。

 一日で15枚書き上げることができた。もっと書こうと思い、僕はさらに20枚書いた。その翌日には50枚。その次の日には100枚書いた。

 ふらつく足で、部室に向かった。先輩はすでに来て、漫画を読んでいた。

「おお。書けたか」

 ええ、と言って僕はリュックから原稿用紙を取り出し、先輩に渡した。

「けっこう書いたな」

 先輩は少し驚いているようだった。


「面白い」

 先輩は断言した。

「どこが、ですか」

「全部だ。まあ、欠点はかなりあるし、粗も目立つが、この作品に込められたエネルギーが、それらの短所を吹き飛ばしている」

「そうですかね」

「お前は面白いと思わないのか?」

「まったく思いません。僕はミステリーが書きたいんです」

「才能ってやつは難しいな。お前の書くミステリーはあんなに陳腐でつまらないのに、純文学を書かせれば、こんなに斬新で美しい作品を書いてくる」

 先輩は原稿を指で弾いた。

「よし。賞に応募しよう。たしか新人賞の募集があったはずだ。今から応募してくる」

「わかりました。好きにしてください」

「もうこの作品に興味ないか?」

「始めからありません」

 先輩は財布から現金を取り出し、卓袱台に置いた。そして、部室を後にした。


 僕の書いた小説は新人賞を受賞した。新聞やニュースでは、若き天才現ると、僕のことを褒めたたえた。文学が新しい時代に突入したと、小説愛好家たちは胸を高鳴らせた。僕の小説はベストセラーになり、印税もかなり入った。もちろん先輩と折半したが、それでもかなりの大金だった。僕は家賃が払えたので、満足だった。

 編集者が僕の部屋を訪ねてきた。新作を書いてくれないか、という依頼だった。

「いやです」

 僕は言った。これ以上この退屈なムーブメントに乗るのはいやだ。しかし、何度もその編集者は僕を説得しに来るし、先輩も早く新作を書けと急かすから、僕は仕方なく新作を書くことにした。新聞では新作準備中と報じられた。


 先輩に言われた通り、自分が書きたくないことを詰め込んだ小説は、大ヒットした。よくわからない賞を受賞し、映画化もされた。その映画は海外の賞を受賞していた。雑誌社からインタビュー依頼が殺到した。僕は適当に受け答えをしただけだが、良いように編集され、若き天才像が作り上げられていった。

 僕は大学を辞め、専業作家となった。作家で食えなくなったら、その時は別の就職口を探そう、といったような軽い気持ちだった。毎月のように新作を発表した。どれも売れたが、僕の心は満たされなかった。ミステリー要素を入れた作品は、とことん酷評された。こんな作品はもう二度と書かないでくれと、編集者にも、ファンにも言われた。僕は悲しかった。もう僕の書きたい作品を、書くことはできないのだ。


 もう何作目だろう。デビューして何年経ったのだろう。僕の作品の人気は衰えなかった。世界中で読まれた。教科書にも載った。でも僕は自分の作品を面白いと思えることができなかった。泣きながら原稿を書いて暮らした。こっそりペンネームを変えてミステリー作品を自費出版したのだが、まったく相手にされなかった。

「よお」

 ある日、先輩が僕の家を訪れた。

「良い家だな。高いだろう?」

「もう金には困っていませんからね」

「そうだろうな」

「でも、僕はこのままで良いのでしょうか」

「良いに決まっている。お前の作品を全世界の人が楽しみにしているんだ」

「でも、僕は楽しみにしていません」

「お前だけだよ、お前の作品が嫌いなのは」

「そうですかね」

 僕と先輩は、テーブルを挟んで向かい合わせにソファーに腰かけ、ワインを飲んだ。

「最新作、面白かったぞ。海外で映画化もされるらしいな」

「らしいですね」

「他人事のようだな」

「実際他人事のように感じていますよ。好きなことをして稼いでいると、世間では言われているようですが、僕の場合は、むしろその逆ですから」

「一度、好きに書いてみたらどうだ」

「自費で自分の好きなように書いた作品を出しました。まったく売れなかった」

「読ませてくれ」

 僕は本棚からその小説を取り出し、先輩に渡した。先輩は空になったワイングラスをテーブルに置き、その小説を読みだした。

「つまらん」

 読み始めてすぐに先輩は言った。

「やはりそうですか」

「どうしてだろうな。本当につまらない」

 僕は先輩からその小説を奪い取り、庭へ持って行った。

「おい、何するんだ」

 後ろからついてきた先輩が言う。

「この小説を焼きます」

「焼く?」

「はい。いつも僕の小説が製本されると、気に食わないので焼いているんです。こんな作品、この世から無くなれば良いのにという期待を込めて。まあ、本当に無くなるわけではないんですけど」

「どうしてそんなことを」

「この世界を恨んでいるんです。僕が面白いと思っていることをまったく相手にしないこの世界のことを。僕がつまらないと思っていることばかり、持て囃される世界。そんな世界に、生きる価値などない」

「おい」

「僕もひとつの作品です。ここで完結させましょう」

僕は自分の服に火をつけた。

先輩は慌てて僕に水をかけて消火した。その後救急車を呼び、どうやら僕は一命をとりとめたらしい。新聞には、天才作家発狂という見出しがついていた。

 病室。退屈な病室で、僕は窓外の景色ばかり眺めていた。

「まだ、終わらせてくれないのか」

 醜く爛れた右腕を見ながら、僕は呟いた。


 その後、僕は新作を発表し続けながら、自分の作品を憎んでいる人を探した。僕と同じ気持ちの人はいないのか。色んな場所へ行った。国内外問わず、僕の作品を憎んでいるか、尋ねて回った。でも誰もが僕の作品を愛していた。僕は暗澹たる気持ちになった。

 僕は今、最新作を執筆中だ。ミステリーである。世界中の人に、くだらないと罵られるような作品に仕上げるつもりだ。僕の面白いと思うことをこれでもかと詰め込む。最高に退屈な作品になるはずだ。僕の小説を読んで、落胆する読者の顔。その顔を見ることが僕の一番の楽しみだ。新聞やワイドショーでさんざん文句を言われることが、僕には心地良い。この狂った世界を僕は変えるのだ。つまらない作品をつまらないと言える世界へ。僕は革命家だ。

 原稿を編集者に渡した。編集者は、いやな顔をして帰っていった。僕は笑いが止まらなかった。そうだ。その顔だ。

 製本されたその最新作を、僕は友人や家族に配った。皆、微妙な表情をしていた。その反応が、嬉しかった。

 僕は本棚をその作品で埋め尽くした。僕だけの楽園を築き上げた。ここに僕の世界のすべてがある。誰もが否定する、誰もが見下す僕だけの世界。僕は家にガソリンを撒き、火をつけた。僕の最新作は、僕自身の死によって完結する。さよなら、読者よ。

 火に包まれ、微かな幸福感を覚えるとともに、僕は自分が面白いと思うことを突き詰めたことを、素直に喜んだ。

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