【008】母代わりの暗殺者


 目の前に油断なく佇む女暗殺者に向けて声をかける。

 なにはともあれ、まずは彼女のことを知らなければならない。


「君、名前は?」

「……エルザでございます、若旦那さま」


 最初の質問に油断なく答え、探るような目つきで俺とアルスを見やる。

 歳はおそらく四百歳ちょっと前くらい、エルフとしては成熟した年齢だ。


 たぶん俺が只者ではないことを既に察しているのだろう。

 彼女の目つきは貴族のボンクラが金に飽かせて自分を買いにきたといった感想のものではなく、既に暗殺者としてのそれになっている。


 きっと、正体が不明すぎて困惑しているに違いない。

 なにせ、この時代の人にしては最高峰であろう、自分の暗殺技術がまったく通らない相手として認識されているのだろうから。


 普段は見ないであろう彼女の鋭い視線に、案内したセバス氏ですら驚愕している。


「そう怖い目でみないでくれ。アルスが怯えてしまうよ」

「……お戯れを」

「ウキャキャ!」


 いや、アルスはまったく怯えてないね。

 うん、知ってた。


 でもちょっと、空気読もうかアルス?

 君、言葉は通じてないけど状況分かってて遊んでるでしょ?


「う、うん。まあそれはいい。話を本題に移すが、俺は君が何者なのか凡そ理解している。その上で聞くけど、購入される気はある?」

「…………」


 問題はここだ。

 能力は文句のつけようもなく合格、これ以上ないくらいの掘り出し物である。


 ただその実力故か、謎の強さをもつ俺への視線は警戒の色が強いし、受け入れてくれるかどうかは五分五分といったところだ。

 幸いこういうタイプは一度受け入れれば裏切ることはないし、強力な味方になりうる。


 アルスも彼女を気に入っているようだし、ここが正念場だな。


「う~ん。そうだな。決断を躊躇してるのをただ待っていても仕方がないから、条件を決めよう。……もし俺に再び忠誠を誓うというのであれば、君を裏切ったやつらにリベンジする機会を与えようじゃないか」


 そう語ると、エルザは目を見開き瞠目する。

 ついでにセバス氏もなぜ俺がこんなことを理解しているのか分からないといった風体で、驚愕の顔を隠せないでいるようだ。


 これぞ、まさに悪魔の囁きだね。


 ちなみに彼女がただの暗殺者ではなく、どこぞの大国に仕える暗部だというのは初見で分かっていた。

 それは高位の暗殺者だからというだけではなく、その心に見え隠れする俺への疑心と、裏切られてなお完全には消えることのない忠誠、そんな状態で俺に買われることへの後ろめたさ、そしてここではないどこかへと向けられた復讐心。


 悪魔だからこそ、その内面が手に取るようにわかる。


「どう? やる気になった」

「…………あなたは、とても恐ろしい方ですね」

「ははは、昔からよく言われるよ」


 なにせ地獄では最恐とまで呼ばれた下級悪魔だ。

 伊達に二千年も修羅のような弱肉強食の世界で生き抜いてはいない。


 そして状況を理解し打つ手なしと判断したのか、はたまた納得をしたのか、彼女は俺とアルスをしっかりとその瞳に収めた。


「……ふう。分かりました、私の負けです。あなたと、あなたの子に新たな忠誠を捧げましょう」

「よしっ! 決まりだ! セバス氏、奴隷購入の手続きを頼む」

「はっ、はいっ、しょ、少々お待ちをお客様!」



 ようやく意を決してくれたらしいエルザの態度が予想外だったのか、動揺したセバス氏が大急ぎで準備を進める。


 いやはや、予想以上の掘り出し物をみつけられて父ちゃん大満足だぞアルス。

 彼女なら問題なくお前の世話を焼いてくれることだろう。


「これでアルスのおしめを替えるのも、何が原因かもよく分からない唐突な夜泣きにも、問題なく対応できる! 本当にどうしたらいいんだと思っていたところなんだよ。ありがとう、ありがとうエルザっ! アルスの世話は君に任せたぞ!」

「ああ、分かりますよお客様。わたくしも倅が小さい時は、嫁にやらされていたので……。やはり有能な女手というのは必要ですよね。わかります……」


 もはや俺が貴族のバカ息子どころか、只者ではないだろうと察しているセバス氏から同情の言葉が投げかけられる。


 おお、分かってくれるか同士よ。

 そう、同士だ。

 この苦労を同じく分かち合えるあなたとは良い酒が飲めそうである。


 すると、そんなコントのような男共の戯れを見ていたエルザが呆けた顔で口を開ける。

 知的なクールビューティーのアホ面である。


「おや、これは珍しい顔が見れた」

「あなたが恐ろしい人間なのか、ただのバカなのか、このエルザ、分からなくなってまいりました」

「いや、いきなり手厳しいね君。奴隷の身分でありながら、このノリにいきなり適応する君も大概だと思うよ」


 まあ、アルスがキャッキャと笑っているから良しとしよう。

 この調子なら俺たちとの相性も悪くはなさそうだしね。


 それからはセバス氏による迅速な手続きで購入は完了し、奴隷商館を出て東大陸の拠点へと戻ることになった。

 一応各大陸に拠点はあるのだが、まだ子育てをはじめて一週間なので、準備が整っている場所がそこにしかないのだ。


 当然転移で帰還する時のエルザの反応はまた見物で、最初の頃のように大口をあけるような失態はやらかさなかったものの、内心で動揺しているのは手に取るように分かった。

 そのことを告げたら冷やかな視線を向けられたけどね。


 ただし赤子であるアルスには常に配慮しているらしく、「アルス坊ちゃまの世話は私に一任ください。この調子ではカキュー様はクソの役にも立ちませんので」とまで言う始末である。

 ま、まあ、俺も赤子を育てる一般常識が欠如していたことは認めてるから、いいんだけどね。


 ただちょっと君、辛辣すぎない?


 だが、この調子なら任期の二年を超えてもなお、アルスに尽くしてくれそうな感じだ。

 本当にいい買い物をした。


 だからこそいずれエルザとの約束を果たすためにも、その機会を与える準備をしておかなければならないだろう。


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