第26話 女神様 感服する

「では場所を移して、先ずは茶を頂きましょうか」

 ダイコクさんが皆を促した。


 美しい桜を愛でながら春の訪れを皆で喜び合う。花見とは実に素晴らしい催しだ。ギリシャの民も自然を愛しているが、楽しみ方という点においては日本人の方が一枚上手かもしれない。


「ささ、あちらです。皆どうぞ」

 エビスさんが案内する方向には大きな傘が何本も立っていた。その周りには赤い布を掛けたベンチが並べてある。皆は思い思いの場所に腰掛けてゆく。私は図々しく天照大神の隣に陣取った。


 同行した巫女が茶を運んで来る。そして淡いピンク色をした茶菓子も用意してくれていた。

「ベスちゃん、これが抹茶です。色々と作法もあるのですが、今日は花見の席ですので気にせず召し上がって」

 作法があるのか。機会があれば調べてみよう。


 天照大神に倣って器を手に取る。ローマのカフェで見かけたカフェオレボウルに似た器だ。両手で包み込むように持って暫し眺める。濃く鮮やかな緑。その表面は細かく泡立っていた。器を口元に近づけると一層香りが広がる。新緑のような心地よい香りだ。


 一口飲んでみる。まず感じるのは泡の滑らかさ。クリーミーと表現して差し支えないほどだ。そして鼻を抜ける清々しい香りと程よい苦み。だがその奥にごく僅かだが甘みも感じる。間違いなくこれまでに経験の無い味だった。


 続けてもう一口飲んだところで、茶菓子が気になる。

「天照大神様。こちらのお菓子は何と言うものですか」

「こちらは桜餅です。右が関東で好まれる長命寺。左が関西で好まれる道明寺です。違いは桜色の皮と呼ばれる部分の材料で、長命寺が小麦粉を道明寺がもち米を蒸して粉にした道明寺粉を用いています」


「へえ、同じ桜餅でも東西で随分違うんですね」

「日本は国土そのものは広くありませんが、縦に長く気候などが違います。それと文化発展の歴史の違いも相まって、東西で食文化だけでなく風俗や民の気質なども異なります。今後の食べ歩きでは、その違いに着目するのも良いかも知れませんね」

「そうなんですね。これは良い話を聞きました」

 一国内で気候や発展の歴史の違いが食文化にも影響を及ぼすとは意想外だった。新たな発見に気持ちが昂る。次は味覚による発見だとばかりに桜餅の皿を手に取った。

 

 右の長命寺に狙いを定める。こちらは皮が小麦だ。だがどのように食べればよいか分からない。キョロキョロと周囲の様子を探る。それに気付いた天照大神が笑みを浮かべながら教えてくれた。

「ベスちゃん、桜餅はまず葉を捲り、こちらの黒文字を使って頂くと良いですよ」


 添えられた木の棒は飾りではなくカトラリーの一種であった。危うくおにぎりのように手で頂くところだったと安堵すると、エビスさんが手で食べてのが目に映る。

「エビスさんは手で食べてますが、あれは良いのでしょうか?」

「桜餅は手で食べても大丈夫ですが、お茶会やお店では止めておく方が良いですね」

 エビスさんの隣に座っていれば確実に真似していたなと苦笑した。


 仕切り直して一口頂く。中身の上品な甘さが素晴らしい。何かのペーストを甘く味付けしているようだが正体が分からない。口当たりの滑らかさは特筆ものだ。

 皮は小麦で出来ていると聞いたがパンケーキともクレープとも違う。もっちりした食感の素朴な味だ。それが中の味を邪魔せず優しく寄り添っているのが素晴らしい。何故か僅かに塩味も感じた。


「天照大神様。この中の黒いのは何から作られているのですか?」

「これは餡と言って小豆という豆から作られています。熟練の職人がじっくり手間暇かけて作るもので、この餡の良し悪しや好みで店を選ぶ程重要視されています。今召し上がった餡は漉し餡と言って一旦作った餡を潰して漉したものです。道明寺には漉していない粒餡を用いていますね。粒餡の方が豆の感覚が味わえると思いますよ」

 菓子一つにも様々な工夫が凝らされている。和菓子の世界も奥が深そうだ。


 長命寺を堪能し、茶を一口頂いたところで、もう一つの道明寺を頂く。こちらはもち米を粉にしたもの。そして餡は粒餡。その違いや如何に。

「うわっ」 

 初めての食感に声が漏れる。ねっとりもちもち、楽しい食感だ。

 そして粒餡は確かに豆を感じる。甘さは変わらないが豆の風味を強く感じた。同じ餡でも受ける印象がまるで違う。どちらも捨てがたい美味しさだ。

 それとやはり僅かに塩味を感じた。間違いなく表面の皮からだ。甘いお菓子に敢えて塩味を加えている。どんな意味があるのだろうか。


「度々すみません。両方の桜餅とも皮から僅かに塩味を感じたのですが、これにはどんな意味があるのですか?」

「あら、聞いてはいたけど本当に鋭い味覚ですわね。実は、皮自体に塩味を付けておりません。では何故塩味がするのか――ベスちゃん、葉を少しだけ齧って下さい」

 葉っぱ? これは飾りでは無いのか。不安ではあったが少し口に含んだ。


「あ、しょっぱい」

「ふふっ。これは桜の葉の塩漬けです。飾りや表面の乾燥を防ぐものと思われがちですが、ちゃんと食べられるし案外好きな人も多いのですよ。この塩味が皮に移っているのです」

 天照大神は私の百面相に笑みを浮かべている。 

「でも移って良いのかと思いますよね。これは僅かに塩味を加えて甘みを際立たせる技なのです。砂糖を入れすぎると甘さがしつこく感じますが、この技法ですっきりとした味わいのまま甘みを引き立てています。職人の知恵は凄いですね」


 僅かな塩味で甘味を引き立たせる。それによりすっきりとした甘さに仕上げる。その発想力と技術力はどこから来るのだろう。ここにも日本人の食に対する飽くなき探求心が垣間見える。その情熱には感服するより他なかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る