第35話 交差点から始まる…
巨大な交差点の信号が青に変わると、横断歩道を渡る人の波が押し寄せてきた。無数の人々はお互いに存在などしていないかのようにすれ違い、足早に道路をわたり、次々と歩道になだれ込んでいった。
そんな中、ただひとりが人波に乗れずに押し出され、ぶつかり、また押し出されを繰り返していた。
「気をつけろ!」
イライラした通行人から怒声が飛んだが、当の本人は焦るばかりでなにも耳には入っていないようだった。
「いったいどうすれば、こんな混雑で人にぶつからずに歩けるの…?」
ようやく道路の反対側にたどり着いたその人物は疲れきり、電柱にしがみついてハアハアと息をしながら体を休めた。
「なあに、あの人。アニメかなんかのコスプレ?」
「街中でよくやるよなあ。外国の人っぽいね。でも、けっこう可愛いかも。」
ペアで歩いていた者同士がクスクス笑いながらすぐそばを通りすぎていった。
疲れているその人物は空を見上げてまたひとりつぶやいた。
「どれもこれもすごく高い家…。いったい誰が住んでるの? 貴族か王様かなあ。 だとするとヨウさんも…。」
まわりには天をつくようなガラス張りのビルが建ちならび、陽光を反射してキラキラと光っていた。その壁面には色とりどりの映像が際限なく流されていた。
「壁の中で人が動いてる…。あれはどんなしくみなの?」
立ち並ぶ超高層ビルを眺めて嘆息していたその人物は、ビルの壁面に映し出された映像に釘付けになった。
「ヨウさん! ヨウさんだ!」
映像は、美しい衣裳のヨウが歌い踊っている姿だった。
背景には、
『淡島洋、今夜待望のライブ開催! 独占配信予定!』
と書かれていたがマリーンには読めなかった。そう、映像に夢中になっている人物はマリーンであった。
マリーンは、歩道からビルの壁面に向かって体全身で手を振った。
「ヨウさん! あたしよ、あたし! なあに、そっちからは見えないの? 無視しないで!」
「なんだあいつ?」
「なにかの宣伝?」
歩行者がマリーンを避けて通る流れができ、ついには警察官がマリーンに声をかけた。
「すみません、何をされているのですか?」
「あの人! ヨウさん、あたしの知り合いなの! 会わせて!」
警察官は映像を見上げて笑みを浮かべた。
「淡島洋さん、いいですよねえ。本官も大ファンですよ。ライブ、行きたかったなあ。ところで、あなた身分証を持ってます? 名前と年齢は?」
「あたしはマリーン。いきなり歳を聞くなんて失礼ね!」
「…あのう、その腰の刀はつくりものですか? 見せてください。」
「なんで? あたしは自警団員で、あなたもおそらくこの世界の自警団でしょ?」
「…交番まで来て頂けます?」
「コウバンってなあに?」
警察官はため息をつくと、無線機に手を伸ばした。
「こちら移動。ちょっとややこしいのが武器らしきものを所持し任意同行を拒否。応援願う。」
『了解。』
何事かとマリーンと警察官のまわりに人だかりができ始めた。かけつけて増えた警察官と口論となり、ついにはマリーンは警官たちと大立ち回りをし始めた。群衆から悲鳴と歓声があがり、多くの者が手にしていたスマホで動画をとり始めた。
「下がって! 撮らないでください!」
「応援を! 機動隊の応援を要請!」
機動隊員に数人がかりで取り押さえられたマリーンの動画が、SNS上に急速に拡散され始めた。
「ねえ、私とお話ししない?」
「もう何人にも同じことばっかり話したよ!」
狭い部屋で机に突っ伏していたマリーンは顔をあげた。目の前には、スーツを着た若いポニーテールの人物が立っていた。
「私は香箱って言います。これでも刑事なんだよ。よろしくね。」
香箱刑事がにこやかに手を差しだすと、マリーンはためらいながらその手に触れた。
向かい合わせに座った香箱刑事は真剣な表情に変わった。
「君の持っていた刀ね、調べたら刃つきの本物だったんだ。しかも血液反応がでてさ、銃刀法違反の上に、余罪も追及しなきゃならないの。ねえ、話してくれないと私は君を助けられないんだけど、わかってくれる?」
マリーンはポカンと香箱の顔を見て、椅子にもたれかかった。
「あたしがチグレさんに言ったことと同じだ…。」
「誰? ちぐれさんって?」
香箱は鉛筆を手でクルクルと回しながら首を傾けてマリーンを見た。マリーンは、香箱の大きくて澄んだ瞳に誠実さを感じた。
(この人なら…信じてくれるかも…。)
「う~ん。」
香箱刑事は険しい表示で椅子にもたれかかり、天井を仰いだ。
「ぜんぶ話したら助けてくれるって言ったよね?」
「あ、あははは。」
香箱は笑いながら頭をかき、腕組みをして考えこんでしまった。
「はやくヨウさんに会わせて。ヨウさんなら何とかしてくれるかもしれないの。」
「ねえ、君が異世界だっけ? そこから来たって証拠はある? あと、あの淡島洋さんと知り合いっていう証拠は?」
マリーンは少し考えて、水晶球とネックレスを取り出した。
「見て! ネックレスに反応して、球の中に矢印がでるの。」
「ふうん。よくできたオモチャね。」
マリーンは立ち上がると机をバンバン叩き始めた。
「じゃ、このネックレスをヨウさんに渡して! マリーンが会いたいって伝えて! じゃなきゃ、もうこれ以上なんにも話さないし、また暴れるよ!」
「あはは。まあまあ、落ち着いて。」
香箱はネックレスをポケットにしまいこみ、目頭を押さえて考え込んだ。
「確か、淡島洋さんのライブが今夜なんだよね。で、首相が観覧するって事になっていて、都内はピリピリしてんの。だから君も捕まったんだけどね。」
「ヨウさんが!? 『らいぶ』って…?」
「本官の先輩がそのライブの警備主任なんだ。連絡してあげる。そのかわり、もしもウソだったら刑務所送りだから。いい?」
マリーンは深くうなずいた。
控室でぼうっとスマホをながめていたヨウは、いきなり立ち上がると外に出ようとした。マネージャーが慌ててヨウを押しとどめた。
「どこへ行くんですか!? 本番目前ですよ!?」
「マリーンさんが! マリーンさんがいるんだ! 会いに行かないと!」
ヨウが小柄なマネージャーと取っ組み合いをしていると、スタッフのひとりが遠慮がちに声をかけた。
「あのう、警察の方が淡島さんに話を聞きたいと来ているらしいのですが…。」
「どうせサインねだりだろう! 今はそれどころじゃ…。」
「いえ…マリーンという方の件だそうですが。」
スタッフの言葉を聞くや否や、ヨウはマネージャーの手をふりほどき、部屋から文字通り飛び出していった。
「あニャ~! た、大変ニャ、大変ニャ!」
「だからお前はいつも…。」
「消えたニャ! 海の変なの、ぜんぶ消えたニャ!」
「なんだって!?」
トマリカノートの港の前に広がる海は平時を取り戻し、何事もなかったかのように静かに波うつばかりだった。
海を埋め尽くしていた艦影は跡形もなく消え去っていて、自警団員たちの中には、自分たちは幻影を見ていたのかと困惑する者もいた。
ミサキは港に立ち尽くしていた。
「マリーン、君がやってくれたのか…? ヨウさんと共に…?」
そのあとしばらく、マリーンの行方はわからなかった。
香箱刑事がそのドアを開けると、流れ込んだ風が埃を舞いあげた。スイッチを探りあてた香箱が部屋の照明を灯すと、得体のしれない機械や装置が床を埋め尽くしていた。
「あのふたり、行っちゃったのか…。」
香箱はヨウともマリーンとも、もっと話したかったと後悔した。
(でも、またいつか会えるかも。)
香箱の手には新聞が握られていた。記事の殆どはここ最近の大騒動、香箱がマリーンを取り調べた日に始まった一連の大事件の事ばかりだった。
(まさかあの話、本当だったなんてなあ。)
香箱は部屋の中央にある一番大きな装置の前に立った。
(これを使えば私も異世界とやらに行けるのかな?)
香箱の目の前で、再会したマリーンとヨウはかたく抱き合い、お互いを熱く見つめ合っていた。香箱は装置のボタンに手をやった。
(いいなあ…。思わず私までうっとりしちゃった。私にもいつか、あんな出会いがあるのかなあ…。)
あの後は本当に大変だった。
淡島洋が突如、多数の動画や写真をネットに公開し、自分は映画撮影での事故の後、異世界に行っていたと公言したのだ。続け様に異世界の人物との交際宣言、そしてライブ中にいきなり首相への直訴…。
これで日本列島は全国がこの話題一色に染まった。捏造との声は、複数の画像解析専門家がヨウの動画像を本物と鑑定してからは消えた。
パフォーマンス好きで支持率向上の手段を探していた首相はこの波に乗り、突如起こった世界的な災厄は自然災害ではなかったことと、密かに異世界へ転移する方法を発明していた事、そして異世界への反撃という世界的な秘密作戦が実行中である事を国民に暴露し、反撃に反対していた欧州や中東の国々をまとめあげて国連で演説をぶった。
渋々、某超大国の首脳らは異世界反撃作戦を中止し、再度話し合うことが決定していた。
(マリーンさん、ヨウさん、お幸せに…。)
香箱刑事はためらいながら、思い切って装置のボタンを押してみたが、何も起こらなかった。
(動くわけないか…。ん?)
突如、装置がガタガタと振動し始めて全体が激しく白く輝き出した。
(あ…。これって…。)
光が香箱刑事を包み込み、そして光がおさまると…香箱刑事も消えていた。
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