第30話 チグレの述懐


「マリーンおねえちゃん!」


 ニータはマリーンの姿を孤児院の正門に見つけると、全速力で庭を駆け抜けてとびついた。


「マリーンおねえちゃんが来てくれた!」


 ニータは短髪の日焼けした顔を満面の笑みにして、いつまでもマリーンにしがみついていた。小さくて細いのに、マリーンに抱きつく時だけはすごい力だった。


「あはは。ニータ、痛いってば。」


「そうだぞ、マリーンの制服がシワになっちまうだろ。」


 隣にいたジーンに言われて、ニータは地面に飛びおりるとマリーンの姿をよく観察した。


「あ! それって…ひょっとして自警団の制服!? すごーい! マリーンおねえちゃん、かっこいい!」


「入団テストに一発合格さ。俺のもほめてくれよ。」


 ジーンはクルリとまわって見せたが、ニータは反応うすだった。


「マリーンおねえちゃんのほうが素敵!」


 ニータはマリーンと手をつなぎ、孤児院の中に入っていった。ジーンはその後姿を微妙な表情で見ていた。




 マリーンがプリンを作っていると、ジーンがつまみ食いをしようとした。


「あ、コラ! ダメだよ、子供たちのなんだから。」


「ちぇ、ケチ。」


 ジーンはためらっていたが、マリーンに遠慮がちに声をかけた。


「あ、あのさ。マリーン。ニータのことなんだけどさ。」


「なあに? ニータちゃんがどうかしたの?」


「ちょっとさ…お前になつきすぎって言うかさ。だってホラ、これから俺たちも忙しくなるし、あまり顔を出せなくなるし、いずれはここから巣立っていくわけだしさ。」


 マリーンは泡立て器の手を止めると、ジーンに突きつけた。


「やだ、何の心配? まだ子どもじゃない。」


「…ニータはお前が見つけて連れてきたんだったよな。」


「そうよ。ヨゲンジスの川原で裸同然で泣いてたの。親兄弟もいなくて…。あたし、あの子には最高の里親を見つけてあげるんだ!」


 お菓子のかおりを嗅ぎつけて、子どもたちがキッチンになだれ込んできた。ニータが早速マリーンの足にしがみついた。


「ニータ、マリーンおねえちゃんの作るお菓子、だーいすき!」


「ふふ、ありがとう。」


「ニータ、大きくなったらマリーンとけっこんするの! で、毎日プリンを食べるの。」


 マリーンは笑いながらしゃがみ、ニータの頭をやさしくなでた。


「そうね。楽しみにしてるね。」


「おいおい、子どもだからって…。」


「子どもじゃないもん! マリーンおねえちゃんはニータを助けてくれたの。だから、いつかニータはマリーンを助けるの!」




 忙しさのあまり忘れていた記憶がマリーンの脳裏にいっきによみがえってきた。マリーンは記憶をたどり、思い出しながら言った。


「自警団で最初のあたしの仕事が…空き巣事件だった。すぐに犯人を捕まえて、盗品もとりもどして。そしたらその家の若いご夫婦が子供ができずに悩んでいて…。ニータに会わせたら一目で気に入られて…。」


 マリーンは記憶の奔流に追いつこうと必死で流れにしがみついた。


「ご夫妻は商売がうまくいっていてお金持ちで優しくて…この上ない条件だったのに、ニータは引き取られる日に泣き叫んで、柱にしがみついて離れなかった。馬車の窓からいつまでもいつまでも泣きながらこちらを見ていた…。」


 マリーンは涙でぐしゃぐしゃになったチグレ…ニータの顔にそっと手を添えた。


「気づかなくて本当にごめんなさい…。ニータ、あたしのしたことは間違っていたの? あたしの自己満足だったの?」


 ニータは首をふり、マリーンの手に自ら手を重ねた。


「ううん。幸せだったし、たくさん愛された。でも、両親が事故死して…それから跡を継いだ私は必死で事業を大きくしたんだ。そして、いつの頃からか若き非情のボスとまで言われるようになった。」


「あなたが継いだのは、今の戦争商会の前身だったのね…。」


「そう、ポートランド武器商会。里親の死は商売敵に仕組まれた事故死だったんだ。私は商売敵を一掃した…。」


 マリーンはポロポロと涙を流してニータに頭を下げた。


「ごめんなさい。あたしのせいだ。あたしがあなたを無理やり里子に出したから…。」


「そうじゃない。たしかにあの時の私は、ただただマリーンさんに会えなくなるのが寂しくて切なくて…でも、選んだのは自分だった。いつかマリーンさんとの再会を誓って…。」


 ニータはマリーンの手を握る力を強くした。


「そして、私は力を得て戻ってきた。マリーンさん、あなたを苦痛に縛りつけるこのトマリカノートという呪われた街を地上から消し去って、マリーンさんを自由にするために。」


「そこは違うわ。なぜ呪われた街なの? あなたもあたしも街の人々に助けられてここまできたんじゃない。」


「ちがう! 街は孤児の私を蔑むだけで、なにも助けてくれなかった。飢えと泥にまみれた私を救ってくれたのはマリーンさん、あなただけだった。」


「そんな…。」


 マリーンは悲しみに満ちた目になり、ニータの手をそっと離した。


「ニータ、そこはあたしは絶対にゆずれないわ。あたしはこの街が好き。完璧ではないかもしれないけど、それでも懸命に生きてる街の人たちが好き。だから、あたしは自警団員として命にかえてもこの街を守る。それがあたしの街への恩返しなの。」


 ニータは絶望的な表情でマリーンの放つ言葉を受けとめていた。


「ニータ、教えて。あなたに異世界の兵器を提供しているのは誰なの? あなたをそそのかして、新帝国に提案をさせたのはいったい誰なの?」


「それは…。」


 うつむいたニータをマリーンは問い詰めた。


「あなたにこんなことができるはずがないよ、あの可愛くて素直でいい子だったニータに。ねえ、『先生』っていったい誰なの?」


「それは…。」


 ニータはベッドに倒れこんでしまった。


「私にもわからないんだ。」




 孤児院の一室で、マリーンたちは無言でテーブルを囲んで座っていた。


「まさかチグレがあのニータだったなんてな。」


「あたしもまだ信じられないの。」


「チグレの正体に気づいたハンタさんを消したのはおそらく…だよなあ。」


 コナがコップの水を飲みながら、ため息ばかりをつくふたりを交互に見た。


「問題の本質はそこではありません。チグレ…ニータさんもまた誰かに操られていたという事です。一刻も早く『先生』とやらを探しだして逮捕しなければなりません。」


「確かにな。ニータが証言するはずもないし、マルンさんが証言しても信じてもらえるか微妙だな。フロインドラが納得する証拠がいるぜ。」


「でも、どうやって探すの? ニータも『先生』とは手紙や交信しかしたことなくて、取引はいつも遠隔だったんだって。会ったこともないんだよ。」


 マリーンはまたため息をついた。


「ヨウさんも、どこに行っちゃったんだろ。」


 コナは目を閉じて一心不乱に考えていたが、急に立ち上がった。


「私に考えがあります。行きましょう。」


「い、行くってどこだよ。」


「自警団第33支部。私たちの支部です。」



 

 見た目には、自警団第33支部の建物は変わりがないように見えた。


「至る所に魔法警報がはられていますね。」


 向かいの建物のかげからコナが金色の目を光らせながら言うと、ジーンが腕組みをした。


「中は魔女がウヨウヨだろ。どうすんだよ。」


「多少強引ですが、手はあります。」


「やっぱりあたしは反対よ、コナ。」


 ジーンとコナの後ろには、マリーンにおんぶをされたチグレと、心配そうについてきているマルンがいた。


「いえ…マリーンさん。やらせてください。」


 チグレはマリーンの背中からおりると、頭の包帯をとった。そして、マルンに肩組みをされて支部に近づいていった。



「すみません! ケガ人なんです!」


 自警団第33支部の窓口でチグレを連れたマルンが叫ぶと、暇そうにして座っていた魔女が椅子から跳び上がった。


「え…今はここの医師は不在なのですが…。どうしよう。」


 かなり若く、見習いっぽい窓口の魔女はうろたえた。マルンは矢継ぎ早に受付に迫った。


「医務室を貸してください! わたし、治療の心得があります!」


 見習い魔女はホッと安心した様子を見せて、ふたりを医務室に案内した。


「じゃ、あとはお任せします。」


 見習い魔女はあくびをしながら去り、マルンとチグレは内側からドアに鍵をかけた。マルンは交信用水晶球をとりだした。


「マリーンさま、入りました。」


『大丈夫だった? ごめんなさい、危険なことをさせて。』


「それより早く指示を!」


 チグレが横から割って入り、コナが応答を代わった。


『何か変わったもの、おふたりが見たこともない物が部屋にありませんか? あと、書類を探してください。不動産の取引書類、契約書です。』


 

「コナ、あなたはいったい何に気づいたの?」


 マリーンがコナに不思議そうに首を傾けると、コナは考えながら淡々と答えた。


「おそらく…私の考えが正しければ…ナダ医師は異世界からの来訪者。そして、異世界のどろーんという兵器を提供していた『先生』とは…ナダ医師です。」

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