第28話 クロネの屈辱


 ティーポットの破片と熱い紅茶が飛び散り、湯気が天井に立ち昇った。チグレは頭部から出血しながらもクロネにつかみかかっていたが、フラフラと倒れてしまった。


「マリーンさん…マリーンさんだけは…。」


 動かなくなったチグレを、クロネは気味悪そうに見おろした。


「船医を呼べ! ここで死なれてはたまらないからな。」


 クロネは髪を気にしながらソファに座り直した。


「今後はドラン君、お前が戦争商会の代表として窓口になれ。」


 ドランは手についたポットの破片を払うと、ニヤリとして無言で頷いた。


 腰を浮かせかけていたコナは、手で口を押さえながら扉に向かった。


「すみません、気分が悪いので夜風にあたってきます。」


「ああ。すぐもどれよ。」



 部屋から出たコナが廊下に出て階段をあがり甲板に出た途端、強烈な斬撃がコナを襲った。身を翻してかわし、身構えたコナの目に映ったのは見慣れた仲間たちだった。


「コナ!?」


「支部長! ジーン!」


 コナは思わずふたりにかけより、抱きつこうとしてふと立ち止まった。


「なんですか、ふたりともその恥ずかしい格好は。しかもびしょぬれじゃないですか。」


 マリーンとジーンは顔を見合わせて、すこしムッとした表情になった。

 ふたりは濃紺のワンピースの水着姿で、武器だけを携行していた。


「だって、時期ずれでこれしか売ってなかったんだもん。あたしだってもっとオシャレなのがよかったのに。」


「助けに来てやったのにいきなりダメだしか?」


「いえ、感謝はしています。ですがせめてサイズくらい…。」


 まだ文句を言い続けそうなコナに、マリーンはいきなり強く抱きついた。


「し、支部長!?」


「コナ! 無事でよかった! 本当に心配したんだから。もしもあなたに何かあったら、あたしは…あたしは…。」


 コナはたじろいで、真っ赤になり固まってしまった。ジーンも近寄り、マリーンごとコナを抱きしめた。


「支部長…ジーン…すみませんでした。」


「無事ならいいぜ! それよか、中はどうなってんだ?」


 コナはぼうっとした顔から仕事の顔に戻り、早口に会合の顛末を説明した。マリーンも、自警団の苦境をコナに説明した。



「なんだって!? チグレが!?」


「なんでマルンさんが!? しかも新帝国の幹部がここにいるの!?」


「落ち着いてください。とにかく、いっしょに部屋に戻りますから話をあわせてください。」


 ジーンが剣を突きあげて興奮しはじめた。


「なんでだよ!? 全員拘束すりゃ話は早いだろ?」


「ダメなんです、それでは。どろーんとかいう異世界の兵器の出所をつきとめないと。全員をつかまえるのはそれからです。」


 コナとジーンは指示を仰ぐようにマリーンを見た。マリーンは気圧されてすこし後ずさった。


「あ、あたしが決めるの? ど、どうしよう、あたし、大手柄たてちゃうかも。そうすればミサキ団長は…。」


「その妄想はあとだ! いくぜ!」


 焦れたジーンはマリーンとコナを押しながら船内に突入した。




 クロネは紅茶が飲めなくなり不機嫌だった。その上、高価なソファを水濡れで台無しにされて更に不機嫌になった。

 だが、水着姿の主を見て気が変わったようだった。


「想像していた人物像とかけ離れているのだが…。君が本当にマリーン・イアーハート支部長なのか?」


 マリーンはクロネの視線を必死で手で隠した。


「はい。あまり見ないでください…。」


 マリーンはクロネを逮捕したくてうずうずしていたが、はやる気持ちを抑えつけた。


 部屋からはチグレとマルン、ドランの姿は消えていた。クロネはジーンには見向きもせずにまだマリーンを見ていたが、本題を切り出した。


「単刀直入に言おう。いくらほしい?」


「は?」


 マリーンは間の抜けた返事をしたが、コナが脇からつっついた。


「あ、じゃ、一生遊んで暮らせるくらいの金額で…。」


「よかろう。他に条件はあるか?」


「…戦争商会長とマルンさんは引き渡してほしい。」


「いいだろう。そっちで始末してくれ。」


 クロネは立ち上がり、棚からワインボトルとグラスを取り出した。


「じゃ、交渉成立だな。マリーン、私の隣に座れ。」


 マリーンはあたふたしてジーンとコナの顔色をうかがった。ジーンは怒りに震えている様子だったが、コナは申し訳なさそうにうなずいた。

 マリーンが渋々クロネの隣に座ると、クロネは赤ワインで満たされたグラスをマリーンに押しつけた。


「コナより君のほうが物わかりが良さそうだな。どうだ、マリーン。このあと私の部屋に来ないか。」


「あ、あははは、ええっ!?」


 コナは立ちあがろうとしたジーンの手を抑えつけて、マリーンに目で合図をした。


「あ、あのね。あたしももう、仲間だから教えてほしいんだけど。作戦のこととか、兵器のこととか。」


 クロネはワインをあおるとマリーンの肩に手をまわした。



「王国と新帝国の戦いの歴史は知っているか?」


「はい?」


 話題がとんでマリーンは戸惑ったが、クロネは酔いに身を任せたのか上気して話し出した。


「もう何年も、憎き王国と我が新帝国の戦いは続いているが、強大なはずの我が帝国はいまだに王国を滅ぼせていない。なぜかわかるか?」


 何か言いかけたマリーンの唇をクロネは人差し指で押さえた。


「むぐ。」


「そう、大商都トマリカノートがあるからだ! 商都からの莫大な税収で王国は武器も兵員もそろえ放題だ。忌々しい消耗戦だよ。トマリカノートのせいで王国は持ち堪えているのだ。」


「そ、それで?」


 クロネはまたワイングラスにワインを満たして手にとった。


「君も飲まないか? …私はもう何年もトマリカノート攻略の検討をしたがどうやっても無理だった。トマリカノートは強力な魔法結界で防御されている。いくら魔法や攻城兵器で外から攻撃してもびくともしないのだ。」


「なるほど…。」


 マリーンはフロインドラの自信たっぷりな顔を思い出してしまい、首をふった。


「そんな時だ。大商都の戦争商会から秘密裏に提案を受けたのだ。街の内側で結界点を破壊できる兵器があるから買わないかと。結界点の位置情報も売ると言ってきたのだ。」


「な、なんですって!?」


 クロネはまたワインを飲み干して更に上機嫌になった。


「なあ、部屋でいっしょに飲まないか。 …私はその話にとびついた。大商都を破壊できれば、王国への痛恨の痛手となり、私は大出世間違いなしだ。」


「そ、その兵器って…。」


「どろーんとか言うものだ。私は武器の専門家だが、あのような精巧で便利なものは見たことがない。」


 クロネはマリーンにさらに密着すると、肩に顔をのせた。


「私は少数の精鋭部隊を大商都に潜入させて、戦争商会と取引をさせた。そうして入手したどろーんで結界点をひとつずつ破壊していったのだ。あと数ヶ所破壊すれば、大商都の結界は崩壊する。」


「その…どろーんって、戦争商会はどこから手に入れてるの?」


 クロネはマリーンの太ももに手を置き、肩を荒っぽく抱き寄せた。


「知らんな。だが、奴らは入手先をいつもこう呼んでいた。『先生』とな。」


「先生…。」


 マリーンはクロネの手をとり、ニッコリと微笑みかけた。


「知っていることはそれだけ?」


「ああ。さあ、マリーン。はやく私の部屋に…。」


「いつまでもひとの体を触ってんじゃないの!!」


 マリーンは立ち上がり、ワインボトルをつかみとると思いきりクロネの頭に振り下ろした。

 血なのか赤ワインなのかわからないものを流しながら、クロネはパッタリと床に崩れ落ちた。



「あー気持ちわるかった!」


「支部長、大丈夫でしたか?」


「お前が殴らなきゃ俺がやってたぜ。マリーン、やったな。」


 ふたりがマリーンにかけより労ったが、マリーンはベソをかきだした。


「コナ、よく平気だったね。あたし、あちこち触られて汚されたかも…。」


 落ち込んで床にへたり込んだマリーンの頭をコナが撫でた。


「支部長…つらい役をさせてしまいました。でも、人間どうしのそういう行いを観察できて、私は少し楽しかったです。」


「あなたねえ…。」


「とにかく! 早くこいつを連行しようぜ。そうすりゃ自警団への疑いも晴れるってもんだ。」



(カチリ)


 何かの機械音がして、マリーンたちは一斉にクロネの方を見た。クロネは、倒れたまま壁の一部に触れていた。


「そうはいかない。既に我が前衛部隊は街中に潜伏している。私がいなくても作戦は継続する。」


 コナは鼻腔に何かを感じとり、慌て出した。


「煙…? …火が! 火の手がどこかであがっています!」


「なんですって!? は、はやくマルンさんとチグレさんを探さないと!」

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