大学生 相倉有馬の邪教実録 ~レコード・オブ・クトゥルフ~

シロクジラ

第一章

第1話

                              

 ◇ ◇ ◇ 八月 一日 時刻不明

                                  

 悪夢から目が覚めれば僕は薄ら暗い座敷牢の中で、冷たい岩肌を背にしていた。

 咽かえる緑カビの匂いが充満しており、僕自身も体は汗で酸っぱい匂いがする。

 見えるのは自分を閉じ込めている岩肌の壁に、太い木材で作られた檻。

 窓の様な小さな穴一つもない場所だ。それでも波が寄せては返す音が絶え間なく聞こえる。

 八月とはいえ地下は冷え切っており、全ての環境が温室育ちな僕には辛かった。

 閉じ込められてもう三日目か? 時間の感覚は曖昧で、思考が削られる。

 最初こそ脱出路が無いか調べたが、体力を減らすばかりで何の意味も無かった。

 この相倉家長男。相倉有馬がペット以下の扱いを受けている事が、酷く腹立たしい。

 抜け出す方法を考えなければ……だが殺されたならば、奴らに一矢報いたい。

 だが座敷牢にあるのは手帳と、ボールペンが一本だけだ。

 せめてこれまでの経緯の記憶を掘り起こしながら、記録を残して行こうと思う。


 あぁ……また海鳴りが聞こえる。


 ◇ ◇ ◇ 五月二二日 午後三時 一一分

                                  

 景義大学。そこは初夏の暑さに唸る歩行者が見れば、西欧諸国の城にも見えるだろう。

 都市部に建設された名門校であり、生徒達は誰もがお行儀も品も良い。

 そんな彼らの影が一つも見当たらないのが、研究棟三階の旧倉庫室だ。

 何故か前廊下は初夏でも薄ら寒く、歩けば足音が反響する事で不気味だと言われている。

 生徒達どころか大多数の教師も近づかない、そんな倉庫室にノックが転がった。

「あのぉ……誰か居ない?」

 声の主はノックを繰り返し、三度目で立て付けの悪い扉を開けた。

 すると初夏の熱風に比べても尚、熱く湿った大気が廊下へ押し寄せる。

「あっつぅ。サウナでもやってるの?」

 扉を開けたのは中学生程の身長である、大学公式の学服を身に纏う少女だった。

 発育は身長に相応しく貧しいが、豊満な長髪を持つ彼女は部屋を見渡す。

「誰も居ない。ってうわぁ……噂通りっ!」

「おい……」

 部屋は扉から見て縦長であり、壁際は天井まで届く本棚で囲まれていた。

 本棚前に置かれた作業デスクには、怪奇的だったり民族的な置物もある。

 例えば怪しげなタトゥーの入った男性の上半身青銅器。

 例えば汚れ塗れの羊皮紙の山。そして生贄らしき動物の骨……そして。

「おいっ、早く閉めてくれ。僕の研究が無駄になるじゃないか」

「んぁっ!?」

 部屋が無人だと思っていた少女は、素っ頓狂な声をあげて声の主を見る。

 ……声の主は、扉の横に立っていた青年だった。

 見れば扉は既に閉め始められており、少女は慌てて部屋に入る。

「君はここが何処だか、分かっているのか?」

「えっと……」

 答えも聞かずに青年は部屋の奥に歩を進める。

 そんな青年に少女は怯えのまなざしをむけていた。

「ここは景義オカルト研究会で合ってる?」

「そのセンスの無い組織名は、好きじゃないな」

 部屋の胡散臭くおどろおどろしいが、青年は雰囲気とは合わないモノに用があった。

 それは窓辺に置かれたパーテーションの仕切りである。

「ひんな神を知っているかい」

「え? あの……知らないけど?」

「中部地方に伝わる人造の憑き神でね。製作者の地獄行きと引き換えに、何でも人の願いを叶えてくれると言う」

 青年が仕切りの奥で、何かの液体を混ぜ始める。

 同時に蒸気が吹き出し大半は窓から外へ抜け、それ以外は部屋中に広がっていく。

 間違いない。この蒸気が倉庫室に満ちる、熱気の原因だろう。

「墓場の土を三年かけて人に踏ませる方法もあるが、時間が掛かり過ぎる。現代ならコチョボを作る方法が向いているな」

 青年の独り言は続き、少女は困惑した顔をしながら近づく。

 彼女が仕切りの奥へ行くと掌に結露がついた。長時間、水分を沸騰させていた証だ。

 肌に染みる程の熱気と湿気。そんな状況で青年が何をしているのか……。

「あのぉ。ぅっ!?」

「少し待ってろ。今良い所なんだ。三日後に来てくれ」

「えぇ、いや。ボク……」

 青年は子供程の壺をかき混ぜ、壺下からコンロで熱して蒸気を噴き出させていた。

 その壺の中を覗き込む少女だが……中身を見て、絶句してしまった。

 そこには大量の沸騰したお湯、そしてお湯を埋め尽くす数の人形が沈められていたのだ。

 顔も服も無い白無地の人形達は、沸騰した壺の水流に悶え苦しんでいる。

 余りにも非現実な光景に少女が硬直していると、隣から手が引っ張られるっ!

「触るなぁっ!!」

「ひぅっ!?」

 少女はぎょっとした顔で、引っ張っられた手を振りかえる。

 見れば少女の右手は、熱された壺に無意識にも触れる寸前だった。

「あっ、ごめ「おい、これは僕の研究だぞっ?」……?」

 火傷を負う寸前で助けられた少女は、頭を下げようとするが……。

 青年は、安全とは違う理由で怒鳴り出した。

「共同研究を望むなら筋を通せ。資料に人手を回して、情熱を示せ!!」

 その時。青年の姿が、カーテンから漏れる陽射しに照らされた。

 背は少女より僅かに大きい程度で、真夏なのに純白チャイナジャケットを着込んでいる。

 湿気で濡れた前髪は二つに割れており、顔色は色白かった。

 その所為で色濃い目の隈と、目つきの悪さが強調されて堅気には見えない。

「この相倉家長男のっ、邪魔をする気かぁ!?」

 少女に叫ぶ青年こそが、景義大の中でも有名な変人にして嫌われ者。

 景義オカルト研究会長……相倉有馬(あいくら・ゆうま)である。

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