変身

橘暮四

 「優しい」という言葉の意味を、辞書で調べたことがある。今から三年前、小学五年生の頃だったかな。あまり覚えてないけれど。ただ、調べるに至った経緯ははっきりと覚えている。

 時間は放課後で、季節はたしか秋の終わり。窓から差した赤い夕暮れが目に痛かったのを思い出す。僕がランドセルに教科書を詰め込んで、さあ帰ろうと前を向いたとき、教壇の前でたくさんのノートを抱えている女の子を見かけた。きっと日直の仕事なんだろうけど、もう一人いるはずの日直の男の子はいつの間にか帰ってしまっていて。その女の子はみんなと比べても背が一段と低かったし、教壇のそばでおしゃべりしている華やかな女の子たちに助けを求められるほど外向的でもなかったから、とても困っているように見えた。そこで僕は、一年生のころからずっと、先生たちに言われ続けている言葉を思い出した。「困っている人がいたら助けてあげましょう」。とてもありふれた、どの学校にも転がっているような台詞だ。僕はいったんランドセルを机に置いて、その子のそばにより、上から半分くらいノートを取り上げて抱えた。その子は目を丸くしてこちらを見上げていたけれど、僕が「手伝うよ」と言うと、小さな声で「ありがとう」とつぶやいた。そして一緒に職員室まで運んだところ、当時の担任の先生が「島田くんは優しいね」と僕の頭をなでてほめてくれた。日直の女の子も、赤らんだ顔でうなずいていた。その時感じた照れくささも、僕の頭に残る、少ししわがれた手の温かさも心地よかったけれど、心の奥の奥に、魚の小骨が引っかかったような違和感も残っていた。だって僕は、親切心とか、慈善の心とか、そんな気持ちでノートを持ったわけではないのだから。動機はただひとつ、先生に言われたから。助けたいから助けたんじゃなくて、先生に言われたから助けたのだ。そんな動機に対して、「優しい」という言葉を当てはめるのはなんだか不釣り合いというか、騙しているような感じがして、「優しい」という言葉の意味が分からなくなってしまった。だから家に帰って宿題を終わらせてから、国語辞書で「優しい」という言葉を引いた。

 僕が覚えているのはここまで。どんなことが書いてあったかは覚えていない。ただきっと、僕を満足させるような定義は載っていなかったのだろうと思う。辞書を閉じたときの、なんともいえない期待外れな気持ちは覚えているから。

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