茨城超常尻子玉奇譚

桜川ミト

第1話 茨城には河童がいるー1

 日本最大の流域面積を誇り、多くの生命を育む利根川水系には、僅かながら河童も生息している。

 利根川本流から小貝川方面に逸れ、ずっと遡上した所にある、川辺にできた灌木かんぼくの茂みの一角。そこにタロウ達河童の一族の住処がある。

 元は河童伝説の多く残る牛久沼を発祥とする由緒ある河童の家系であったが、人目を避けて転々と移動するうち、現在はこの地に落ち着いている。


 日常で妖怪を目にする機会などそうそう無い昨今であるが、今日まで茨城の河童たちが生きながらえて来られたのは、ひとえに彼らが人間と敵対する道を選ばなかったからだと言える。

 もしも彼らが一部の伝承にあるような、見境なく人の尻子玉を引っこ抜く厄介者ばかりであったなら、きっと今頃は他の多くの化生と同じ末路を迎えていたことだろう。

 タロウ達の先祖は生存戦略として、その妖力を消費し、少しずつ自身の体質を変化させることでベビースキーマの獲得、つまり人間という大きな脅威から敵意を向けられることのない、愛らしさを手に入れることを目指した。

 尻子玉を引っこ抜くための細く鋭い腕は、丸く短く。素早く泳ぐための引き締まった体形はちんちくりんの寸胴型に。

 そうした進化なのか退化なのかわからない変化の果てに、かつての如何にも妖怪然とした厳めしさは消え失せ、全体的に丸みを帯びた、ゆるキャラの如き様相を呈していた。

 たかだか数百年程度で生き物がそんなに大きく姿を変えるものかという向きもあろうが、その常識に囚われない在り方こそが、現在の河童達に僅かに残された妖怪変化の証だといえた。




◇◇◇




「きょうも、大漁だった」


 田んぼの畔道を体高70cmほどの幼体の河童がてちてちと歩いている。

 右腕には以前住処に流れ着いてきたビニール袋。その中にはたくさんのアメリカザリガニがガサガサと音を立てている。彼の夕餉ゆうげである。

 けれど、呟く表情はその成果と言葉とは裏腹に、苦み走ったなんとも味のある顔をしていた。


 その河童、タロウは本来であればまだ親の庇護を受けるべき年齢である。しかし、先日の爆弾低気圧による豪雨と、それに伴う鉄砲水によって両親が下流に流されてしまっていた。

 文字通りの河童の川流れである。


「きづいたら、銚子ちょうしにいた」


 そんな両親からの念話がタロウの元に届いたのが一昨日のこと。


「アメリカナマズが、くさいけど、意外とおいしい」という報告が昨日。


「支流が、いっぱいあって、迷ってしまいました。帰るの、おそくなりそう。5日くらい」という謝罪が今朝方送られてきた。


 つまりはそれまで自身の力で日々の糧を得なければならないということであり、幼きタロウにとっては大きな苦労を伴う試練だった。

 河童の好物がキュウリであるというのは一般的だが、河童が農業をするわけもなく、主食となるのは魚や川エビなどである。

 水かきも十分に発達していないタロウには、すばしっこい魚を捕まえるなど不可能と言ってよく、川エビですら労力に見合った収穫が得られているとはとても言えない状況だった。


 もしこれがタロウ1匹の問題であったなら、落ち葉や苔を食んででも生きていく覚悟がタロウにはあった。

 そうしないのは、タロウの住処にまだ出歩くこともままならない小さな妹がいるからだ。

 妹は皿も甲羅も未発達な赤子で、この時期のカルシウム不足は皿粗鬆症という河童にとっての大病に直結する。

 皿が割れれば河童は死ぬのだ。

 自身の不甲斐なさのせいで、妹が生命のリスクを背負わなければならないなど、タロウに到底許容できることではなかった。


「でも、これはなー」


 袋の中のザリガニを覗き込んでタロウは泣きそうな気持ちになった。

 ザリガニは川エビよりも遥かに食い出があり、捕らえやすく、殻にはカルシウム塩類が多く含まれるため、今のタロウにとっては理想的な食料だと言えた。

 問題は、この生物がそれなりに水深と流速のあるタロウの拠点周囲には殆ど生息せず、人間のナワバリにある流れの緩やかな用水路や田んぼでしか見られない事であった。

 人里に入るようになってこの2日間、タロウの胸中を占めるのは、食料事情が改善した安堵よりも、両親からなるべく関わらないように教えられてきた人間のナワバリを犯してしまっていること。あまつさえ、そこで貴重な食料をくすねているという恐怖と罪悪感だった。


「なんだか、ひりひりする」


 頭部のお皿が普段よりも遥かに速いペースで乾いていってるのをタロウは感じた。

 五月晴れの空気はからっとしていて、お皿の乾きやすい気候であったが、それに加えて幼い身に抱える大きなストレスがタロウのお皿から急激に水分を奪っていた。


 お皿が乾けば、最悪の場合、河童は死ぬ。


 「よいしょ」


 タロウは悪いと思いながらも、再び水田に踏みいった。

 そして稲を倒さないように気を付けながら、その場で頭を下にして一点倒立のような形をとる。

 現代の河童は多くのゆるキャラ同様、極端に手足が短く、水を手ですくって頭にかけるという動作が構造的に難しい。

 なので、お皿に直接水分を含ませようとすると、水位の低い場所では必然こういう風に天地逆さまになり、倒立する必要がある。


 暫時そうしている内に、タロウはお皿が潤っていくのを感じた。

 同時に少し頭も冷え、ほうと息を吐き、それは気泡となって水面で弾けた。そんな時だった。

 

「なんじゃこれは……」


 不意にタロウの背後、今は倒立して天へ伸びた足上の方から、困惑するような声が聞こえた。

 むくりと起き上がって声の方を向けば、人間の老婆が狼狽しながらタロウを見つめていた。視線が交錯する。


「…………何じゃ、これは……?」

「ひええ」


 人間の生活圏に入ってからずっと気を張っていたというのに。田んぼでの頭頂浴が思いの外気持ち良かったせいで油断してしまった――。

 タロウは己の意思の弱さを強く後悔した。

 タロウに人間の法は分からない。けれど、とても恐ろしい生き物だと教えられてきた人間が、ザリガニの密漁を許すはずは無いと思った。

 この上はせめて妹には累が及ばぬよう誠心誠意謝るしか――と考えたところで、妹の存在を知らせることがそもそも悪手になるかもしれないと思い直し、どうすればいいか判断がつかず、結局あわあわすることしかできなかった。


「あわわわ」


 一方でその老婆──大鳥節子おおどりせつこの方もまた、この事態にどう対処して良いか分からず、混乱していた。

 何の気なしにゼンマイなど摘みつつ散歩して帰ってきたら、自分の田んぼに鶯色をした謎の生き物が、ス〇キヨの如く頭から突き刺さっていた。近づいて声をかけるとサ〇リオじみた河童らしきゆるキャラが水面から顔を出して、あわあわし始めた──。節子の困惑は相当なものであった。


「え、なに、河童?…………河童???」

「タロウだよ」

「あ、そうなんだ……?」


 日本語しゃべるんだ。節子は思った。


「………………」

「……………………」


 しばらく見つめ合う一人と一匹。

 タロウと人間。はじめての邂逅であった。





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