二宮金次郎は突然に

語理夢中

二宮金次郎は突然に

 不覚にも眠ってしまった。

 期末テストの準備や採点で疲れていたとはいえ、教台で寝落ちするとは何たる失態。

 後悔先に立たず。悔やんでも後から取り返せないが、今まさに取り返しのつかない状況にある。


 教台で目覚めた僕の顔を金次郎が覗き込んでいる。金次郎ってだれか?

 皆さん御存じのあの二宮金次郎だ!

「なっ!なんだぁ!?」

 教台から頭を仰け反って聞くと、金次郎は頭についてくるように顔を近づけた。

 どうやら極度の近視なのか目を細めて僕の顔を覗き込んでいる。

「ここは学ぶ場所だ。寝るな」

 ごもっともな注意なので、すいませんと答えると金次郎は顔を離した。

 肌の質感は銅像のそれだ。なのに不思議と流暢に口が言葉に合わせて動く。

「二宮金次郎だ」と毎日校庭の隅で見る銅像が礼儀正しく名乗る。

 これは世に聞く心霊現象というものなのだろうか?動く二宮金次郎の霊?

「存じ上げております」硬直したままなんとか返事をする。

 周囲を見渡すとベランダ側の窓から見える外の景色は見たことも無いような鉛色をしていて、モノクロフィルムで撮影した風景のように静止している。

 噂に聞く学校の七不思議とも違うようだが、霊的な現象以外にこの状況を説明できない。また、金次郎の口が動く。

「君は教師だな、名前はなんだ」

「武田、武田周一と申します」

「そうか、武田先生。居眠りの罰としてあなたの魂をいただく」

 金次郎は丁寧に敬称を付けて呼んでくれるが、罰には慈悲がない。

「た、魂をと言うことは死ぬということですか」

 先月この教室で数学の沢村先生が倒れて、今も意識が戻らないでいることを思い出す。

 到底無関係だと思えない。逃げ出したくとも足に力が入らずその場から動けない。

「そうなる。ただし、己の責務に励んだうえの居眠りであることを考慮すると仮借かしゃくの余地はある」

 金次郎は後ろ手に腕を組んで見下ろしている。

「許してもらえるのですか」

「私の質問に納得の行く答えが出せたらだ」金次郎が顔を寄せた。

「質問とは何でしょうか」生唾を飲み込む。

「私が生きていた時代は勉強はしたいと願うものだった。だが現代は義務になっている。悲しいかな勉強はしなくてはならないものにり、やらされるものになってしまった。何故私の愛した勉学はこんなにも嫌われ者になってしまったのだ!」

 金次郎は悲しい表情で訴えるように質問を投げかけてきた。

 口からはつばきの代わりに砂粒が飛んでくる。

 教台の縁を青銅色の太い指が音を鳴らして掴む。

 僕は体を震わせながら軋みを鳴らす教台の縁に目を落とし、先ほどまで採点していた国語の答案用紙に目を移す。高得点を取る子もいるが、多数は50点台で勉学に励んで臨んだと思えない点数だ。

 僕も教師として似たような問いに自問したこともある。金次郎の求める答えを回答出来るか分からないが、目の前の教え子に教師として真摯に向き合いたいと腹を括った。

「一つ聞かせてください。勉強は楽しいことですか?」

 勿論だと金次郎ははっきり答えた。開目した青銅の瞳は水面に浮いた絵具のようにたゆたいながら潤んでいる。

「変わらず、今の時代だって勉強は楽しいことです」

「なら何故やらぬ」

「それは、多様な時代になり他にも楽しい事が増えたからです。勉強は楽しい、ゲームも楽しい、スポーツも楽しい、友達とのコミュニケーションも楽しい。楽しい事が増えたから選択肢も増えた。自分の選んだ選択に熱中するあまりに勉強が疎かになるからです」

 金次郎はその言葉を聞いてがっかりとした表情を浮かべた。

「武田先生の答えはそれでいいのだね?」

 金次郎の背負っていた薪が宙に浮いた。薪は次第に僕の周りを獲物を狙うハイエナのように回り始めた。合わせて周囲の鉛色が濃くなっていく。

「まだです!」僕は金次郎を制止して続ける。震えは止まった。

「同じ楽しいでも勉強だけはやらなければならない特別な理由があります」

 金次郎は手を伸ばし薪を一本掴んだ。

「ほう、それはなんだ?」

「それは必ず将来にとって勉強が必要な事だということです」

 金次郎は黙って次の言葉に耳を傾けている。

「金次郎さんはその必要性が子供の頃から身をもって知っていますよね?苦しい生活を生き抜く為、良くする為に頑張るには何をしたらいいのか、その頑張る方法が勉強なんだと」

 金次郎は大きく頷いた。

「本来生き物は頑張らないと生きていけない。でも今の子供は頑張らなくても生きていられる。だから生きるために何を頑張るべきかを考える時期が大人になってからになってしまう。そして大人になってみんな同じ結論に辿り着く」

「もっと勉強しておけばよかったと」

「大人になって勉強すればいいでは無いか、人生に遅いことなどないだろ」

「いいえ遅いです!子供のうちになぜ勉強が必要なのかを教えるべきなのです。それをしない大人が悪いのです」

 金次郎が薪を僕の眼前に振り下ろす。

「では教えろ!なぜ子供のうちから学ぶ必要がある!」金次郎は大きな声で問うた。

「自由を得るためです!」

「自由?充分に今の日本は自由で、子供達も自由だろ、好きなことが出来るじゃないか」

「そうです。好きなことを出来ます」

「ならもう充分に自由を得ているのだから勉強などしなくて良いと言う結論になる」

 眼前の薪が額を押す。

「違います努力無く好きなことが出来るのは親に庇護されている子供のうちだけです。今の日本は誰でも好きな職業に就けるし、お金さえ払えば何だって買える時代。そう思っていることが間違いなんです」

 僕は言って立ち上がりながら額で薪を押し返した。

 金次郎は教台の上に薪を置き、その上に両手を乗せて頬杖をついて言った。

「続きを聞かせろ」

「もし勉学を嫌い、適当に義務教育を終わらせて社会に出た後どうなりますか?」

「自分の好きな仕事をすればいいだけだろう」

「宇宙飛行士になりたいと思ってなれますか?お医者さんには?総理大臣には?建築家には?なれませんよ!なぜか?学歴・資格・経験どれもが無いからです。だから仕事を自由に選べない。出来る仕事の中から選ぶしかない。すると必然的に得られるお金も低くなる。買いたいものが有っても買えない。お金がないからです。大人になって学びたくてもお金が無いから学べない。お金を得るために働かなくてはならないから学ぶ時間もない」

「どうですか?その状況が自由と言えますか」

 金次郎は首を振った。


「自由の本質とは選べることです!」


「自由に選べる資格が無い者は不自由な人生を送るしかない。狭い選択範囲の中から選ぶしかないのです。勉強して学歴を得なければ選択する資格を得られない。その見えないライセンスを得ること、選択範囲を広げる行為が勉強の意味なのです」

 金次郎は薪から顔を上げて真剣な眼差しを向ける。

「金次郎さんも想像してみてください。もし勉強をしなかったあなたの未来に、あなたがしてきた人生の選択肢は同様に有ったと思いますか?」

 僕は真っ直ぐに金次郎の瞳を射る。

「あなただって勉強したからその後の人生で選択が出来たのでは無いですか?勉強したから川の氾濫で流された生家を復興できたし、町の荒廃を復興したり飢饉で苦しむ人々を救うことが出来たのではないですか?」

 僕が知る限りの金次郎の実例をあげた。

 金次郎は青銅の瞼を下ろすと過去と邂逅するように人生を振り返った。

「そうか、私の時代は教えられずとも学問に取り組むことが、新しい未来へ道を造って行く行為だと生きる苦労が教えてくれた。学問が私を救いながら都度教えてくれた。だから私も学ぶ理由を子供たちに説いたことなどなかった。けれど今の子供達には学ぶ理由から教えてやらないから、勉学が遠ざかるのだな」

「そうです。私たち教師や親が最初に子供たちに教えなければいけないのは、勉強の楽しさや必要性ではなく。意味なのです。それを伝えきれていないから彼らが学ばなくなっているのだと僕は思います」

「そうか、ありがとう武田先生。いい答えだった。子供達に勉強する意味を教えられるのは君達、今を生きる者だけだ。一人でも多くの生徒に今聞いたことを教えてあげて欲しい。私がして来なかったことを変わってしてあげて欲しい」

「いいえ、金次郎さんの功績を知り勉強の意味を知る子もいるはずです。悟り方は様々だと思いますが、僕なりのやり方で子供たちに伝えていきます」

 金次郎は大きな笑顔で顔を緩めた。同時に周囲に色が戻り始める。

「いい時間だったよ武田先生。今日の時間に免じて君の罪は無かったことにしよう。ついでに君の同僚の魂も開放しておくよ」

 世界に色が戻るのに反して金次郎が色彩の奥に消えていく。

「金次郎さん!僕頑張ります!子供達にも金次郎さんみたいになれって言います!」

「ありがとう武田先生。子供たちに本は座って読むようにも伝えておくれ」

 金次郎が完全に見えなくなると止まっていた景色が動き出し、吹き込む風に教室のカーテンが一斉に揺れた。

 過ぎる風に乗って無理をするなよぉ~と金次郎さんの言葉が遠ざかった。


 この話を君たちに伝えるために僕はここに、この話を記す。


               了

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