ストレイキャットは靡かない
望月俊太郎
序章
中一の春、ムラケンって2個上の先輩と喧嘩になった。始まりはいつも突然にと言うけれど、こんな始まりも突然も嫌だ。
ムラケンは俺を見るなり「テメェかこらぁ!」って叫びながら、すごい勢いで駆け寄ってきて、勢いそのままに殴りかかってきた。とっさに拳をかわすとブゥンという音が耳元で聞こえてきて、それはまるで殴られた空気の悲鳴のようだった。
ムラケンの拳を少しだけかすった耳はまだくっついてくれているか心配になったし、そんな体に優しくない物体がブンブンうなりを上げて飛んでくるのだから、たまったもんじゃない。こんな凶悪な拳が顔面にめり込んでしまって、もしヘコんだまま元に戻らなかったら、とんがりコーンみたいな顔面になっちゃう。
丸太のような腕から繰り出されるパンチの脅威に心臓はヒンヤリしっ放しだったし、脳みそはとんがりコーンみたいな顔面になっちゃったらご飯食べづらそうで嫌だなとか緊張感が無くて分かりやすく現実逃避をし始めてた。
ムラケンは全力MAXに怒り狂っていたし、怒り狂ってなくても話の通じるようなやつじゃない。俺は俺で、礼儀も年功序列も喧嘩で負けることも知らないピッカピカの中学一年生だったし、ムラケンのパンチは大振りで軌道が読みやすかったからか、よけてるうちに凍っていたはずの心臓がいつの間にか熱を帯びて、無駄に勇気と自信を脳に供給してしまったんだと思う。
相手がいくら自分より強そうでも年上でもダメ。「何こいつ? ムカつくな」って思っちゃったらもうダメ。やってやんよっていうスイッチが簡単にポチっと入った。
元々
ブゥンブゥンと空気の悲鳴をまき散らしながら拳を振り回すムラケンの懐に踏み込んで、カウンター気味に拳をムラケンのみぞおちに入れる。手応えはあった。あったはずなんだけど、そのままムラケンに腕をつかまれちゃって、ムラケンがニチャっとおぞましい笑みを浮かべた。
ヤバいと思ったんだけど腕をつかまれたままだから逃げられなくて、腹を思いっ切り殴られた。殴られた直後に胃酸が逆流して口の中が一気に酸っぱくなって、次の瞬間、顔面を殴られて頬骨か顎かどちらかからバキッという音がちょっとだけ聞こえた。
目の前の景色がグルっと回ったなぁって思ったら空が見えて、また地面が見える。頭がボーっとして耳鳴りがしてきて「あれ? どうなってんの?」ってよく分かんなくなってたら、ムラケンが底意地の悪そうな下卑た顔で俺を見下ろしてきてた。
「なに上から見てんだよ」って言おうとしたんだけど、さっきの衝撃で顎がダメになっててうまく声が出せない。尋常じゃない腹と顎の痛みのおかげで意識がはっきりしてきて少しずつ状況が飲み込めて、そうか、俺はこいつにぶん殴られてぶっ飛んで這いつくばってるんだって分かって、超ヤバいじゃんって思ってたんだけど、口の中が超酸っぱいし鉄臭い血の味もする。体が戦うことを諦めてた。
「ちょっとたんま」って言ったけど待ってなんかくれなくて、ムラケンが人の頭をサッカーボールでも蹴るように振りかぶってるのが見えた。とっさに両腕使ってガードしたんだけどズザザザーって転がって、せっかく引っ込んでくれてた胃酸がまた逆流してきて今度は吐いた。視界がグルグル回ったり歪んで見えたり、ノイズだらけのテレビみたいになってて、次に蹴りかパンチが飛んできたら終わるなってとこで「村田君、そいつは違いますよ!」って誰かの声が聞こえた。
ノックアウト寸前で意識が
ただムラケンは自分の間違いに気付いても悪びれる様子はなくて、俺に謝りもしなかったし、舌打ちをして「紛らわしいんだよバカ野郎」ってクソみたいな捨てゼリフ吐いてその場から去っていって、マジであいつ死んだらいいのにって思った。
「ごめんな、もうちょっと早く止められてたらよかったんだけど」
すまなそうな顔をしながら喧嘩を止めてくれた先輩が、俺を抱き起してくれて、その先輩がカズさんだった。
「あいつ、ぜってぇぶっ殺す」
俺は確か負け惜しみにそんなつまらないことを言ったと思う。ただそれを聞いたカズさんは「ハハッ」って楽しそうに笑って「その時は俺も呼んで」って。
この日、俺はカズさんとこれ以外に大したやり取りはしていない。俺が自分で立って歩けるのを確認するとカズさんは「じゃあね」って言ってそのままどこかに行った。ただそれだけなのだけれど、俺はこの日のこのカズさんとの思い出をとても気に入っている。
生まれて初めて喧嘩に負けて悔しくて、強くなりたかった。だから柔道部に入ったのも、そこにカズさんがいたのも決まっていたことなのかもしれない。残念なことにムラケンもいたから運命って言葉は使わない。これはきっと縁だ。
柔道部の練習はきつくて、寝技で抑え込まれると汗臭い道着に顔を覆われたり、ちょっとでも締め技を食らうと首の周りが内出血だらけ。冬場は冬場で超冷たい床を裸足でやらなきゃいけなくて、足払いされた時に足の指先が当たるとめっちゃ痛い。
そもそも柔道って組み合って技をかける時に、相手を引き付ける必要があるし、相手はそれを阻止しようと腕を突っ張ったりしてくる。強引に力技でいこうとすると胸に相手の拳がめり込んで超痛いし、部活が終わった後に見ると胸板は真っ赤っか。
こんなむさくて、痛くて、女子ウケしない部活に何で入っちゃったんだろうって我に返る瞬間は何度もあったんだけど、背負い投げが決まると嫌なこと全部が帳消しになるくらい気持ち良くて続けてた。綺麗に技が決まって一本取った時のあの瞬間の気持ち良さは他に例えようが無い。
だから、あれヤダこれヤダ言ってぶーたれてたりもしたけど部活は真面目にやってたし、柔道部に入って良かった点はもともと素養のあった喧嘩が結構強くなったこと。
格闘技を週に5日3時間くらいやれば、そりゃ強くなる。陸上部に入って足が速くなったり、サッカー部がサッカーうまくなるのと一緒で、柔道を習えば柔道が強くなるし、柔道は格闘技だ。そこら辺のゴボウみたいなやつだったら、5秒以内に何とでもできるって思ってたし、ただのデブなら100キロくらいのやつでも投げ飛ばせる自信もあった。
中学生男子にとって、人より飛びぬけた戦闘力は正義なわけで、自然とクラスの中では一番目立つグループにいて、はたから見たら
ただ、そのはたから見たら羨ましいポジションに当たり前にいる自分に、心のどこかで違和感というか、そういうのが大きくなっていって、気が付いたら何かすっごいモヤモヤになって俺を悩ませるようにもなっていた。
お世辞にも出来がいいとは言えないおつむながらもバカなりにいろんなものが見えてきて、その情報量の多さに消化不良を起こしてた。
おぼろげながらも浮かび上がってくる自分ってものの
ありきたりな言葉で簡単に説明するなら思春期に喧嘩が強くて調子に乗るのが好きなやつはグレる。何かのスポーツで特待生や何とか選抜に入れないくらいの中途半端なやつほどグレて余計なことをするわけで、俺はもれなくそこに当てはまってた。だからこそ俺はグレた。何となくグレた。引っ込みがつかなくなったのもある。素直にどこかの場面でごめんなさいと誰かに謝ればよかったかもしれない。それでも我を通して茶化してふざけて腐ってグレた。他のやつが恋だの愛だの受験だの言ってるその時に、俺は暴力で人間の序列が決まる至ってシンプルで分かりやすい世界にいた。
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